陽が傾きかけた夕刻の屋上が好きだ。日中は暑すぎる今の季節も、陽が沈めば涼しい風が心地良い。そんな風を求めて、今日も鮮やかに夕陽に染まる街を屋上からひとり眺める。ビルが落とす影の中にぽつぽつと点りはじめた車の前照灯や空の青と橙の階調が何とも趣深くて、このまま寝転んでしまいたいような気持ちになる。そうしてずっとここにいたら誰か見つけにきてくれるかな、なんて馬鹿げたことを考えていたら、その前にこちらが見知った顔が歩いてくるのを見つけた。
視界に捉えたのは買い物籠を提げた福本くんが丁度横断歩道を渡っているところ。元々あまり感情を露にしない彼は、夕暮れの街をひとり歩いている時も当然無表情だった。段々近付いてくるその姿をずっと目で追っていると、気配を感じ取ったのか向こうもこちらに気付いたようで目が合う。ひらひらと手を振ると無表情はそのままにただこくりと軽く頷いた。その彼らしい反応に少し顔が緩む。このまま調理場に立つのだろうから、手伝いに降りても良いけれど……きっと私がいないならいないでひとりで手早くやってしまうのだから今日は任せることにしよう。福本くんが玄関を入ってくるのを見届けて、また暫く色の付いた街を眺めていた。


「やるのか?畑」
「え?……ああ」

夕食時に目の前に座った福本くんが徐に口を開く。彼が切り出した話題には勿論心当たりがあった。

「今日もお野菜お高かった?」
「安くはなかったな」


私は今と同じ内容を、数日前に八百屋の前で福本くんに言っていた。お野菜お高い、と耳打ちする私にそれでも必要だろうと次々と目当ての品を店主に指定していく福本くん。その日いるものだけを手早く揃えて帰路に就いた。

「何でもお高く感じるのは貧乏だからかな……」
「かもな」
「お野菜にお魚に……お肉なんて味を忘れちゃった」
「三日前に食べただろう」
「……福本くんって冗談が通じないわよね」
「お前の冗談が分かりにくいだけじゃないのか?」

はいはいごめんなさいね、と口先だけで陳謝する。別に構わないが、とまともに答える福本くんは冗談が通じないというより根が真面目なんだと思う。

「……もういっそのこと畑でも耕して自作しようかしら」
「畑?それも冗談か?」
「違う」
「そうか、悪い」
「……店で買うとその都度お代を支払うけど、自分で作れば一度芽が出て収穫してもまた実をつけるじゃない。経済的だし買い物に行く手間も省けるでしょ」
「一から全てやるのか?土地はどうする」
「何も本格的に農業をやるわけじゃないし、鉢にいくつか種類を分ける位でどう?それなら少し場所があれば可能でしょ?」
「……割りと本気で考えてないか」
「勿論。……あ!屋上は?水もあるし陽は当たるし普段邪魔にもならないでしょ」
「そこまで言うならやってみれば良いんじゃないか」
「やるなら手伝ってくれる?」
「……それは畑とは言わないがな」

終始淡々と答える福本くんにいけず、と心中で毒吐きながら、頭の片隅で本当に形に出来ないか思考を巡らせながら歩いた。


この時は特に表情を変えずに聞いてくれていたから、彼の方からその話題を振られて少し驚いた。

「やるのか?畑」
「え?……ああ。今日もお野菜お高かった?」
「安くはなかったな」
「考えてみたんだけど試してみても良いと思うのよ……それはそうとあのとき畑とは言わないって言ったのは貴方だけどね」
「けど他に言いようがないだろ?」
「じゃあね……屋上畑」
「……屋上をつけただけだな」
「もう、名前なんて何でも良いじゃない。きっとこの先大流行して誰かがそれらしいのを付けてくれるわよ、きっと」
「前向きだな」
「何事もね。というわけで早速明日種を探してくるから一緒に作って?」
「……ああ」
「あ、乗り気じゃないでしょ。まあ勝手にやるけどね。……それでも水やりぐらいは手伝ってくれると助かるんだけど」
「……毎日やるんだろう?お前がいないときはやっておく」
「ありがとう。……もしどちらもいないときは誰かに頼むとして誰もいないときは……中佐にお願いしようかな……恐いけど」

眉を顰めた私にふっと軽く息を吐いて笑った福本くんは次の瞬間にはもう無表情でお味噌汁を啜っていた。それに倣うように私もお椀を手にして、今日もお高かったらしい茄子の入ったお味噌汁を口にする。

「ねえ」
「何だ」
「これ美味しい」
「そうか」
「でもねえ、自分の手で育てた材料で作ればきっともっと美味しいわよ」
「……だと良いがな」


そしてこの時の会話から更に一年ほど経った今日、上海から荷物が届いた。送り主は数ヶ月前に旅立った福本くんで、箱の中の荷に紛れる様にぽつりとあった封筒に若宮と名指しされたものを見つけた。恋文、なわけはないけれどこんなことは予想外で少し驚く。
ぺりぺりと慎重に封を開けて中を確認すると、小さな紙包みに納められた無数の黒い粒と一枚のメモが入っていた。何かの薬?はたまたこれ自体に暗号が込められている……でもそれならわざわざ私に充てなくても、と一瞬本気で戸惑ったけれども、添えられていたメモを読むと思わず笑ってしまった。


「若宮?御機嫌ですね」

屋上に向かう私を呼び止めた実井くんにちょっとね、と笑顔を返す。

「種をね、蒔くの」
「種?また野菜の?今度は何を?」
「何だろう……わからないけど、日本にはないものなんだって」
「?へえ」

実井くんは私の言葉の意味が良くわからないみたいだったけど特に深くは聞いてこなかった。
屋上に上がり、用意した大きめの鉢に福本くんが送ってくれた種を蒔いていく。完成すると去年彼と一緒に作った鉢の横に並べ水をやりながら、どんな芽が出てどんな実をつけるのだろうと想像する。日本にないものということだから、私はきっと初めて目にする種類だろう。ならばその調理は是非とも福本くんにお願いしたい。そしてそれが叶うのなら、いつかの様に向かい合って座りきっと相変わらずの無表情でそれを口に運ぶ彼に一言いってやるのだ。ね、美味しいでしょう?と、そう言ってやるのだ。


 
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