雨の降る季節のじめじめとした室内はどこか重苦しいけれども、私はこの空気も割りと好きだったりする。

「なあ若宮、あそこ」

窓を開けて雨の降りしきる外を覗きこむ甘利くんに呼ばれ、何事かと彼の横に並ぶ。ちょいちょいと甘利くんが指し示す先には、向かいの建物の軒下で雨を避けるようにしてそこに佇む猫がいた。

「思い出さないか?」

優しい声で問い掛ける甘利くんの言葉の意味はすぐに理解できた。

「……懐かしい」

いつだったか、まだあまり皆と親しくないときに甘利くんと二人で出掛けたことがあった。時刻は夕方、まとわりつくような湿った空気に嫌な予感がしていたのを覚えている。


「……こりゃあ一雨くるな」
「ですね……」

数秒の後、ざあああっと大きな音を立てて地面を叩く夕立に襲われた。空は明るいままで、きっとすぐに止むのだろうけれどその激しさは無視できるものではなくて少し前を歩いていた甘利さんの姿もはっきりしない程だった。

「若宮!こっちへ」

声のする方へ目を凝らすと甘利さんが目先の建物の軒下に身を潜めている。顔を伏せて小走りでその横に並んだ。

「参ったな……大丈夫かい?」
「はい、あ、いえ……ええ、何とか」
「……無理しなくていいのに」

くすりと笑って被っていた帽子を手に取った甘利さん……いや、甘利くんは滴る雫を払うように頭をふるふると振った。

「無理なんてしてま、……ない」
「そう?」
「ええ、きちんと拭えるものもありますし……あ」
「それが無理じゃないと?」

甘利さん……甘利くんが言う“無理”とは、雨に濡れても平気だと強がっているのではないか?ということではなく、あくまで私の言動についてだ。
少し前に、私には一つ決心したことがあった。それは自信を持とうということ……というよりも、いや、正しくは自信がなくてはいけないのだ、ここにいる以上は。男と女の相違がある時点でこの化け物達と全く同じ性質のそれになれるわけではないし、そもそも求められているものから同じではない。現に彼らに出来て私に出来ないことはそもそも作戦すら知らされることなどない。必要ないからいらないのだと。実に分かりやすくまるで残酷とでも表現するべきなのだろうか?だけれども、それでもここに身を置くとそう決めた時に、機関員達にはせめて対等であろうと少し背伸びをした話し方に変えた。そのきっかけはまた別にあるのだけど、とにかく今は形だけでも強くありたかった。……このやり方が正しいのかはわからないけど。
甘利さ……甘利くんはそのことを言っているのだ。
正直私だって今は手探りで、何か手応えとして得たものなど一つもないけれどとにかく何かを変えたかった。甘利さんを含め化け物の皆さんにはきっと理解できないだろうけれども。

「おや……」

甘利さんの方は見ずにずっと正面を向いていたが、不意に彼が何か含みのある声を発してついそちらに目を向ける。

「君にお客さんだ」
「え、」
「ほら、そこに」

甘利さんが示した私の足元には、いつの間にやってきたのか一匹の猫がいた。毛先から雫を垂らす様はどこか寒そうに見えて、ハンカチでその雫をおさえてやる。逃げられるかと思ったけれどそんなことはなく、まあ人懐こいからここに入ってこれるのだろうと妙に納得した。

「猫好きなのかい?」
「はい……あ、うん」
「俺も動物は好きだよ」
「そうですか……」

普通ならなんてことない会話だろうが、 今隣で柔らかく話す甘利さんだって化け物、見透かすように見つめられても困ってしまう。

「……何か?」
「若宮、綺麗になったな」
「え?」
「前より自信がついたんじゃないか?」
「……自信、持とうとはしてるんですけど。まだまだです」

何せ足元に近付いてきた猫にすら気付かないのですよ、と自虐的な言葉を吐けば甘利さんは猫は気配を隠すのが上手いからねと笑った。
甘利さんはきっと私の気持ちを理解できなくても、汲み取ってわかろうとしてくれている、彼の優しい声からそう感じる。
だからきっとただ優しさから出た言葉なのだろうけど、それでもその気遣いに嬉しくなった。

「なあ若宮、君は自分で思ってるよりずっと魅了的だよ」
「……甘利さん」

甘利さんは人差し指をすっと自身の口元に添えてとんとん、と唇を叩く。

「呼び方。戻ってるよ」

やることがいちいちこなれてるな……と思いながらも、あまりにも様になっているので少し笑ってしまった。

「ありがとう……甘利くん」

私の感謝の言葉に、甘利くんは笑顔とウインクで応えた。


化け物……けれども優しくて紳士的。甘利くんのイメージはこの時に固まったのだと今になって思う。あの時甘利くんが何故あんなことを言ったのか、その真意は今ならわかるような、やっぱり私の考え及ぶところではないような。
どちらにせよ私にとって大事な記憶を甘利くんも覚えていてくれたのが本当に嬉しいし、何より隣にいる甘利くんがあの時と同じ優しい笑顔であることにほっとする。

「甘利くんって変わらなくて安心する」
「そうかな?そういう君はますます綺麗になっていくな」
「ありがとう」

今は迷わず即答する私に、甘利くんはやっぱり一つウインクを返した。


 
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