「着席ー」
ガタガタとやかましく椅子がひかれ、生徒たちがだるそうに腰かけた。くあ、と欠伸をひとつ。
梅雨独特の湿度の中、俺は窓の外へと目をやった。じめじめして嫌だなあ、また雨が降りそうな曇天に、バスケが内外どちらも可能な球技でよかったと一人ごつ。周囲を見渡しても、面白いことはひとつもない。今日は昨日の延長なのだ。
(つまんないなあ)
ちら、と反対側の隣を見た。1学期が始まって、初めて隣に座った彼。いつもつい目に止めてしまう彼は、今日もやっぱり、教科書の間に本を挟んで読んでいた。
(…何読んでんだろ)
いつも思うことをまた思う。大人しそうな印象なのに教科書を壁にして読書に没頭する彼、そのちょっとしたずるさというか、ある意味でのギャップに俺は正直惹かれていた。綺麗な空色の髪、空色の瞳。たまにくすりと笑う顔を、いつか正面からみたいと思っていた。
「――…次、黄瀬ー」
「はいー。…はい?」
「教科書。読んで」
ぼんやりと考え事をしていたときに不意に呼ばれた自分の名前、そのとき初めて俺は自分が教科書も出していなかったことに気付いた。あわてて机の中を探って、目的のものを出そうと――…して。
「…ない」
「黄瀬?どうした」
「先生すんません、教科書忘れちゃったっス」
はあ?眉をひそめる男教師(しょうがないじゃないっスか、ないもんはない)は、ったくよぉなんて苛立たしげに頭をかきながら座席表を見、津田は休みかと呟いてからじゃあえっと隣の、とはっきりしない口調で『彼』を見た。
「クロコ、だっけ?」
「…はい」
「黄瀬に教科書見せてやって」
「分かりました」
「え」
思わず隣の彼を見る。教師に呼ばれたときに上げたのだろう見慣れた横顔が、つい、と俺の方を見た。どきり。心臓が高鳴る。
えっと、馬鹿みたいに脈打つ左胸に慌てながら、クロコが机を寄せるのを見ていた。クロコは読んでいた本を閉じて、教科書だけを俺の方に差し出してくる。空色が初めて、俺を映して。
「…どうぞ。黄瀬くん」
「あ、…りがと」
あとちょっとまで近寄っただけで教科書を見ようともせずにまた本を開き(教科書は別に隠すためのものではなかったらしい)、俺の方を見ることもない彼。クロコを気にしすぎてつかえまくる音読の最中、ちらちらと彼に送った視線。
返す間際に見えた『黒子テツヤ』の文字を、俺は一生忘れないと思った。
君までの距離
(埋まらない二センチに)
(もどかしいのは、俺の心。)