この気持ちをどんな言葉にしよう。

 スマホをいじっている黄瀬を後ろから抱きしめて、一歩ずつ時を歩く細い針をじっと見ていた。ソファにだらしなく寄りかかっているせいで腹よりも少し上に回しているオレの腕を、黄瀬が時折ぽんぽんと叩く。かち。また一歩、針が進んだ。黄瀬の手の中の画面はゆっくりとスライドしていく。どうやら写真フォルダを眺めているらしい。花や空の写真があると思えば、薄汚れた裏路地やピンボケした足元の写真があったりして、そのどれもが見覚えのあるものだった。黄瀬はオレに送信した写真を別のフォルダに収集している。オレと黄瀬にしか見えない世界を、小さなフォルダにぎゅっと詰める。スライドする一瞬、画面に反射する黄瀬の瞬きが、同じように箱にしまわれていく。

 目の前の肩にのせていた顔を少しだけ傾ける。太陽を集めたような髪に、自分の赤色が触れて混ざる。こつ、とぶつけるようにしてみたら、笑うような気配と一緒に同じ感触が返ってきた。指先が楽しそうに画像を撫でる。緑が鮮やかな畑。売り切れが目立つ自動販売機。ぼんやりと浮かぶアドバルーン。時々黄瀬の指先や靴が入り込んでいて、それだけで世界がやさしくうつる。黄瀬が見ているものを少しだけ切りとって、オレの持つ小さな箱にも詰めていく。かち。弱めにかけたエアコンのため息が部屋を満たす。

「……これなんだったかな」
「どれだ」
「これ。何かの草っぽい」
「……ボケてて何にも分かんねえな」
「撮り直しってしたくないんスよね。最初に見えたやつと違っちゃう気がして」
「へぇ」

 シャッターを押すのは一度だけ。その時にちゃんと撮れればそれでいいし、もしブレてしまったなら、そのとき自分に見えていた世界もきっと揺らいでいたのだと思う。そんな風に語る黄瀬の声は柔らかい。ほわほわと笑う気配がする。食事も風呂もすませてしまったから、もしかしたら眠いのかもしれない。回した腕に力を入れてみる。普段より少しだけ、あたたかい黄瀬の体温。

 針が歩く音と、黄瀬の心音が重なって響く。耳の奥。胸の深く。目を閉じて息を吸ったら、黄瀬の左手が腕と同じ強さで頭の横を叩いた。ぽんぽん。髪の間に指をさしこむように撫でられて、閉じ込められた場所で息をする。後ろ頭から首の後ろ、骨をたどるようにして肩にすべる。アイフォンの青空が夕暮れになったところで、黄瀬は満足気に電源を落とした。世界が消える。全てをこの腕にしまいこむ。誰からも見えないように。望みだけを飲みこんで。

「ふは」
「……なんだよ」
「アンタ、今日犬みたいスね」
「犬?」
「甘えたな火神もかわいいよってこと」

 右のこめかみに黄瀬の唇が触れる。離れがたくて左肩に額をのせたままぎゅうっと縮こまった。そんなことしなくたってオレは逃げないよ。楽しそうな声。逃がさないためじゃない、お前をここにとどめておきたいだけだ、なんて、そんなことを言ったら黄瀬はもっと笑うんだろう。いつものきらきらとした人懐こい黄瀬はしゅんと隠れて、静けさを湛えた手のひらが触れる。両方の手で頬を挟まれて、半ば渋々上向いた。ちゅ、と唇に落とされたのはひとつだけで、鼻先と頬をたどって今度は黄瀬に思いきり抱きしめられる。声が近くなる。あの頃から今まで、ずっとこの手にある、温度。

「名前書いとこうかなあ」
「名前?」
「これオレのですって。そしたらアンタ、少しは安心する?」
「……そう、だな」

 別にどっちでもいいと思ったが、黄瀬が余りにも嬉しそうに言うものだから、オレはゆっくりと頷いていた。うん、と同じように返してきた黄瀬は、少しだけ体を離して、サブバッグから撮影で使ったという口紅を取り出した。女物の真っ赤な色。クレヨン塗ってるみたいでオレにはよく分かんなかったと言っていたそれの、キャップを外してにっこりと笑う。

「やっぱり火神には赤だよね」
「アンチョクだな」
「そう? 血の色みたいできれいスよ」

 許可も前触れもなく、着ていたシャツを剥がされた。うお、驚いても黄瀬は動じない。こだわりもなくシャツを投げ捨てて、真っ直ぐに口紅の先をオレの胸元にあてた。ほんのりと冷たく感じるのはなぜだろう。鎖骨のすぐ下あたり、隠れるかどうかなんて考えもしていないほどの大胆さで黄瀬の名前が刻まれる。Ryota Kise、なめらかな筆記体で記された所有印。最後に当然とばかりにキスマークを落として、これでよし、とキャップを閉じたそれも投げ捨てる。

「アンタはオレのスよ。ずっと、ずーっとね」
「……お前にも似合うよ」
「何が?」
「赤」

 文字をなぞる指先から腕までを抱きしめて、引き寄せたままにキスをした。合間に黄瀬が捨てた口紅を拾って、乱暴な所作で黄瀬の唇を赤に染める。きょとんとした顔がおかしくて笑えば、へぇ、と不穏な声がして、今度はオレの顔中にキスの雨が降った。ばかみてぇな顔、その言葉をきっかけにふたりでばかみたいに笑いあう。お互い真っ赤になって、お互いの名前でべたべたになって、それでようやく時計の針がちょうどを指した。音も無く日付が変わる。世界が更新される。あたたかい一日の、始まりの熱。

「……アンタがほしいよ」

 プレゼントに。キスに夢中になりながら、時計を気にしていたのはお互い様だったらしい。オレを思い切り押し倒して、胸に刻んだ所有の印をぐちゃぐちゃに伸ばす。何度迎えても尽きない感謝と祝福と、欲にまみれた美しくもない愛。それだけがオレと黄瀬をつなぐ糸だ。それだけが。それだけで。

 お前が好きだ。悩んだ末に結局いつもと変わらない言葉が心から零れて、けれどそれだけで黄瀬が満足そうに目を細めるものだから、手を伸ばして最初の夜の黄瀬を自分の元へと引き寄せた。






Always with love.
(君を包む全ての奇跡に感謝しよう。)





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