晴れ渡った休日のある日、私はハニーと一緒にアパートの裏にある空き地に来ていた。空き地と言っても土管がみっつ積んであって砂利がえらいことになっている某ネコ型ロボットに出てくるあんなご立派な空き地ではない。だだっ広い何もない空間に草がぼーぼーに生えている。以上。それだけの空き地。古びたアパートにはお似合いである。そして私にもね。ふふっ。嫌だわハニーどうしたのその白けた目。
 小型犬用のチョッキからリードを外すと、ハニーは嬉しそうに空き地の中を駆けていく。これがいわゆるうさんぽってやつ。ハニーはどうしてか、リードを外しても空き地からは一歩も出ようとしない。空き地の中をびよんびよん飛び回るだけで満足するらしい。引きこもりの私に似て小ぢんまりとした欲望。そんなハニーを見ているのが私の癒しでもある。空き地の真ん中にシートを敷いて座り込むと、ハニーは私をちょっとだけ振り向いて耳を揺らした。見てろよダーリンてか。やだかっこいいハニー結婚して。でれでれの顔を見て刻まれた眉間のシワは愛情故だと思っておこう。

 大体はハニーが満足するまでの間ここにこうして座っているので、私にはすることは特にない。ハニーを眺める。眺め倒す。ウフフ。ハニーの背中に穴があくまで見つめてやるわと思ったそのとき、空き地の外周ロープの向こうからこちらを見ている誰かを発見した。ニット帽にナイスなストールを巻いて、下は普通のパンツファッション。あらオシャレ。首から下は農家みたい。なんて言ってみたところでファッションなど何一つ分からない私である。今のところは推定不審者。そんなことはどうでもいい。問題は、私があんな感じの人間を知っているということだ。しかもなんで爆笑してんの、あの人。

「……ドウモコンニチハ」
「こ、こんにちは、っス、」

 殊更ゆっくりと立ち上がって不審者に近寄りご挨拶申し上げる。予想通り。不審者はただの黄瀬涼太だった。ただのと言うにはイケメン度が振りきれているがそれもどうでもいいことだ。なんで爆笑してんのこの人。死んだ魚の目をした私を心配してか、ハニーが足元までもさもさと駆け寄ってくる。嬉しいわハニー。でもパンツの裾は噛んじゃ駄目って約束よ。どうせなら未だに笑みの余韻を残す黄瀬涼太の鼻でも貫通してやってほしいところだ。

「今日はお仕事じゃないんですか?」
「ついさっき終わって今帰ってきたとこなんスよ。オネエサンはお休みですか?」
「あ、はい。ただのオーエルなので」
「OL! いっスね、オレ好きっスよ、OL」

 何が良くて何が好きなのかはさておいて、入ってもいいかと問うような仕草に一歩下がることで意思を示す。ていうか今のはセクハラか。訴えられないのか。ただしイケメンに限るってやつか。ナチュラルにぶっこみやがってイケメンめ。しかしこいつはホモである。ホモにセクハラされる喪女。私だけにクリティカルヒット。帰ったら泣こう。

「あのうさちゃん、オネエサンのとこの子ですか?」
「そうです。私一人暮らしなので、寂しさ解消というか」
「あんなにおっきいうさちゃん初めて見たっスよ〜。最初見えたとき子犬かと思って。一緒にいたら寂しさだいぶ解消されそう」
「フレミッシュジャイアントって種なんですけど、アレでもう8キロ半はありますね」
「8キロ半!!?」

 穏やかな顔でハニーを見ていた黄瀬涼太の顔が驚愕に染まって私を振り向く。うさぎ飼いでも驚かれるのだから、うさぎを飼っていない一般人の反応と言えばこんな感じが大抵だった。私の気分は割と爽快。そうでしょうすごいでしょう、うちのハニーはハートも肉も目いっぱいよ。

「はー、すごいっスね……名前なんて言うんスか?」
「ハニーです。純日本生まれなのに申し訳ないとは思ってます」
「ハーフみたいで良い名前じゃないですか。ハニーちゃん美人スねえ」
「オスですけどね」
「ハニーくんスか!? オレちょっと親近感わいたっス!」

 顔が美人で名前もメスみたいなハニーのどこに親近感をもったのかは分からないが、あんまりにも目が輝いていたので「更に言えばタマ無しなんですけど」と言うのはやめておいた。ハニーの名誉とイケメンのプライドのためにも。ぽてぽてと歩くハニーは今日もかわいい。でもあなたうさぎなんだからもう少し跳ねてもいいと思うわ。

「そういえば、不躾ですけど」
「なんスか?」
「ええと、先日ご挨拶したかがみさんて、お名前を漢字にするとどうなるんですか?」
「ああ、かがみスか。えーと、火の神様って書いて火神っスね。下の名前は大きいにわれ、って字でたいがって言うんスけど」

 黄瀬涼太が空中に指で書くのを追って、脳内でかがみさんのフルネームを書いてみた。火神大我。何それゴツい。というか雄々しい。紹介の仕方もゴツかった。火の神様ってあなたちょっと確かにそれ以外言えないけど。

「かっこいい名前ですねー」
「そっスねー。まああいつ、未だに自分の名前書くの苦手なんスけどね」
「エッ、あ、や、まあそういうこともあるんじゃないでしょうか」
「帰国子女で、小学校くらいから高校入るまでアメリカいたんスよ、あいつ。そんで、今もスポーツ推薦で入った語学系の学部でずっと英語やってるんで、漢字には全然触ってないみたいで」

 馬鹿っぽいっスよねえじゃないちょっと待て、今の会話の中で火神さんのスペックがいくつか暴かれたわけだけど、あまりにも一般人からかけ離れてる気がしないか君。いや目の前のあなたはそもそも芸能人だからそういうイメージ薄そうだけど。帰国子女? スポーツ推薦? 英語ペラペーラ? しかもそれなりのイケメン。女子が飛びつく要素ぎっしりじゃないの。侮れんファイアゴッド。さすがのハニーもびっくりの余りタンポポを貪り食ってるわ。おいしそうで何よりよハニー。

「普段からこんな感じでお散歩してるんスか?」
「ええ、まあ、そうですね。うちの子大きめなので、家の中だけじゃ狭くって」
「あんなに大きいんじゃそうっスよねぇ。だだっ広い空き地にオネエサンひとりで座ってて、最初何かと思っちゃったっスよ」
「……もしかしてそれで笑ってました?」
「あ、バレてました?」

 あはは。じゃねーよ。人を勝手に悲しいロンリネスにしてるんじゃないわよ。あんまりシュールで〜と笑う目の前のイケメンの両目に二本ずつ指をぶっこんでやりたくなったがそこは年上の意地というものである。ねえハニー私ったらちょっと茶目っ気がすぎるわね。ウフフ。

「オネエサン今ひとりなんスか?」

 うるせえこのホモ。私のダブルフィンガーが火ぃ噴くぞ。

「……そうですね残念ながら」
「あ、や、違うんスよ、そういう意味じゃなくて、その」

 なんだよはっきり言えよ。イケメンがもじもじしたって何がどうなるわけでもないわよ何よハニーちょっと見てよこのイケメンのもじもじ絶対私よりかわいい。ほぼスッピンの残念な作りを晒している私の隣、仕事帰りで完璧なメイクのイケメンがもじもじなう。顔面格差社会の縮図。死にたい。

「さっきメール来て。その……オレも、もうちょっとだけ、ここいてもいいっスか」

 空き地の柵を挟んで向こうとこちら、そんなに開けた場所でもない。持っている携帯のストラップはシンプルなプレートがひとつ、そこに紅いクォーツがついている。ああ、はい、待ち合わせですねなるほどね。それはいいけどなんでここで待ってんの。こんな喪女と一緒にいるくらいなら家入ってぬくぬくしてなさいよこのイケメンが。なんてことは口に出しては言わないが。あと今まで黙っててあげたけどハニーあなた草の上にねっ転がってないでちゃんとお散歩しなさいよ何しに来てると思ってるのよかわいいちくしょう写真撮ろう。携帯携帯。

 私がポケットから携帯を出してピロ〜ンピロ〜ンしている間、そういえば居たなという感じの黄瀬涼太はぼんやりとハニーを見ていた。無言の肯定を受け取ったとでも思ったのかも知れない。別段気になるようなことでも無かったので、そのままハニー撮影会を続行した。冬にしてはぬくい太陽の光の下で、ハニーの焦げ茶色が愛しい。ふかふかしていそう。でも知ってるのよハニー私が一歩でも近づこうという意思を見せたらあなたが飛び起きるなんてそんなことは。取って食ったりしないわよ何よそんなに警戒しないでよ泣いちゃうわ。このドエスめ。愛してる。

「そういえば、今日はどんなお仕事だったんですか」
「今日っスか? 今度のテレビの打ち合わせと、雑誌の撮影っスね」
「はー。よく分かんないですけど普通ですね」
「そんなもんスよ、俳優なんて。多分オネエサンが思ってる通りの生活してるし」
「雑誌って、ファッション雑誌ですか」
「そうそう。ティーン向けの。でもオレ、服合わせるのとかほんとはあんまり得意じゃなくって」
「……今日の服はご自分プロデュースで?」
「あは、オネエサン結構はっきり言うっスね」

 仕事で着せ替え人形させられる代わりに、普段は着たい服しか着ないんスよ。そんな風に言いながら、完璧に手入れされた手でストールを撫でる。淡い色のストールは少しだけよれてしまっている。まじまじと見るとやっぱり黄瀬涼太はイケメンだった。見ているだけで眩しいが、やはり美人も三日でなんとやらと言うだけあるし、こんなイケメンも毎日見ていれば見飽きてしまうものなんだろうか。勿体ない。思いながらハニーを見る。くぷくぷと本格的に寝に入っているハニーは毎日見ていても飽きなどこない。むしろ呼吸と同じ数だけ見つめたいほどである。それは多分私がハニーを愛しているからで、愛だ、愛なのだ、必要なのはそれだけだ。ただでさえイケメンなのに見飽きないイケメンなんていたらそれこそ大変そう。

「ハニーくん、いつも散歩はここなんスか?」
「あ、えっと……そうですね。大体は」
「この辺公園もないですもんね」
「私が車の免許持ってればいいんですけど。取り損ねちゃって」
「学生時代っスか? オレもっスよ」
「そういえばここ、駐車場も何にもないですよね。お出かけはいつも歩きですか?」
「んーと、バイクっス。オレは運転しないけど」
「ああ。二ケツってやつですか」
「二ケツってやつです」

 にひひ、と笑う黄瀬涼太は、私が職場で見慣れている恋する女の子そのもので、それでいてやっぱりイケメンだった。恋する子はどんな風であれかわいいと思う。それがきっと恋の原動力というやつだ。私もハニーに恋してるのに全くかわいくなれない。おのれ恋の原動力。顔面差別はよくない。内面差別はもっとよくない。ちくしょう。

 座り込んだ私が雑草を千切っては投げ千切っては投げハニーに冷たい目で見られ始めた頃、どこかからチンチロチンチロ音楽が鳴り始めた。咄嗟にポケットに手をあててみたけれど、私の携帯はどんな情報が入ろうとも振動のみで伝えてくる武士のような携帯なので、今のは他の人の携帯の着信音ということになる。つまりは黄瀬涼太の携帯。さっき見た。というか私の携帯はハニーを激写しまくったそのままの状態で、目の前に転がってじとりと私を睨んでいた。まさに野武士。ああん。

「もしもし、……知ってる。もういるって」

 予想通り、隣には電話をとった黄瀬涼太。もしかしなくても火神さんかな。待ち合わせって言ってたけどこれからどこかにでも行くんだろうか。野暮なことはしない方がいいかと腰を浮かせかけたけれど、そういうあからさまな気の遣われ方を気にするタイプだったらどうしようと一瞬の迷いが生じ、私はそのまま空き地に両手をついた。地を這う姿はまさに逆エクソシスト。でもあれエクソシストがえらいことになってるんじゃなくてなんていうの、ゾンビ? 祓われるべき悪霊? とりあえず私も逆じゃなくて正位置エクソシストになってハニーの元までずりずりざかざか走るべき? なんだか思い出したくない物体を思い出すわねハニー。これが所謂自爆ってやつよ。

「買い物? んなのこれから行けば、……あっそう。ふぅーん。別に。……知んないスよそんなん。やだ。絶対やだ。……うっさい。もう知らな、」

 あらやだ喧嘩かしら。出会ったばかりのはずなのに丸わかりなほど我儘爆発な黄瀬涼太と、同じく丸わかりなほど甘やかし上手な火神さん。こんなふたりでも喧嘩はするのね。まさに犬も食わないってやつね。ハニーのデコ部分にタンポポの葉っぱを植えてみる。案外かわいいわハニー。ウフフ。黄瀬涼太は控えめでも苛立ちを隠せないような声色で、時折舌打ちを交えながら口論を続けている。イケメンは怒ってもイケメン。なるほど。聞くところによれば買い物に一緒に行きたい黄瀬涼太と買い物は任せろな火神さんとの擦れ違いのようだけど、そんなもんでこんなに言い合うものかしら。

「……グラタン。マカロニ入ってるやつ」

 カンカンカーン。ウィナー、火神大我ー。頭の中で響くゴング。どんなに苛立っていても火神さんのご飯で釣られる黄瀬涼太マジどんだけってやつよ。どんだけ美味しいの火神さんのご飯。ボディブローを喰らった上にじわじわと感じるこの悔しさは一体何。教えておじいさん教えてハニー。私の錬金術じゃどう考えてもこの声は引きだせない。昨日作った微妙にもほどがある味のシチューを思い浮かべながら涙をこらえる。黄瀬涼太はもう通話を終えたようだった。

「オネエサン、オレもう行くっスね」
「……お買い物ですか」
「あ、その……そです、だから、えと……バイク出さないと」
「…………お疲れサマデス」
「オネエサンも」

 持ったままだったタンポポの葉っぱをひらひらと振る。黄瀬涼太はほんのり赤くなった頬を隠すみたいにして、ストールを翻して走って行った。何一つ隠せていないが今それを言ったところでどうなるというわけでもないだろう。気づきたくなかったけれど、左耳に下げられたピアスはフック型の赤色だった。ど、どんだけ〜……言ったところで以下略。ハニーのデコを撫でて精神統一。諸行無常。天使のテーゼはいつだって残酷である。いとあはれなり。

 最後に後日、ごみ収集所でばったり会った火神さんに、世間話をするついでに「そういえば黄瀬から聞いたんですけど、せっかくの散歩中だったのにあいつに付き合ってくれて、ありがとうございました。あいつすっげー寂しがり屋で、あんまりひとりじゃいられなくて」と感謝されたことだけを付け加えておこう。左耳には見覚えのある形の黄色いピアス。火神さんの照れ顔と裾のえらくよれたシャツに下がるドッグタグ。追加情報過多すぎワロス。そのときの私の顔は各自で想像してみてほしい。ちょっと顎の出たシャイニングのお父さんだと思って頂ければ大体遠くない。遠い目をして昨日はお楽しみでしたね〜?なんて言えるはずもない私は、とりあえず呪詛のひとつでも呟いておこうと口の端から神様へ告ぐ。

 世界中のリア充が足の小指を豆腐につっこんで微妙な顔になりますように。豆腐は私が責任もって食べよう。ただしイケメンに限る。全米は私の雄姿に泣け。



オマケ




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