「どうもお世話様です〜」

 ずっしりと重さを感じる宅配便を受け取って、気さくな黒にゃんこのお兄さんを見送った。モテない喪女の生活に存在するオスは大切にしておくべきである。たとえそれが行きずりの名前も知らないお兄さんであろうと、通りすがりのリアル黒にゃんこであろうと。ハァイにゃんこちゃん、今日もプリティね。視線があったにゃんこは私を見て一度立ち止まり、それから颯爽と去っていく。不毛なことしてんじゃないって? 放っとけ。
 部屋に入って鍵とチェーンを閉める。施錠だけは生まれてこの方親に叩き込まれ続けたものだから、家中の鍵という鍵はきちんと閉めてある。それがどこか閉鎖的な印象を与えるのは致し方ないことだ。しんとした居間に戻れば、今日も愛しのハニーがいる。ごめんなさいハニー、私ちょっとセンチメンタルジャーニーなの。ほんとに旅に出ちゃいたい。蒸発したい。あなたも一緒に来てくれる? 聞きながらハニーを撫でようとして手を出したら噛まれた。ああん。

 届いたものは実家からの荷物で、中身は箱ぎっしりに詰まったお米の袋のようだった。昔から実家で食べてるやつ。自分でも買うようになったというのに、母はやたらと実家ナイズされたものを送ってくる。それがきっと母の愛なのよね。一番上にクッション代わりに巻いてあった足ふきマットをどかしたら、そこには予想外にもう一段、敷き詰められた海老煎餅の小袋がみっつ。ひとつは気圧の関係か運搬中の予期せぬ事故か、何らかが原因で爆発していた。箱の中に散らばる海老煎餅。母直筆の貼って剥がせるメモが鎮座。「えびせんだ!」はい確かに、これは紛れもなくえびせんです。ひとつ拾って食べる。歯ごたえあっておいしい。箱の中はそれきりで、送って欲しいとメールした、実家で使っていたベルトは入っていなかった。お母さんのすっとこどっこい。

 ハニーにちょっと出かけてくると言い残して、自転車で数分のスーパーに向かう。家を出るときにちらり見えたドアの向こうは真っ暗で、あのリア充ども今日は家にいないのかしらと首を傾げた。ハリスインパクトゥすぎる出会いから一週間とちょっと、ふたりは余り規則的な生活リズムを感じさせない。やっぱり芸能人と学生じゃ社会人とはリズムが違うのも頷ける。お隣さんというだけでダイナミックにお邪魔する機会があるはずもなく、乗り慣れた自転車を転がして走り出す。行くわよフィナーレ。無機物にやたらと名前をつけるのが我が家の掟。ちなみにフルネームはフィナーレ=ファンファーレ=フェロシアン。賢者の石と目されたことのあるオシャレ感がポイント。

 フィナーレの疾走感に酔いながらスーパーに到着し、表に止めて店に入る。スーパーのこの何とも言えないごちゃごちゃ感が私は好きだ。カゴを持ってうろうろするのも好きだけど家ではハニーが待っているので、必要最低限の買い物をして早く帰らねばならない。脳内でミッションを組み立てながら、最初のターゲットであるきゅうりの前に仁王立ちする。ふむ、今日も色つやの良いきゅうりたちである。苦しゅうない。それにしても未だにどれが良いとか全然分からないわ。ハニーが好きそうなやつにしよう。あの子きゅうり嫌いだけど。

 お味噌が切れていたんだったと棚の間を歩いていたら、有象無象の散らばりだった背景に不意に違和感をもった。踏み出した一歩を下がる。ドレッシングと調味料類の棚の間、高身長がふたり、片方はベリーショートに帽子をかぶって、太い縁の眼鏡より下をマフラーで埋めている。もう片方はカートを押す赤い色。かがみさんだ。ということは、その隣は黄瀬涼太か。変装というには自然体だったけど、パッと見は全く分からない。連想ゲームでもあれから黄瀬涼太を回答するのは難しいだろう。普通にお出かけするのも大変じゃ気を抜く暇もないのかしら。ちょうどふたりがいる棚の、通路を挟んで反対側に味噌があった。しゃがみこんで吟味する。楽しそうなふたりの声が私まで届く。

「和風のやつが良いっス」
「つっても、お前今日はイタリアンの気分とか言ってなかったか。さっき」
「言ったっスけど〜でもドレッシングは今日だけじゃないし」
「あー……ならレシピちょっと変えるか。好きなの入れろ」
「やた!」

 見えない場所でがたん、ドレッシングの瓶がカゴに落ちる音がする。黄瀬涼太は自分の欲しいドレッシングを手に入れたらしい。経験値が1上がった! どっちかと言えば上がったのはかがみさんのような気がしなくもない。というかさっきの会話、ねえハニーどう思う? 男ふたりでどうやって自炊するのかしら〜どっちも苦手なのかしら〜ふたりでわちゃわちゃ夕食作ってマズイとかヤバいとか言いながら食べるのかしら〜良いわねリア充ね〜って妄想してたけど、もしかしてかがみさんは今時クソ珍しい料理が上手な乙男系男子なのかしら。マジかよ。カレーすら異様な物体に変貌せしめる私の隣であんなガタいの良い男の子がイタリアンなんて作ってしまうの。世の中どうなってんの。ねえハニーどうなの。味噌を見ながら世の中の不公平さを憂う私。脳内のハニーは今日も元気に船を漕いでいる。

 かがみさんががらがらと押すカートに黄瀬涼太がひっついていく。鼻唄でも奏でだしそうな軽やかな足取り。つい後ろ姿を目で追ったら、黄瀬涼太が長めの袖の先でかがみさんのシャツの裾を掴んでいることに気づいてしまった。あそこだけへろへろになってるわ。あれきっと癖なのねハニー。私がハニーのお腹を枕にするようなものね。私はドツかれるのにかがみさんは怒らないのね。ちくしょう。

 次の用事であるお茶のペットボトルが同じ方向にあったため、やむを得ずふたりの後ろをついていくことと相成った。私ストーカーみたいねハニー。喪女こじらせすぎて頭イっちゃったみたいね。ウフフ。帰ったら泣くからお腹貸しなさいよ。そんなつもりはないんですと言い訳するように身を隠しつつ、余計に怪しくなりながら通路を歩いていく。つい目線がいってしまったので不可抗力と言いたいのだが、かがみさんの持つカゴの中身は大体が食材だった。出来合いのものはひとつも入っていない。お惣菜よりも調理する人の持つカゴだ。やっぱりかがみさんは料理男子。なるほど。つい先日テレビで言っていたことを思い出す。オレ料理出来ないんスよと眉毛を八の字にしていたのは今を時めく黄瀬涼太だ。お隣さんともなるとこんな私でも目が行ってしまう。あのニュースが出る前のことらしく、共演者は彼女は料理できる系か〜なんてつっこんでいた。彼女ではないけれど、確かに恋人は料理できる系である。狙い通りのディスティニーってか。ちなみにこのテレビを見たのは近所のラーメン屋さんでした。うちにテレビは無いからね。ひとり焼肉もこなす私に死角はない。

「ねぇ、今度オムライス作って」
「オムライス? 良いけど……今度の休みっていつだよ」
「んー、あー、たぶん再来週……の次の週だから、えーと」
「月末な。あとでちゃんと聞いとく」
「うん」

 メモを持って左方を見るかがみさんと、その裾をひっぱりながら右方を見る黄瀬涼太。視線は合わないままなのに、かがみさんがふっと笑ったことに気づいているらしく、つられるようにして黄瀬涼太も笑う。目元しか見えないはずの表情が、うん、の音にこめられて伝わるようだ。何今の甘い声。こっちが照れるわよしてやめて。カートを押していたかがみさんの手がぎゅっと握られたように見えたのは、多分、間違いなく、そういう理由だろう。若い恋っていいわねハニー。胸がぽかぽかしちゃうわ。

 とっとと買い物をすませて帰ろう、愛飲している緑茶をカゴに放り込んで、その隣にあるほうじ茶をどうしようかと考えていたら、さっきのふたりが後からがらがらとカートを押して背後にやってきた。お茶の後ろにあるのは冷凍食品のケース。料理をするかがみさんでも冷凍食品は使うのねと思ったらなんだか親近感がわいた。錬金術師の私とシェフかがみさんの間にも共通点はある。ゲッツ。なんだか嬉しくて勢いのままほうじ茶のボトルもつかんでカゴに放り込んだ。

「こんなん買うんスか?」
「まあ、少しくらいはあってもいいだろ。お前、万が一オレが遅いときに早く帰ってきたりしたら飯どうすんだよ」
「アンタが帰ってくるまで待ってる」
「餓死する気か」
「じゃあ、アンタが何か作って置いといてくれたらいいじゃないスか」
「お前に冷たい飯食ってほしくねぇんだよ」
「冷凍食品とかおいしくねーもん。ヤダ」

 おっと黄瀬涼太それは聞き捨てならない。思わず出そうになった手をなんとか押しとどめる。最近の冷凍食品は結構おいしいのだ。餃子とかたこ焼きとかお好み焼きとかハンバーグとか。およそ粉っぽいのはともかくとして。一人暮らしの悲しい性よ。というかさっきから聞いてる感じ、黄瀬涼太ってわがまま過ぎない? どうなのその辺。甘えた爽やかわんこ系人気モデルの姿はやっぱり彼の一部にすぎなかったの。いやあれも甘えた全開ではあるんだけど。

「最近の冷凍モンて結構うまいぜ?」
「ンなことどうでもいい。アンタのご飯食べたくて同棲したのに、そんなんじゃ一緒にいる意味ないじゃないスか」
「……そりゃ、なんつーか……そうかもしれねぇけど」
「アンタの飯を、アンタと食うことに意味があんの。分かってなかったの?」

 かがみさんの言葉にデスヨネー!と内心同意していたら、黄瀬涼太がほんの少しだけ大きい声を出してそう言った。声の色は心外、って気持ちがにじみでている。それでも手は離されないから、たぶん、喧嘩じゃないんだろう。表情なんて見えるわけもないまま、かがみさんが持っていた冷凍食品を置いた音だけを耳に感じる。「……分かった」そう言った声はやっぱり少しだけ、なんていうか、嬉しそうだった。

 先にスーパーを出て行ったふたりを見送ることもなく、レジを通って買い物を袋に詰める。予定になかった小松菜を買ったのは、私も少しはほっこりした気持ちを味わいたかったからだ。ハニーが唯一好きな野菜。しゃくしゃくいいながら小松菜を食べるハニーを見ているのがここのところずっと私の幸せタイムになっている。自転車置き場に凛々しく佇むフィナーレに乗って、いつもより少しだけあたたかい帰路を走る。明日も仕事だわ。変わらない日々を愛せることも、恋や愛のお陰なのかもしれない。今帰るわねハニー。

 アパートよりもずっと手前、歩いて帰るふたりを追い越した。小さめの袋を持つ黄瀬涼太と、少しだけ大きめの袋を持つかがみさん。真ん中にある手の甲同士がずっとくっついて揺れていて、寒さで寄り添うことのあたたかさを教えられたような気がした。フィナーレに名前通りラッパでもつけておけばよかったかもしれない。そうしたら、思い切りファンファーレを奏でつつ、その間を高笑いしながら通れたのに。まさに最高のフィナーレ。幸せはそんな風にして、この世界を彩っていくものなのだ。それってやっぱり素敵なことよね、愛しのハニー。


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