即興小説トレーニングより
お題:汚れた挫折
必須要素:爆弾
制限時間:1時間
オレにとってあいつは、友達だった。あいつもそうだったと思う。多分、きっと。
大学を卒業して、初めて秀徳高校バスケ部から同窓会のお誘いがあった。今時珍しい往復はがき。参加に丸をつけたことを忘れそうになった頃、オレは懐かしい風景の中に立っていた。ごった返す夕暮れの駅前。改札を通したICカードを尻のポケットに入れて、未だに衰えを見せない視野でぐるりと周囲を見渡してみる。見慣れた顔はすぐに見つかった。以前より少し濃くなった髪色の、長身をもこもこなコートで包んだ先輩の後ろ頭。
「みーやーじさん!」
「あ? おう、高尾か」
「ご無沙汰してまーす。宮地さん最初っすか」
「木村と一緒にな。あいつ今煙草吸いに行ってる」
「あー。木村さんまだ吸ってんすか」
「嫁さん嫌煙家らしいぜ。もうすぐお別れだなーって泣きながらマイセンの箱握りしめてた」
「なんですかそれムービーしといてくださいよ!」
「うるっせぇ、つーか抱き着くな鬱陶しい! 轢くぞ!」
脳裏に描いた先輩の姿はどうしてもあの体育館で見ていた姿と重なって、うわあと思ったのを宮地さんに抱き着くことで誤魔化した。時の流れを思い知るのはもっと後になってからでいい。だから先輩、そんなに邪険にしないでください。でもこれも懐かしい。あはは。
「宮地さん髪色暗くしたんすね」
「そりゃ、営業始めんなら第一印象大事だろ」
「第一印象悪い方が後々の印象は良いって言いますけど」
「お前ン中のオレの評価はどうなってるわけ?」
ぐりぐりと頭から押しつぶされながら、第一印象は悪い方が良いんですよおとオレは頑なに主張してみる。だってそうだった。オレとあいつは、お互いの最初の印象がすごく悪くて、でもそれが結果的には良い方に傾いた。そう思ってる。オレは今でも。
「そういやお前、緑間は」
「……はい?」
「あいつ来てねえの?」
宮地さんが何気なく聞いてくる。心臓が握りつぶされるような音だった。緑間。みどりま。ああ、あいつは確かにそんな名前だった。高校を卒業した途端にぷつりと連絡が途絶え、それから一度もオレの舌に乗ることのなかった名前。オレが呼ぶことを諦めた名前。それを先輩は、こんなにも簡単に紡ぐ。
「い、や、その……聞いてないです」
「聞いてねぇ? お前らあんなニコイチだった癖に。喧嘩でもしたのか」
「喧嘩、なら、良かったんですけどね」
「はァ?」
意味わかんねえ、言いながら、宮地さんはオレの頭をぐりぐりと撫でた。そうなんですよ宮地さん。喧嘩なら良かったんですよ。だって、喧嘩だったらごめんなって言えばいいし、それでも怒られたら、距離を取るにしたって少しは納得して離れられる。どちらが悪かったというよりも、理由が知りたいだけなのだ。オレとあいつの間にあった絆とかいうつながりが、そんなにもろいものだと思いたくなかっただけなのだ。
みどりま、そう、緑間は、オレに何も言わないまま姿を消した。好きだなんて一度も言ったことはなかった。緑間がそんなことを望んでいるはずはなかったし、オレもそれを伝えてどうということはなかったから、それで良かった。ただ真っ直ぐに緑間のことを見ていたかった。触れたいと思わないこともなかったけど、例えばシュートを決めてハイタッチしたり、円陣のときに肩を組んだり、オレにはそれだけで十分だった。ただ見ていたかった。隣で、一番近くで、あいつのことを。それさえも、オレには許されないことだった。ただ、それだけのことだった。
「うまくいかないですよね、どれもこれも」
「……人生、そううまくいくことばっかじゃねぇだろ」
「でも、……宮地さん、オレのこと、未練たらしいと思いません?」
「その辺の女よりも女々しくてウッゼェなって思ってる」
「わー思ったよりも酷かったー」
宮地さんひどい。それでも、やさしい。久しぶりに意識的に思い起こした記憶の底の緑色は、あの頃よりも澄んできらきらとひかっていた。思い出はうつくしい。コートの中で目を細めていたオレに、あいつはどう見えていたんだろう。思い起こす姿よりもずっと汚く、どろどろとして、それでいて、とてもきれいだったんだろう。胸がぎゅっと痛くなる。宮地さんひどいです。呟いた声は情けなくも震えていた。ばかじゃねーの。返された声は、あたたかい。
好きだと、言ってみたかった。好きなやつの隣にいて、好きだと思って、胸がくるしくなりながら、一度くらい伝えてみたいと思ってた。気持ち悪いと思われても、応えられないと言われようが、オレはお前を誰よりも好いているよと、伝えてみたかった。あいつはどんな顔をしただろうか。例えばあの頃、臆病だったオレが、少しだけずるをして左手の指先にキスをしたことを知ったら、あいつはなんて言うだろう。卑怯者なのだよ。なんて、そんな風に言うんだろうか。それでも良かった。あいつから向けられる感情は、どんなものでも、愛してた。あいつは優しいから。泣きたくなるくらい、やさしいから。
「……諦めようと思って」
「それで、珍しく来たってか。オレらの飲みでもねぇのに」
「そうでもないと、あいつも来ないじゃないすか」
「無視ばっかしやがってな。あいついつかぜってぇ轢く」
「轢いても良いんで、オレが死んでからにしてください」
「断る」
「じゃあまとめてで良いです」
「……お前ほんと気持ち悪いな、昔っから」
「あはは」
緑間がいない世界に生きることを、オレはこの数年で覚悟してきた。もうずっとオレの隣に緑間はいなくて、それでもオレは自分が息をしていることに驚いた。驚いて、それで、慣れてきて、今はもう、諦めていた。携帯を握りしめて、宛先に緑間の名前を入れて、その画面を消す度に思った。オレの世界と緑間の世界は交差しない。そういうものだ。手なんか届くわけもない。そういうものなんだと、諦めてきた。抱えた思いは爆弾のようだと思っていたのに、それは緑間という火種を失って、ぶすぶすと鎮火していった。だからもう良い。良いんだ。
あいつにとって、オレが友達だと言うのであれば、それで良かった。もうそれだけで。だってそうだ、排他的なあいつの隣に3年間いて、あいつの名前を呼んで、あいつに呼ばれて、パスを出して受け取って、それで十分だった。オレは誰よりもあいつに愛されてきた。オレという存在を。それでいいじゃないか。十分だ。
「お、木村」
宮地さんに頭を抱えられたまま、おう宮地、と声のした方を見上げた。その隣。長身の男。うわあ、頭の中で呟いた。落ちた声は音にならない。嘘だろ、思って合わせた蜂蜜色の瞳は、ざまあみろとでも言いたげに細められていた。嘘だろ。もう一回、思う。緑色の懐かしい色は、記憶よりも鮮明に、ただ鮮明に、そこにあった。手を伸ばしたら届く。息がつまった。抱えられたオレを見て、その色が、緑間が、口を開く。ああ。
「……久しぶりだな、高尾」
再戦の狼煙
(今すぐお前に、愛してると、伝えたい。)