静かな歌声で目を覚ました。
ぼんやりと浮上する意識の中で、懐かしい異国のメロディを聞く。覚えがあると思ったのは当然のことで、オレがよく子守唄に口ずさんでやっている歌だった。起き抜けに聞くには穏やかすぎる音の流れ。夢の続きかと思ったのは、意識の奥底で聞いていた歌もこんな音色だったからだ。外部の音や温もりが深層心理に働きかける。カーテンから零れる白い光は、すでに日も高くなっていることを示していた。
「あ、起きた?」
「おう。……随分寝たな」
「おはよー、ねぼすけ」
寝返りをうったオレに、伸し掛かるようにして黄瀬が笑う。お前もだろ、と笑い返せば、オレの方が早かったもんとかわいくないことを言われた。直前に黄瀬が投げた物を思い返す、どうやら本を読みながら歌を口ずさんでいたようだ。変なところで器用なやつ。オレの胸の上に顎をのせてご機嫌に笑うその頭をわしゃわしゃと撫でれば、甘い蜂蜜色の目が細められる。朝だな、と思った。たったそれだけで、オレの一日が始まる。
「腹減ったか」
「ちょびっと。まだいいっス」
「ん。……おはよう、涼太」
「うん」
頭をぐりぐりと押し付けてくるせいで、素肌にぱらぱらとあたる髪がこそばゆい。何が楽しいのか足をばたつかせている黄色い頭をなだめるようにしてぽんぽんと叩く。左耳のピアスホールには、クリスマスに贈ったばかりのルビーのピアスが収まっていた。我ながら独占欲が強いとは思うけれど、黄瀬の左耳に赤い色が光っているのは気分が良い。手を伸ばして触れたら、気づいた黄瀬がまた喉を鳴らして笑った。
「アンタすっげー顔してるよ」
「……どんな顔だよ」
「オレのこと好きで好きでたまんないって顔」
「バスルーム行って鏡見て来い」
「やぁだ。もうちょっとごろごろしてよ」
めくり上げた布団をもう一度がばっとかぶって黄瀬が引っ込む。お前は猫か。というか亀か。丸まって布団のはしをしっかりと掴んでいるものだから、引っ張り出すのもどうかと思ってそのまま放置してみる。枕元の時計の針は案の定、もうすぐ午後になることを告げていた。飯何にするか。昨日残したおせちどんくらいあったかな。
もぐりこんだままの黄瀬がもぞもぞと何かしているのを気配で感じながら時計を戻した、その瞬間に油断していた腰にがばっと抱き着かれた。「うおっ!」ついでのようにがぶっと噛まれた腹への衝撃に変な声が出る。何やってんだこいつ。あほか。
「ぶっは、大我ちょう変な声!」
「な、に、してんだコラ!!」
「アンタが構ってくんないからじゃないスか」
「構ってやってんだろ、これ以上なく」
「やーだー。もっとオレが鬱陶しいって罵るまで構って」
「目標設定がおかしいと思うのはオレだけか」
「アンタはずっとオレのことだけ構ってればいいと思うんスけど」
「あっそう」
呟くように言う黄瀬は未だに布団にもぐったままだ。途中から何か変だなとは思ったが、それを指摘するとまたヘソを曲げてしまうので言うことはしない。代わりに、布団に手をつっこんで頭を撫でる。ぎゅう、と力が入ったのを見るに、対応は間違ってはないらしい。身長の高い男は撫でられるのが好きだという話は本当だったのかもしれない。実際、オレが黄瀬の機嫌をとるとき、頭を軽くたたくか撫でるかするのはいつものことだった。身体接触の好きなやつ。寂しがり屋もいいところ。
オレの腹に頬をくっつけて何かを考えているらしいその頭をぽんぽんとたたく。また変なこと考えてるんだろうな。そう笑い飛ばすのは簡単だったけど、黄瀬が自分で何かを考えるのは悪いことじゃない。抱え込むのでなければ何を考えようと構わなかった。横頭をたどって耳に指をかける。もう一度ピアスを撫でるように触れたら、黄瀬がはあ、とため息をついた。
「さっき、アンタの夢見たっスよ」
「オレの夢? へぇ」
「でも初夢って今日の夜見るやつだから。去年のオレは運が悪かったんスね」
「オレは悪夢か」
「うん」
やけにきっぱりと答える。夢見としては随分悪かったらしい。夢の中のオレがなんと言ったかはオレの知るところではないので、現実のオレが尻拭いをするのはかなり難しい。難しい、が、結局してやるしかない。もう一度へぇ、と相槌をうつ。ピアスを撫でるオレの手を黄瀬の手が同じように撫でて、それから指をぎゅっと握る。黄瀬を好きだと言って好きかもしれないと言われてから、手をつなぐことが増えたなと思う。黄瀬は案外指先フェチ。
黙り込んだ黄瀬にオレも同じように口を閉じた。ぼんやりとした静かな部屋で、布団の内と外で隔てた距離のまま、黄瀬がまた鼻歌を音に乗せる。「……大我もうたって」囁くように呟いた、その声にかぶせるようにして歌う。あちらの国の子守唄。歌詞が分からない方がよく分かんなくて寝られるんスよ、そういった割に黄瀬は簡単な単語ばかりの歌を好んで聞いた。
「これ、どういう意味?」
「あー……おやすみ愛しい子、泣かずにお眠り、起きたらケーキと子馬があるよ。みてぇな、そんな歌」
「へぇー、こうま」
ポニーとかカワイイよね。言いながら、ようやく満足したのかまたもぞもぞと黄瀬が布団から頭を出した。厚めの布団にもぐっていたせいで頬が少し熱くなっている。あてた手の甲にすり寄ってくる表情はまるきり猫だ。手はずっとつないだまま、もう一度、とねだられて、同じ歌を舌にのせた。少し目線を下げて見える黄瀬の顔は、すでに何か思い悩んでいるような顔ではなくなっている。寝ちまうかな、と思いながら、それでもまあ良いかと思うオレもいる。年々こいつに甘くなる癖をどうにかしたい。それでもなんとなく、黄瀬を邪険に扱うことはできなかった。
目を閉じた黄瀬が、オレのことを大我、と呼ぶ。耳になじんだ音。返事の代わりに、つむじより少し低めのところにキスを落とした。冬でも寄り添えば暖かい。
「初夢、一緒におんなじ夢見よ」
「一緒に?」
「うん」
「良いけど……また悪夢になっちまうんじゃねぇか」
「だから、一緒に見よ。オレは最後も最初もアンタかもしんないのに、アンタばっかり良い夢見てんのって不公平じゃないスか」
「すっげぇ論理」
「良いじゃん。だめ?」
窓から降る光はきらきらとしていた。窓一枚で隔離されたオレと黄瀬だけの空間。見上げてくる黄瀬の瞼にキスをもうひとつ、とびっきりの夢見せてやるよ。言って笑ってやる。
望むところっスよと満足げに光る、その瞳に宿る火が好きだと思う。去年も今年も、多分、これから先もずっと。
鮮やかな白昼のことでした。
(ご飯食べたら買い物行こうね)
(おう。飯、何にする)
(お餅食べたい!)
(昨日あんだけ食ったのにか!)
(……や、それアンタにだけは言われたくないっス)