ぴろりん、と軽快な音がした。目を向けた先で使い慣れた携帯が知らせるように光っていて、こんなタイミングで誰だろうと思いつつまたまな板に向かう。魚をさばくのは今もそんなに得意じゃない。


「たいがー」

「んー」

「メール来てるスよ」

「んー。誰」

「んーと、……あ、タツヤさんから」

「タツヤ?」


うん、こたつに足をつっこんで丸まる黄瀬が、億劫そうに片腕を出して携帯の画面を操作する。テレビもラジオもつけずに、かといってうとうとするわけでもなく、黄瀬はずっとオレが昼飯を作る音を聞いていた。用事があるか暇になるとさっきのようにオレを呼ぶ。んー、と間延びした声を出すだらけた黄瀬を見ているのは、まあ、そう、悪くはなかった。変わりゆくオレとあいつを取り巻く世界の中で、いつまでも変わらない光景。


「読む?」

「おう」

「んー……オレは一時帰国する予定。タイガのお父さんに挨拶してくる。年明けに一度東京に寄るよ。会えたら会おう。だって」

「了解。Thanks.」


大学を出てバスケのコーチを始めたタツヤは、今では日本中の高校や中学を回って教えるほどの名コーチになっている。絶対に諦めないホットな心を伝える指導が人気だとか。黄瀬のことを未だに少し苦手に思っているタツヤと、タツヤのことをプレイヤーとしては認識していない黄瀬。どちらも、バスケのない場所ではそう関わることはないのに、お互いを気にしている風なのが面白かった。オレを挟んでしか話が出来なかった頃がなんとなく懐かしい。


「オレの方にもメールくれたんスよね。タツヤさんてマメ」

「そういうのが好きなやつなんだよ。デコメとか結構送ってくるだろ」

「クリスマスのとかすっごかったっスよ。間あいてないのに、年明けのデコメも毎回こってんスよねー」

「お前にはなんだって?」

「タイガがお世話になるよ、って。それだけ」

「へぇ」


世話してやってんのはオレだけどな、とは言わない。毎回のようにうちに来いよと言っているのはオレだからだ。それに毎回、良いよ、と言う黄瀬は、オレと一緒に年を越すことについてどう思っているんだろう。ちゃんと聞いてみたことはなかった。刺激的なことが好きな黄瀬が、こうやってごろごろとしているのは珍しくない。家の中では大人しいほう。外に出た途端に駆け出していく、黄瀬には絶対どこかにスイッチがある。今はオフ状態。

一度、ネギ切ってるときが一番良い音がする、と言われたことがあった。クラシックもポップスもロックも手広く聞くこいつの、その中でも気に入った音のひとつに、オレがネギを切っているときの音、がある。意味不明。だけど、色んな音を聞くのが好きな黄瀬に、良い音だと言われるのはどこか嬉しかった。冷蔵庫からネギを取り出しながら笑う。年の瀬っていうのは、どうしてこうも昔を思い出すんだろうな。

ネギを切って小皿に乗せて、それで全部おしまいだった。そんなに手の込んだ料理じゃない。ただの具だくさんの味噌汁にうどん入れたやつ。少し遅めの昼飯ならこんなものだ。黄瀬のためにサラダも作って、おひたしやら金平やらもカウンターに出しておく。それでようやく、こたつに埋まっていた黄瀬のスイッチが入る。のそりと起き出してきて、カウンターのものをこたつテーブルに並べて、うん、と満足そうに頷く。振り返って何飲む、と聞く、そのときの表情が好きだ。


「大我、何飲む?」

「お前の好きなやつでいい。お茶系」

「じゃ、余ってるウーロン出しちゃおう」

「七味いるか?」

「んー、んー、今日はいる」

「はいよ」


うどんを丼に盛ってリビングに戻る。あるだけのドレッシングを出して並べている黄瀬は、テーブルの上をこまごまとしたもので埋めるのが好きだった。ふたりで使うと広いから、その分ちっちゃいので埋めたいんスよ、その方が楽しいし。思い出した声は少しだけ高い。

デカいテーブルの隣同士に座って、やたらとくっついて飯を食べる。いつものことで、それがもうすぐ終わって、また新しく始まる。いつまでも続くようで永遠じゃない、時間を大切にしようと思ったことはなかった。ただ、黄瀬のことを、大切にしようとは思った。それでつながりを切ってしまいたいと言われても、続けたいと言われても、どちらにしろ黄瀬が選ぶことで、オレが選ぶことだ。噛み合わないことだらけのオレたちは、でこぼこのまま、次の未来に転がっていく。


「……何笑ってんの」

「や、別に。食おうぜ」

「なんか腹立つっスね、それ」


黄瀬の横顔を見ながらそんなことを考えて、らしくねえかなと笑ったのを目ざとく黄瀬に指摘された。右隣に座る、眉間にしわを寄せたイケメンにまた笑ってしまいそうになって、誤魔化すつもりで左手をとった。黄瀬は驚かない代わりにオレの手に爪をたてる。暴力的な恋人。その左手の薬指に、オレと同じシンプルなリングがおさまっていて、はあ、とため息をついた。離してやれねぇよな、と矛盾したことを思う。もうここまできたら、手なんか離してやれねぇよ。

うまそうに見えて、がぶっと噛みついてみた。こいつがいつもオレのことをうまそうだと言ってはがじがじ噛みついてくるその癖を模倣する。バスケをやめて久しいこの手に、あの頃オレを燃やしたプレーがある。なつかしい。


「涼太」

「いたいんスけど。なに」

「……んー」

「……年の瀬くらい甘やかしてあげよっか」

「ん?」


黄瀬の指をぺろ、と舐めてみたら、近づいて来た黄瀬の口がオレの舌にがぶっと噛みついてきた。柔らかいそこを噛まれて、背中がぞくっとする。でも肌が粟立ったのは最初だけで、黄瀬の両手に頬を挟まれたまま、欲を煽るんじゃなくて宥めるようなキスを受ける。「たいが、」薄く目を開けて、閉じたまつげの細さに心臓がぎゅっとした。最後に小さくちゅ、と音を残して、黄瀬のきれいな顔が離れていく。


「ん、おしまい」

「……なんだよ、いきなり」

「アンタがさみしいって顔してるから、慰めてあげたんじゃないスか」

「して、……たか。んな顔」

「うん。でも落ち着いたでしょ」


アンタのキスっていっつもそうだから。頬が染まってはにかむような顔、仕方ないなって笑う黄瀬は、オレが何よりも一番愛する、黄瀬そのものみたいにきれいな瞳をしていた。







穏やかな暮れのことでした。
(うどんうまー)
(そりゃ何よりだ)
(来年も大我のご飯いっぱい食べたい)
(涼太くんの仕事の都合によります)
(なら来年はお弁当持たして!)
(……じゃ、年明けたら弁当箱見に行くか)




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