根拠のない自信だったのかもしれない。未だ20年と半分ほどしか生きてきていないオレにとってはこの先永遠にも感じられる未来の中で、オレたちはずっと一緒にいるものなんだと思ってた。それが正しいのか間違ってたのかなんて、こうなった今も、分かるはずもなかったけど。







――……事務所に所属の黄瀬涼太さんに、熱愛発覚です。お相手は別事務所の……――


かしゃん。落ちたカップはこたつテーブルの上に転がって、中に入っていた水をまき散らしながらもう一度落下した。「……は?」かろうじて出た言葉はそれだけだ。

オレの目の前で淡々と世の中の出来事を読み上げるアナウンサー。小さな箱の中にいくつかの写真が流れる。真夜中、交差点、肩を寄せ合って笑う男女、腰にそえられた手。違う事務所のモデルだと言うその子は、ふわりとカールした髪の、小柄な女の子だ。暗がりでも分かりやすい黄瀬の髪色。有名人の癖になんで帽子だけなんだよ、楽しそうに電柱とお話してんじゃねぇよ。苛立つというよりも驚きが先立って、オレはくわえていた歯ブラシを意味もなく見つめた。



黄瀬が帰ってきたのはその日の夜半過ぎだった。

「たーだーいーまぁー」
「おう。お帰り」

玄関からふらふらとリビングに入ってきた黄瀬を、抱えるようにして支えてやる。黄瀬はオレの顔を見てからふにゃりと笑って、ご飯食べる、と無邪気にオレの頬にキスをした。同じようにしてキスを返す。酔ってるんだかそうでもないんだか、よく分からない黄瀬から上着を取り上げて、本体はとりあえずこたつに突っ込んだ。

「わーマジ寒かったっス、マジで」
「寒かったのは分かったからお前あんま喋んな。馬鹿に拍車かかってんぞ」
「今日ご飯何?」
「飲んで来たんじゃねぇの? 腹減ってんのか」
「たべるー」
「分かった。ちなみに鮭のホワイトソース煮な」
「うまそう!」

テーブルに突っ伏していた頭がぴっと持ち上がる。寒さのせいか鼻が真っ赤になっていて、見慣れたはずのそれが可愛くも情けなくも見える。ちょっと待ってろと言ったオレの声は、静かなリビングでよく響いた。黄瀬はうんと頷いて、またさっきのようにこたつの住人になる。テレビっ子だったこいつが帰って来てすぐにテレビをつけないようになってから、もう随分と経つんだな。ぼんやりと考えながらコンロに火をつけた。なあ黄瀬、と呼んでみる。静寂に慣れない黄瀬のため。

「なーに?」
「ちょっと話、あんだけど。飯の前と食ってから、どっちが良い」
「アンタがオレに? ……別に、どっちでもいいけど」
「心当たりあんなら前にするし、ないなら後にする」
「まだるっこしい言い方しないで欲しいっス。ないけど先でいいよ」
「飯に、その……響くかも」
「喧嘩した後だってアンタの飯うまかったし、オレは大丈夫」

アンタは何を怖がってんの。本気で怪訝そうな顔をする。ニュースを見ていて分かったことは、あの情報が出たのはつい昨日のことだということだけだった。連続ドラマの撮影でスタジオに通い詰めている黄瀬には、そんな情報は入ってこないのだろうか。そんなはずはない。ないと、思う。これが演技なのだとしたら、素人のオレが敵うはずもない。

怖がっている。確かにそうかもしれなかった。厳密にいえば、何度も覚悟していた終わりが、今日であることに驚いただけだ。オレはただ漠然と黄瀬とはずっと一緒にいるものだと思っていたし、黄瀬もそんな素振りを見せなかったから、そんなものなのだろうと思っていた。やっぱり勘違いだったかと、信じきれなかった自分の小さな思いを肯定しているだけの話。

「……お前、別れるとか、考えたことあるのか」

こたつに入ったまま、それでも真剣なのは分かってか、背筋を伸ばして黄瀬がオレを見る。真っ直ぐ聞こうにも何も聞いていいか分からず、結局遠回りにも聞こえる問いで黄瀬を見返した。黄瀬の目がつるりとひかる。ことことと鳴る鍋の音だけが静かに響いた。

「……は?」
「いや、オレも、なんて聞いていいかわかんねぇんだよ。とりあえず答えろ」
「命令すんな。……別に、無いことは無いスけど」
「じゃ、あるのか」
「あるっちゃあるけど、実行しようと思ったことはない。これで満足?」
「……んなわけねぇだろ」
「好きなだけ質問すればいいスよ。アンタが何考えてるか知らないけど」

オレの言葉を聞いて、黄瀬は真面目に答える気を無くしたらしい。また頭をテーブルにごろごろとくっつけ始めて、おなかすいたとこれ見よがしに呟いていた。鍋はまだ温まっていない。穏やかではないが激昂するほどでもない内心をため息をつくことで慰める。どうやら、話を聞く気はあるようなので。

「彼女欲しいと思ったことは」
「二股すると面倒だから無いっスね」
「浮気願望とかってあんの?」
「アンタのそういうところは面倒くさいけど、二股とか浮気とかの方が面倒だから無い」
「お前の基準は全て面倒かそうでないかかオイ」
「そうっスけど? 今更?」
「……お前は、」

やる気のなさそうな声で、面倒ばっか言うなよと言いかけたオレを、予想よりもずっと真剣な瞳が突き刺した。丸まってこたつに入るそれはどう見てもダサいが、黄瀬は大切な時と場合を見間違うほどバカじゃない。中身があたたまった鍋の火を止めた。瞬きもせず、はっきり言えよと伝えてくるその色に、オレははっきりとため息をついて。

「……いいやもう。なんでもねぇ」
「……へぇ」
「あったまったから食え。お茶でいいよな」
「うん」

考えるだけ無駄な気がしてきた。別れたいと言うなら、黄瀬が言い出すのを待てばいい。何もオレから言ってやることはないだろう。別れるときにまで優しさを見せる必要はない。

メインの乗った皿とご飯とお茶と、一式をそろえてお盆ごと黄瀬の前に置く。並べてやってもいいが、どうせこのまま持っていくのだから関係ない。オレも自分で飲む分のお茶を入れて、黄瀬の右隣りに入り込んだ。飯を前にして嬉しそうな黄瀬を見るのは、こんな時でも悪くない。

「いただきまーす」
「ん。よく噛んで食えよ」
「あ、そういえばさ」

無視かと思う暇もなく、黄瀬は鮭を口に入れながら呟くように言った。視線は鮭一択。

「昨日仕事仲間の子と飯行ったんスけど」
「……ああ。知ってる」
「言ったっけ? んでさ、その子が言ってた」
「なんて」

もぐもぐと鮭とご飯を噛んで飲み込んで、お茶の表面を見ながらぽつりぽつりと。一口含んで飲む。ふう、息をつくまでを、急かすでもなく見つめていた。

「その子、彼女いるんだって。一般の人だけど」
「は」
「で、なんか、結構付き合い長いけど、このままで良いのかなって。ずっと一緒にいられるわけじゃないし、公表だって出来ないし、でも一緒にいたいけど、どうしたらいいか分からないって」
「……なんでお前にそんなこと相談すんだよ」
「オレが男と付き合ってるって話したから」

今日だけで何回目になるか分からないハァ?が出たところで、黄瀬はまた鮭をもぐもぐと噛む。いつもより回数が多いような気がするのは気にしない。気のせいだ気のせい。そうでも思ってないと黄瀬の話は聞いていられない。

「ビアンなんだって言うから、オレも多分バイだと思うって。ゲイかどうかはアンタしか好きになった男いないから分かんないし。だからたまに二人でご飯行ったりしてたんだけど」
「……ちなみに、どういう話してたんだ。その飯のとき」
「相手は彼女の惚気で、オレはアンタの愚痴」
「予想通りすぎてつっこむ気も起きねえな」
「その子が、好きだって言うから。彼女のこと。だから、オレも、今の彼氏好きだけど、でもずっと一緒にいられない覚悟はしてるって、言った」

突然核心に触れるような言葉を放つ。油断しきっていたオレは反射的にかたまって、黄瀬が箸の先をかじるのを見ていることしか出来ない。黄瀬の悪癖。箸折るなよ、それ結構高かったんだから。

「彼氏がオレを好きでいてくれて、オレも好きでいられてるうちは、ちゃんと向き合って生きてこうって思ってるって。でも、どっちの気持ちも絶対があるわけじゃないし、世間の風当たりは強いし、何よりオレも相手も俳優って職業だし。いつかは責められることもあるだろうって思ってるって。でもオレは、積極的にカミングアウトしようなんて微塵も思ってないけど、聞かれたらちゃんと答えようと思ってる。大我はオレのライバルで、オレの好きな人で、恋人ですって」

半ば茫然と黄瀬の言葉を聞きながら、不覚にも気づいてしまった事実に頭を抱えたくなった。テーブルに置かれた左手は握られて震えていて、箸をかじる歯も同じように震えていた。それでも声は真っ直ぐに紡がれる。合わない視線は、まるで黄瀬の最後の意地のようで。しょうがないよなと思う。アンタは、と言外に問われては、もう苦笑するしかない。

「……オレも、答える覚悟はある。オレは黄瀬涼太が好きで、本気で愛してて、あいつはオレの恋人だって」

握られた左手の上に右手をのせる。涙ぐんでいたらしい黄瀬がぐず、と鼻を鳴らして、それでつい笑ってしまった。空気が和らぐ。いつの間にかはりつめていた気持ちを、笑うことで誤魔化した。

結局、正しい答えなんてものは見つからなかった。それも当然のことで、こんなことに正しいも間違ってるも無いんだってことに、オレたちはようやく気付こうとしている。オレたちで決めたことなら障害があっても乗り越えていけるだろうし、それが苦しくてやめてしまおうと思うならそれもひとつの選択なのだろう。逃避になってしまうかもしれなくても、今はそんなことは考えずにいたかった。ふたりでいようと決めたあの時のオレたちの気持ちも、こうしてふたりでいる今のオレたちの気持ちも、そのどちらをも踏みにじるような気がしたから。

泣きわめくことも泣き止むこともしないままの黄瀬がまた鮭を口にいれて、付け合せのほうれん草を少しつまんで、やっぱりアンタのご飯おいしい、と言ってへたくそに笑う。そんな小さなことを積み重ねて、それを幸せだと呼ぶような時間を、もっとずっと刻んでいきたいと思う。出来るならこいつと。出来る限り、ずっと。願わくば、終わりの時まで。





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