しっとりと指に馴染む横笛を、小さな明かりを灯しただけの部屋で吹く。自分に与えられた部屋はこの船の中で二番目に広い。その理由は僕が閉所恐怖症であることに他ならないのだが、いつでも開けてある扉はもっと他の理由も持つ。
「やっぱりサラワか、今の笛の音」
「料理人さん。お疲れさまです」
「おう! 夕飯できるまでちょっと待ってな」
「只今休憩中ですので。また慌てて転んだりしないでくださいね」
「今日サラワの皿だけめっちゃ細長い陶器にしてやるから」
「僕は鳥ですか」
大きな洗濯籠を抱えたままの料理人さんが通り過ぎていく。足音が聞こえなくなってから、また横笛に触れた。細い音が旋律を生む。悠久の時を、遠くの海まで流れるような。
「――…サラワ」
「おや、おはようございます。と言っても、もうじき御夕飯のお時間ですけど」
「ん。お早う」
「…航海士さん、寝ぼけてらっしゃいます?」
「いや。正気。かなり」
「足元気を付けてくださいねー」
「うん」
早朝から夕方までにかけての見張りを終えて、航海士さんが部屋に戻っていく。あの様子ではしばらく起きてこないような気もするが、彼は2,3時間も経てばまたすっきりとした表情で戻ってくる。睡眠はあまり必要ないんだと言っていたのを思い出して、まあ健康な証拠でしょうと横笛の反射する光に苦笑した。――そして。
「よ、サラワ」
「船長さん」
戸口に立つ、自らが主と認める影。
「お加減はいかがですか」
「ん。まァ悪くねェ」
「後で料理人さんにも言ってあげてください。随分心配していたみたいなので」
昨夕から具合が悪そうにしていた船長さんは、今は少し顔色が良くなったように見えた。栄養失調だろと航海士さんにお説教をされてばつが悪そうにした横顔を思い出す。面倒そうな表情になったのを見て、我らが主は本当に困ったお方ですと、隠しもしない苦笑で。
「あいつの心配性はどうにかなんねェのか」
「何しろクルー全員が心配性ですので。主を筆頭に」
「………オレがいつお前らの心配なんかしたよ」
「ふふ。不思議ですねえ」
シーツがぴんと伸びたベッドに、船長さんが乱暴に腰かける。どこにいても光り輝くようだと思うのは、僕の目がいつからかそういう風に出来てしまったからだ。主を上から見ることに違和感を覚える僕の思考を先読みするように、船長さんがなァ、と薄く笑った。
「いいおとになったじゃねェか」
灰色の瞳がきらめいて、その意味が瞬間分からなかった僕はぽかんと主の光を見返した。頭の中で何度も回して吟味する。いいおとに――――良い、音に。
急激に熱が上がってきて、僕は思わず袖で口元を覆った。耳から頭からついには喉までかあっとあつくなる。「そんなに恥ずかしがることじゃねェだろ、」ぎゅっと閉じた目に楽しそうな声が響いた。心臓がうるさい。どくんどくんと脈打つ音で、色んな音が遮断される。耳があまり良くない僕の鼓膜を、たったひとつの確かな声が満たしていく。
「吹けよ、サラワ。聞いてやる」
泣きたくなるほどのあまい音に、僕はちいさく、はい、となみだをこぼした。