※キャス乗船少し後のこと




「船長って全然ご飯食べないよねえ」

キッチンで皿を洗うのを手伝っていたら、キャスが思い出したようにぼんやりと呟いた。横顔も声と同じように曖昧な表情をしていて、おれはとりあえず何も答えずにまた一枚洗いたての皿を取った。

「食堂来てくれないのはもう…諦めたっていうと変だけど、もういいし、部屋で食べてくれればいんだけど。…でもなんか、全然食べてもらえてない感じする」
「お前の飯をってことか」
「うん」

おれのご飯おいしくないのかなあ。ため息まじりに零される声は、ほとんどが本気とはとれないぼやきのようなもの。それでも声に出してしまうほど思いつめているのは確かだった。皿を拭いて棚に戻しながら、今日の朝食と昨日の夕飯を思い出す。

「おれは好きだけどな。お前の飯」
「うん…ありがと」
「他のやつらも、うまいって食うだろ」
「……うん」

おれがわざと気を遣っているような言い方をすれば、素直なキャスはおれが気を悪くしないようにそうだよなと頷いた。新しく乗船したこのクルーは、人一倍さみしさを感じる男だ。依存にも近い関係のなかで生きてきたキャスにとって、おれたちの普通はとても淡白に感じるに違いない。船長が連れてきた人間についてとやかく言う気は微塵もなかったから、その代わりに抱えているだろう本心を自覚させてやることにした。

「でも、そうだよな。船長がうまいって言ってくれないと、心から嬉しいってのにはなれないよな」

キャスの動きが止まる。流れる水を瞬きもせずに見つめて、それからちいさく息をはいた。そうなのかな。音にならない声で言う。

思い返してみれば、キャスがうちの料理人になってから、ローは一度もキャスの前で食事をしたことがなかった。今までのおれらにとってはそれが当たり前だったから(食ってるという事実さえあれば)気にもならなかったが、キャスは育った環境が違うのだ。いつも食卓には誰かがいた。今でもおれたちの誰かしらが同じテーブルについてはいるが、キャスの"特別"はいつも姿を見せない。

あいつを定時に食卓につかせるのは難しいだろうなと思う。キッチンから船長室に食事を運んでやるのはいつもおれの役目だったが、皿はいつも空になって返ってくる。それをキャスに伝えたことはなかった。まずい飯をたいらげるほど心が広いわけでもなく、見た目ほど食が細いわけでもない。むしろあいつはよく食う方だ。それをおれたちは知っているけれど、乗船したばかりのキャスは知りようもない。そんなことを考えてもみなかった自分に少し嫌気がさした。寂しかっただろうなと、それだけを思う。

なんだかしょんぼりとうなだれてしまった背中をどうしたものかと見ていたら、向かいにある食堂の扉がノックも無く開かれた。どんなタイミングか、入ってきたのは寝不足を隠しもしないこの船の船長だった。

「キャスケット、珈琲…なんだペンギン。お前ここにいたのか」
「おはようございます船長良いお目覚めですね」
「嫌味はいいから仕事を続けろ。キャスケット、」
「あ、はい! 今コーヒーいれます」
「ん。頼むな」

挨拶も無くキャスに注文を告げて、定位置である広めのソファに乱暴に腰かける。埃が舞うからやめろと言っているのに聞く耳を持たない。今度針山でも仕込んでおいてやろうか。

皿洗いを中断してコーヒーをいれるキャスは、話をしていた当人が現れたことで少し緊張した面持ちでコーヒーメーカーを見つめていた。そういえば、ローは今日はまだ飯を食っていない。昼過ぎどころかおやつの時間も過ぎたというのに不健康だなと思う半面、ちょうどいい頃だとうっすら笑う。食う時にはやたらと食う癖に集中しだすとすっかり食事を忘れる船長のために、それから、寂しがり屋の料理人のために。

「キャス」
「なに?」
「さっき言ってた話、今解決してやろうか」
「うん?」
「船長に珈琲出すついでに、何かお茶請けでも出してやるといい。お前が作ったやつで、冷蔵庫に余ってるものあるだろ」
「! えっと…お茶請けになるものは無いけど、朝余った茶碗蒸しがある、かな…でも汁物と飲み物じゃかぶるよな、ええと」
「それでいい。朝からまだ何も食べてないだろうし」
「でも食べ合わせ悪いし……あ、昨日焼いたパンケーキの余りある! 甘くないし、船長食べられるかな」
「大丈夫。出しておいで」
「うん!」

コーヒーをいれながらばたばたと右往左往するキャスは見るからに嬉しそうで、はっきりとは見ないもののローも何事かと気にしている様子だった。これほどまでに真っ直ぐ好意を寄せられることはなかなか無かったから、そりゃお前もびっくりするだろうな。大人ぶるクルーしかいない船の中で、キャスの存在はとても新鮮で温かかった。

「船長、コーヒー入りました!」
「ん。ありがとな」
「あい! あと、船長、これ」
「ん?」
「昨日おれが焼いたパンケーキなんですけど……その、甘くないやつなので、よかったら食べてくださ、い!」

手をわたわたとしながら真っ赤な顔で言い切ったキャス。ローは珍しく目を真ん丸にさせて、置かれたパンケーキの皿とキャスを交互に見ている。「も、もし甘い方が良かったら生クリームとかはちみつとか色々あるので、」答えが返らないのを不安に思ってか、キャスはどうにか言葉をつなごうと四苦八苦だ。起き抜けは極端に口数の少ないローがケーキを見て、乗せられたフォークを見て、それを手に取った。途端にキャスが口をつぐむ。切り分けたケーキをローがぱくりと口にいれた瞬間、サングラスの奥の瞳がおれには測り知れない感情でいっぱいになってきらきらと光った。

「…へェ。うまいな」
「!! ほんとですか!!」
「ん。悪くねェ」

わ、わ、と言葉にならない感情をつなぎの胸元を握っておさえこむ。黙々とケーキをたいらげていくローは本当にうまいと感じているらしい、いつものペースでフォークを動かしていた。時折珈琲を口に含んで、こっちもうまいなと何気なくキャスを見る。嬉しさのキャパがオーバーしそうなキャスは、にこにこというよりはへらへらといった顔で幸せそうに頷いていた。単純だと思う。が、その素直さはおれたちの誰にもないものだ。

「船長、朝ご飯、食べてきますか」
「あー…そういやまだ食ってなかった。残ってるか」
「もちろんです!! いま出しますっ!」
「ん。慌てんなよ」
「はいっ!!」

少しずつ頭が覚醒しつつあるローと興奮しっぱなしのキャスを見ながら、おれもメーカーに残っていた珈琲を勝手にすする。挽き立ての豆はとても良い匂いがして、たまにはこんなのんびりとした一日も悪くないなと小さく笑った。




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