※グロ表現注意
それは遠い昔のありふれた物語。
――ガシャン、耳の奥を突き刺すような破壊音。咄嗟に振り向いたその先で、通りがかったばかりの煙草屋のガラスが大破していた。息をのんで後ずさる。何も履いていない足裏が落ちていた瓶の破片を踏んで、にじんだ血が汚いコンクリの上を這いずった。
「――ッ、!! ッ、!」
何を言っているのかは分からない。自分には理解のできない音が飛び交い、紅い血が視界に降り注いだ。支配するのは恐怖。息をするのもままならないまましゃがみこむ。気づかれないように走るのは不可能だった。大柄な男と小さな体。ぼろぼろの服。まっかにそまる。
――しばらくの間そうしていた。気づけば辺りは夕暮れに変わり、目の前のさんげきは跡形もなくなっていた。血の気がひく。ここでどれほどの時間こうやって。
反射的に走り出した。抱えた荷はずしりと重く、それでも大事に抱えて街を走った。中央に見える大きな大きな屋敷。裏側にある小さな門。その横の穴からそっとくぐり入る。どれだけ走ったかも分からなくなるくらい遠く、隅の方に打ち捨てられたような小屋を認めた。
せわしく息をしながら扉に触れる。すぐに気づくだけでも錠がむっつ、まだ開いていないということは間に合ったということだろうか。安心して息をつき――
「おい」
心臓に氷を落としたかのような声が響いた。驚いて落としかけた荷を意識を総動員して抱え込む。振り向くことなど出来ない。恐怖で体が震えた。「ぉ、めんな、さ」つかえながらも絞り出そうとした声は、
暗がりの中で目を覚ました。
起き上がろうとしてついた手は意識に反して持ちあがろうとせず、諦めて土の味を噛みしめることにした。ここはどこだろう。気づいてみればそこは見慣れた小屋の片隅で、指先にしんと冷えた鉄格子が触れた。息をしようとしたけれどうまくいかず、短く息を吸いながら目を閉じた。もう寝てしまおう。小屋まで辿り着いた記憶はかろうじてあったので、おそらく自分は荷を運ぶことには成功したのだ。今のこの状態が最良であるかどうかはともかくとして。
遠くでちりん、と鈴の音が聞こえた。反射的に飛び上がる。動かないと思っていた体がバネを弾くように動いて、こんな場所で有りながら生にしがみつこうとする自分がせつなかった。それでも構わない。生きたいと思ったことはなかったが、死にたくはないと強く思う。
目を開けたそこに、小さなねこをみつけた。
「……?」
大きなお屋敷に行くといつもぴかぴかのねこがいた。真っ白のねこがほとんどで、今目の前にいるような夜にとけてしまいそうなねこを見たのは初めてだった。格子の間から手を伸ばしてみる。触れるか触れないか分からない距離で、ねこは足を止める。ひらひらと上下に動かす手を見ながら、ねこが、その手に、触れ――
「にあっ!!」
「っ!」
突然手にすさまじい痛みが走った。伸ばした手を抱え込む。自分で動かしているわけでもないのにぶるぶると震える、その恐怖に呼吸がままならない。震えだした全身ですがるようにねこを見た、…そこにはもう何もいなかった。
「……っ、う」
こわい。さむい。いたい。朝になったらまたおつとめだと分かっていても、丸くなった体はどうしてもねむってはくれなかった。