「勝手にしろ」

立ち上がったソファは音もなく、ただ扉を閉める音だけが無情に響いた。去っていく背中は苛立ちだけを露わにして、残った背中はしんしんと悲しみを湛えていく。その間でおれはため息をついた。

「…船長も冷たいことを言う」
「…いいんだ、ペンギン。今のはおれが悪かったんだから」
「船長の言葉にも一理ある、と思っただけだ」

お前が全部悪いわけじゃない。ソファの向かいにある木椅子に座って唇をかむキャスケットの背中を、手で触れることなく軽くたたくようにそう言った。帽子を深くかぶって表情を隠す。泣くのを堪える癖のあるキャスケットを咎めるものは今はいない。

「…泣けばいいのに」
「いやだ。おれは卑怯者じゃない」
「泣いたって、船長は気づきやしない」
「こんなのはちがう」
「…お前のための涙だって、流す価値はあると思うがな」

おれはおれのために泣いたりしない、以前ローに食ってかかっていたのを思い出す。からかわれたのか命令半分だったのか、とにかくそのとき、ローも少し驚いていたことをよく覚えている。キャスケットの意思は、ローが思うよりもずっと堅固だ。

「少し外す。船長が戻るまで、頭冷やしておけ」

座り込んだキャスケットには触れなかった。それでも、その背中や胸中に感じる重みについて、一番痛みを感じているのはキャスケット本人に違いなかったから。











部屋を出て廊下をまっすぐに進んだ。行くべき場所は分かっている。進む途中で壁にかかっていた上着を二着取り上げて、一着はすぐに自分で着込んだ。甲板を出て裏手に回る。外はしんしんと冷えていた。

「……ロー」

予想通りの場所に、予想通りの人間がしゃがみこんでいた。いつものことだが帽子のせいで表情が見えない。けれどもその表情が、決して明るいものじゃないことは知っている。何も言わずに、その帽子の上から上着をかぶせた。微動だにしない、その隣に立つ。

「……ふざけてんじゃねェよ」

黙ったままの時間はそう長くなかった。噛みしめた歯の間から、苦しげに呟かれる声。おれも同じように、ああ、と呟きを返す。

「あいつ、今までおれが言ったこと、何も理解してなかったんじゃねェか」
「…それは言いすぎじゃないか」
「おれはあんなもん言った覚えはねェ。ペンギン、お前にだって一度もだ」

分かってんだろ。ここに来てから初めて見えたローの瞳。その光は隠しようもなく、…ただ確実に、傷ついていた。残忍とうたわれる死の外科医。そのローの、弱い一面を見る。長く付き合いのあるだけ、ローの視線はおれを真っ直ぐに射抜く。

「おれが乗せてんのは、おれのクルーだ。クルーなら全員、おれのために、自身のために、この海を生きればいい。…でもあいつはなんだ」
「…ロー」
「おれのために死にてェって言うなら! …そんなもんは、自由のない奴隷や意思を持たない機械と何も変わらねェじゃねェか…!!」

クソッたれ、かすれた声で叫びをあげる、その痛みにおれは目を閉じた。船長として生きるローの痛みを、おれが同じように受けることはできない。それでも、長年連れ立ったその年月がおれにも同等の痛みを与える。ローは人が生きる力が好きだ。生きようとする力が、力強くあろうとする姿が好きだ。だからこそ、ローは医者で有り続ける。…ローのために死にたいという言葉は、その信念を根底から否定する。だからこそローは傷つき、憤った。その信念のために。クルーの全てを愛するが故に。

「それでもあいつは、お前のために死にたいと願うんだろうな」
「…それ以上言ったら、斬る」
「お前は結果しか見えてないんだ、ロー。あいつの言葉面しかとらえていない。違うか」
「何が言いてェ」
「キャスケットは、お前のために死にたいと言う。それは多分、お前のために生きたいと願った結果じゃないのか。…少なくともおれはそう思う」

そう思いたいんだとは言えなかった。ぎゅっと握ったその刀に、どれだけの想いが詰まっているのか、それをおれも知っていたから。

「…謝らなくてもいい。キャスもきっと分かってる」
「……何も分かってねェよ」
「ベポを寄越すから。落ち着いたら戻るか、自室に行って寝てしまえ」
「命令すんな」
「失礼、サー」

さっさと行けと言われるまま、靴のかかとをならして船内に戻る。外気で冷え切った体には少し過ぎる温度だった。気温の低い島で育ったとはいえ、放っておけばローも風邪をひいてしまうだろう。

ベポがいるはずの食堂へ足を進める。船長を拾いに行ってくれと頼んで、その後はあの小さな背中をどうしようかと、お互いに不器用な仲間を思って少しだけ苦笑した。






TITLE:宇宙の端っこで君に捧ぐ

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