聞きなれた歌声が細く聞こえていた。持っていたレンチを作業ベルトに押し込んで甲板に出る。久しぶりに見た夕焼けは赤く燃え上がって、それだけでおれの目を焼くようだ。声の主を探せば、当然のようにそこに立つサラワの背中があった。

「よー、やっぱりお前か。サラ」
「……これはどうも」

手をあげて答えれば、いつものように忌々しいとでも言いたげな目でおれを射抜く視線。なんでこいつおれのことこんな嫌いなんだろうなあ、それでも嫌われることに慣れたおれだったので特に言及したりはしなかった。

「今暇なのか?」
「いえ。料理人さんが船長さんに呼びだしを受けているので、それ待ちです」
「ふーん」

さっきの視線からはずっと、おれと目を合わせる気はないらしい。目と目を合わせて喋りましょうなんて教訓は視線が武器にならない人種のものだ。こういうところを気にしないのが気に入らないのかなーと考えながら、自分こそどうしてそこまでこいつに構いたいんだろうと不思議な気持ちにもなる。

海を見て橙色に光る横顔を見ながら、その隣にちょこんと座りこむ。作業をするのにしゃがむのは得意だったから、そのままおれも同じ海を見た。おれは海よりは船が好きだ。それから船の中が好きだったから、こうして海をまじまじと見るのは初めてだったかもしれない。海賊なのにおかしいやつだ、と自分でも思う。海はきらきらと光っていた。おれには広すぎる海だ。それでもキャプは、この海を越えていくだろう。おれの信仰は守られている。

「なー。サラ」
「…あの!」
「ん?」

ついいつもの調子で呼びかけてしまったら、なんだか我慢しきれない、みたいな表情と声で、サラワがだん、と手すりを叩いた。キャスいわく落ち着いてふわふわしてる、がイメージのサラワのそんな行動に、おれは素直にびっくりした。驚いて声も出ない。

「…僕の名前は、サラではありません。サラワです」

勘違いしないでください。はっきりとした口調で断言される。見つめ返したその瞳に、おれの見たことのない火が宿る。祠のようだな、と思った。空気の澄んだ石の祠。中心に強く信仰をもつ、人々の願いが宿る家。

「僕の――私の名前は、船長さんからいただいたものです。私という存在が、初めていただいたものがこの名前です。僕にとって特別なんです。何にも代えがたい、私の命よりも大切なものです。主上からお呼びいただいたのは初めてなんです、僕にとってただの記号やその程度のものではありません、私にとって――…僕はっ…!」

言葉もないおれの前、サラワが手すりを握りしめて俯いた。肩で息をする。様子が尋常じゃないことだけはどうにか分かったが、おれにはどうすることもできなかった。視界の隅で戻ってきかけていたキャスがいることも見えていたけれど、あいつにはおれが悪者に映ってるんだろうなあとちょっと唇をかむ。でもこのサラワを見れば、実際悪いのはおれに違いなかった。

「…サラワ」
「……すみ、ません。申し訳ありません。……取り乱しました」
「や、その…おれも悪かったよ」

いえ、呟いたサラワはとてもつらそうだ。手を貸してやりたいところだけど、サラワはきっとそれを望んでいない。

おれが動きあぐねていたら、空気を読んだようにキャスが近寄ってきた。おれに無感情の視線をひとつ投げて、すぐサラワに向く。

「サーラワっ!」
「っ、…おや、料理人さん。お帰りなさい」
「ただいまー。船長ってば話長くって! 待たせてごめんね」
「いえ、」

顔をあげたサラワは、それがキャスだったことに心底安堵したようだった。にこ、と笑ったその顔は、少なくとも傷ついて憔悴したようには見えない。おれの方が付き合い長いのにな、とは思わなかった。今のおれにはその資格はない。

「船長さんは、なんと?」
「えっとね、行くなら私服で行けっていうのと、ペンギンに足りないもんないか聞くのと、サラワはなんかナイフ持ってけって。あとおれは食材のチェックと、喧嘩すんなって。それだけ」
「ふふ。了解しました」
「うん! …で、オウギも行く?」
「は?」

少し下がった位置でふたりを見ていたら、キャスが突然おれを振り向いて首を傾げた。その目にはおれが読み取れるような意思はない。それでもやっぱり今のおれにはその目をまっすぐ見返すことができなくて、無理をして笑いながら「おれはいいや」と返した。キャスは含みもなく「そっか。分かった」と言ったきり、おれ準備してくるねーと船内に戻っていった。一番年下の癖に。それよりも、おれがガキくさいということは分かっていた。

「…じゃあ、僕も行きますので」
「あ、おう」
「すみませんでした。船大工さん」

少しだけ会釈をして同じようにドアに向かったサラワの背中。気になったことはやはり子どもじみたワガママのようなもので、おれはあの困ったような笑みが、いつかもっときれいになればいいのにとそう思った。


TITLE:white lie


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