おれはとにかくボキャブラリというものがないので、言葉で何か表現をするのは本当に得意じゃない。

丸窓から海を見上げた。今現在は潜水中、当然ながら甲板に出ることはできない。船の中にいるときは大体料理をして暇をつぶすおれだったが、今は昼食の直後っていうこともあってそんな気分にはなっていなかった。窓の向こうでは魚が泳ぐ。一匹。二匹。窓のこっちでは、おれが自分の寝床に寝転がっているところ。

三匹目の魚が通りかかって、おれはゆっくりと起き上がった。少し緩めになっている袖から小型のナイフを出す。指の間を何度か回して、壁にかけてある的に向かって手首の動きだけでそれを放った。たすん、刺さる。へたくそな丸の中で中心に立つ、そのまっすぐさに目を細めた。

すっきりしないままに扉を出る。どこにも行く場所はない、けど、部屋でぐるぐるとしているよりはマシだと思った。暇つぶしにケーキとか作ろうかな。でも材料無駄になりそうだしな。おれと同じ名前の帽子を一度とって髪を整えながら、海の中はとても静かだ、と思った。

「――船長」

診療台のある部屋から、船長が何か考えるみたいな顔をして出てきた。しばらく麦わらにつきっきりだったので、おれはちょっと嬉しくなって船長に駆け寄った。船長はおれに気づいて、そのまま逆の方向を向いて歩きだす。その後ろについた。

「ペンギンは」
「部屋で本読んでます。えと、なんかの医術の本」
「ああ…あいつも勉強熱心だな。お前は、キャスケット」
「おれは、えーと、部屋にいただけです。外も静かだし、ペンギンにもうるさくするなっていわれたし、あとオウギがなんか整備してるっていうんで」
「なるほどな」

すげえ邪魔者扱いみたいでさみしいです。とは言わなかった。そんなことを船長にいっても仕方ないし、事実やることがないのはおれくらいなものだったから。おれはこの船で料理人として(ある意味では)雇ってもらっているけど、それ以外おれには取り柄がなかった。強いていうなら戦闘員としても多少は使えるだろうけど、というところ。潜水中の今は、本当におれの役目はない。

もっと趣味でも持っとけばよかったと思う半面、趣味がなくても過ごしていられたあの頃が少し近くなる。どきっとした。内心焦って船長の背中を見ても、船長は何も気づいてないみたいだった。音が伝える情報量を知っているから、息もつかない。代わりに「船長」ちいさく呼んだ。「ん」返してくれる声が、こんなにうれしい。

「船長、もう部屋に戻るんですか」
「もうやれることがねェからな。あとは麦わら屋の生きる力にかかってる」
「いきるちから?」
「生きたいと思う、力の強さのことだな」

お前だってそうだったろう。少しだけ振り返った船長と、おれの視線がぴたり、合う。船長は笑って、それきり黙ったまま食堂へと入っていった。その扉の前で立ち止まる。考え考え、おれも船長の後を追った。

いつものソファに座った船長に、コーヒーを淹れて目の前に置いた。ここぞとばかりに隣に座る。自然な動作で口をつけて、「淹れるのが上手くなったな」カップを持っていない手でおれの頭を撫でる、船長の手のひらがあったかかった。

「――…せんちょ、」
「なんだ」

どうしておれを、拾ってくれたの。手癖のようにしてサングラスをとられて、澄んだ空気越しに船長の目を見返した。興味ありげにおれの目を見るから、おれもそのまま逸らさない。声に出さなかった問いに、船長は当然のことながら応えない。

この船が好きだ。船長のいるこの船が。みんながいるこの船が。ずっと前におれの居場所になってくれた、この船が。呼んだまま黙り込んだおれに、船長は何も言わずにコーヒーを飲む。視線がそれるのは瞬きの間だけだった。

「……お前は」

カップを置いて、息をはく。呆れでも怒りでもなんでもなく、言い聞かせるような声色だった。おれたちに嘘をつくなと言う船長は、嘘をつかない人だ。少なくとも、おれたちには。その必要がないと船長は言う。船長にとって嘘は、何かを隠したり、自分にとってすごく嫌なことをごまかしたり、そういう時に使うものだ。船長は隠し事もごまかしもいらないと言う。

「誰かを守らないと、強くなれないだろう。キャスケット」
「…そんなことないです」
「お前は、拠り所がないと戦えない。それだけだと思ってたんだがな。それよりももっと悪いのは、お前が、拠り所がないと生きられない質だったってことだ」

船長はおれの言葉を無視して言う。悪い、の単語にどきりとした。胸の奥がいたい。

「お前は背中に誰かがいないと強くなれない。守るべき対象が、拠り所がいないと生きていけない。必要とされることは誰にだって重要だろうが、お前は度が過ぎる。ひとりなることに恐怖すら抱く。お前自身に落ち度がなかろうが、誰かの一部でないと息もできない」

船長が流れるように言葉をつなぐ。押し寄せる波のような声。目の奥が熱くなる。船長がカップを置く、その音すら恐怖になった。いつの間にか俯いていた。ソファの模様がにじむ。可能性に息が詰まる。おれは。

「――…それでもお前は、生きたかったんだろう。シャチ」

俯いた頭を押さえるように、また同じあたたかさが触れた。どこかが震えるような感覚。船長は苦笑するみたいな声で、おれの髪を引いた。そのまま顔を上げる。また合った、その目がすごくきれいだと思った。きらきらしてるわけじゃなくて。それでもまっすぐで。おれの中を見透かすような。


「だからお前を拾ったんだ。お前が生きたいと言ったから」


頬を熱が転がり落ちた。意味も分からずなくおれに、船長は何も言わなかった。ただおれの耳に、船長が生きる音がずっと響いていた。――そういえば。記憶にないはずの記憶を思い出す。あの時もずっと。船長の音が聞こえていた。死へと向かうおれを引きずりあげて、その生を叩きつけるように、叫ぶように。


『"――生きたいか"』




だからおれは、あなたのために生きたいと思ったんだ。
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