※魚人シャチ





甲板に出てすぐ、いつものように座り込んでいる影を見つけた。

真夜中のことだった。肌寒い風が吹く海の上。おれたちの船は多くが北の海出身で、それでなくとも寒さには強い連中ばかりだ。必然、気温が下がるにつれて船員たちの気分も高揚してきていた。いつまで飲み明かすのだか知らないが、船の中は普段よりは幾段か騒がしい。

「――シャチ」

彼はいつも、一人になりたいと呟くような男だった。人が苦手だから。音が苦手だから。食事もあまり多くをとらないし、酒も弱いと苦笑するような。船員たちの間にも少し見えない壁があるようで、シャチはいつも一人だった。それはおそらく、彼が望むように。

「ああ。ペンギンか」
「船長じゃなくて悪かったな」
「別に。誰でも同じだろ」

手に持った小さな瓶を傾ける。どうやら今日は飲む気になったらしい、思って見たラベルには小さくノンアルコールと記してあった。おそらくは薄いブドウ水か何かだ。こいつは何がしたいのか全く分からない。それでも去る気にならなくて、許可はとらずに隣に腰を下ろした。月の光がまぶしいほどの夜だ。

「…外は随分静かだな」
「中がうるさすぎるんじゃねぇの。みんな声でかいし」
「うるさいのは嫌いか」
「静かなのが好き」
「ポジティブだな。らしくもない」
「…どういう意味だよ。おれは別にネガティブでもねえよ」

つい口を滑らせたら、心底嫌そうな顔で睨まれる。丸い目に丸い瞳。影を持つその光は、彼が人間ではないことの証のような。不愉快を絵に描いたような表情のまま、舌打ちひとつで彼はまた黙り込んだ。おれもそれに倣う。手ぶらで来たために、時間をつなぐ術も持たない。

シャチは瓶の中身を飲み干してから、名残惜しそうにふるふると振った。立てた足の真ん中に置く。少しだけ揺れる船の上で、瓶のラベルが光を反射してきらきらと瞬いた。彼は思考する人間だ、とそう確信するまでには随分とかかったような気がする。何も考えない機械のような質なのだと、おれは長く誤解していた。

彼は、船長以外には心を開かないのだと聞いた。それを聞いたのは船長自身からだったが、それもあまりプラスな感情ではないらしかった。彼はなぜこの船に乗ったのだろう。もしくはなぜ、この船を降りないのだろう。彼にとってのメリットもデメリットも、おそらくはおれが考えうるその全てに及ばない。

「…あのさあ」

つらつらと考え事をしていた。月は動きもなくその場に佇んでいて、横目で見た彼もまた、そこにそのまま存在していた。「なに」そっけなく聞こえるよう、細心の注意を払ってそう答える。

「おれのこと、心配でもしてんの」
「…特に。心配されたいのか?」
「いらねぇ」
「ならしない。それがこの船のルールだから」
「…くだらねぇ話」
「お前がそう思うなら、そうかもな」

帽子を深くかぶって、拒否の意思を明確に示す。そこまでされれば残る意味もないように思えたので、おれは素直に立ち上がった。海の流れはどこまでも緩やかで。

「先に戻る。海に行くなら一言残してからにしろ」
「…関係ない」
「お前になくても、おれにはあるんだ」
「おれがさびしいとでも思ってんの」

ぴしりと、鞭を打つような冷たい声だった。振り向いた先、瞳が光る。狂気を宿したような淡い紅。銀色に揺らぐ。

「同情してんじゃねぇよ」

噛みしめて堪えて、ようやく吐き出した声。ぐっと握られた手のひらにはきっと血がにじんでいる。拠り所もなく揺らぐばかりの己と、見返りを求めない船員の言葉。許せないのではなく、受け入れられないのだ。きっと。予想外ではなかったその言葉に、おれは何の感情も添えずに言葉を返す。

「構いたいから構ってるんだ。おれはお前が好きだから」

おれたち、とはあえて言わなかった。シャチの瞳に、かっと怒りの感情が燃え上がる。本当のことなんだがな、こればかりは肩をすくめて踵を返した。瓶のひとつも飛んでくると思ったが、背後から何か近づく気配もない。――…と思ったら、靴をがつがつと鳴らして本体がついてきた。これは少し予想外だ。

「……ペンギンってさあ」
「うん?」
「不可解の塊」
「それはどうも」
「褒めてねぇし」

船長の言いつけを守って名前で呼ぶ。その素直さも好きだと言ってやろうか。無表情を装って歩を進めれば、隣のシャチが静かに、「そういうところ、は、きらいじゃ、ない。たぶん」うなるように吐き捨てた。だからごめんと言うその声は、少し柔らかくおれの耳に残っていた。
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