※魚人シャチ





おれにとって海の中は、故郷みたいなものだった。


ざぶん、海面から海中へと隔てる境を一気に落ちていく。帽子を置いてきたせいで髪が広がって、でも悪い気はしなかった。ひんやりとした海の中。なぜだか無性に、ひとりになりたかった。甲板には誰もいなくて、それでも足りなくて。おれはいつもの癖のように、こうしてまた海にのまれていく。

海の上でする息と、海の中でする息は、決して同じじゃなかった。海の中の方が透き通って柔らかくて。時折通りかかる魚たちを見ながら、少しだけ息を吸った。みんなに聞こえるだろうか。遠くまで澄んで響くよう、目を閉じて。

「……ひさしぶり」

目を開ければ、そこには優雅に泳ぐシャチの群れがいた。といってもそうたくさんじゃない。近くにいたのは7頭のシャチだった。彼らはゆるゆると旋回しながらおれの鼻先に鼻をくっつけ、おれがくすぐったいと笑うと、彼らもまた嬉しそうに鳴いた。

『シャチ。どうしたの』
「どうもしないよ」
『どうしたの。さみしいの』
「…なんでもないんだ」
『かなしいの?』
「ううん。ただ、ひとりになりたかったんだ」

目の前をよぎった一頭の、額にあたる部分におれの同じものをあてた。きゅうきゅう。耳に心地よい声。泡の音がぱちぱちとはじけて、シャチたちは時折おれの背中をつん、とつついた。

『シャチ』
「なに?」
『群れに帰ってくるかい』
『それとも魚人島に?』
『シャチがさみしいならそうおしよ』
『あなたの居場所はどこにだってある』
「…そうだね」

心配だよ、そういってくれる群れのみんなに、おれはへたくそな笑顔で「でも、さあ、」わらってみせる。

「船のみんなが、好きなんだ。おれのことを好きだっていってくれる、船のみんなが」

ぎゅっと抱きしめて、涙をこらえる。どうしてだか不意に泣きたくなる、こんな自分が弱くていやだった。人間がきらいなんじゃない。あの船のみんなが好きなだけだ。それがどうして、さみしいと思うんだろう。

『シャチ、』
「…うん」
『なかないで、シャチ』
『わたしたちも』
『あなたを』

きゅう。きゅう。

『あいしてる』

きゅう。


抱きしめられるように寄り添った。響く声はどこまでも優しい。シャチの群れはぐずぐずになりかけたおれを背にのせて、少し離れてしまった船にゆっくりと送ってくれた。手を伸ばしてふれたひれが、おれの手をそっと撫でていく。きゅう。『シャチ、』冷えた海水が胸にせつなくて。『いっておいで』

いつでもあなたをおもっているよ。おれの名を呼ぶたくさんの声が、いつまでも響いているような気がした。















甲板にあがって、上半身の分だけ脱いだツナギを手でしぼる。びしょびしょになった頭をぷるぷると振って、遠ざかっていく黒い背中を見送った。さみしさはやっぱりどこかにあったけれど。それでもおれは、おれ自身が、ここを選んだんだと息をはく。

「…シャチ、」

俯いた頭を上げると同時、直前まで存在していなかった手のひらに頭をべちっと叩かれた。いて。

「あ。ペンギン」
「あ、じゃない。突然いなくなるから驚いた」
「見てたの?」
「ずっと見てるわけないだろ。偶然呼びに来たら、さっきまでいたのにいないから」
「そりゃ悪かったよ」

ごめん、肩をすくめてみせると、ペンギンは眉をひそめて何か言いたげに口を開いた。沈黙。数秒待ってみたけど、ペンギンはそのまま口を閉じてしまう。はっきりいえよなんて言いたくないから、おれも黙る。視線を合わせないようにしているのを、ペンギンはきっと気づいているだろう。

ペンギンはただゆっくりと時間が過ぎるのを待って、それから「…海に行くなとはいわない」呟くように、半ば吐き捨てるようにしていった。

「心配させるな」

おれにだけじゃない、船長にも。ペンギンは毛先からも水を滴らせるおれを困ったように見て、それからどこにか持っていたタオルをおれにのせて、そのまま背を向けて船の中に戻っていった。その場にずるずると座り込んでみる。浮上したままの船は太陽を浴びて、そのあたたかさにまた、ないてしまいそうだとそう思った。







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