手のひらがあかくあかくそまる夢をみた。


茶色くてそれなりに厚い扉の前で、引きずってきた毛布の端っこを持っておれは考える。もう日が変わって随分たつ。朝までは遠いけれど夜はすっかりと落ち着いている、そんな時間だった。

(…こんな時間、おこるかなあ…)

扉にかけられた小さな木片(真ん中にPと書いてあるやつだ、クルー全員が持っている)は、中に人がいることを示していた。かっちりとした文字で記されたPの文字。それをそうっと指でなぞる。ペンギンはいつも夜中まで日誌や海図を見ていることが多い。おれなんかはそんなにすることあるのかなあなんて思ってしまうが、この船の航海についてはペンギンが全部を担ってるといっても過言じゃない。それに、ペンギンはそういうことをするのが好きなんだと船長はいっていた。だから、えーと…なにを考えてたんだっけ。

『キャスケット』
「うへぁっ!?」
『…大きい声を出すな』

あれ、と首を傾げたのと同時、扉の向こうでおれの名前を呼ばれたことにおれは全身で驚いた。おれ自身も驚くほど大声で、思わずきょろきょろと周囲を見渡してしまった。他のクルーが起きる気配はない。びっくりした。

気づかれたもんはしょうがないと、さんざん迷った扉をゆっくりと開いた。そう奥まってもいない部屋の最奥で、ペンギンはちいさな光だけで何かを書いていたみたいだった。ちょっとだけ覗き込んだおれを、肘をついてため息をつきながら迎えてくれた。はああ。ず、随分なかんげいですこと。

「…やぶん遅くしつれいします」
「どうぞご自由に。何か飲むか」
「……だいじょうぶ」

椅子のすぐ後ろにあるベッドをぽんぽんと叩かれたので、毛布にくるまったまま素直にそこに乗り上げる。シーツは夜のせいでひんやりとしていた。ペンギンはおれが座ったのを見て、おれの頭をちょっと撫でてからまた机に向き直った。帽子をとっているせいで少しだけ微笑む表情がよく見えて、…こそばゆいというか、照れくさいというか。目を細めるだけでごまかせただろうか。

「…怖い夢でも見たのか」

ペンギンの背中をじっと見ていた。手を動かしながら本のページをめくる、その指先がまっすぐでいいなあと思っていたら、ペンギンがぼそりとそういった。おれは一瞬何を聞かれたのか分からなくて、それからすぐにあ、と返す。

「別に、…そういうんじゃ」
「用がないなら来るなといってるわけじゃない」
「……みてないもん」
「今すぐ追い出すか?」
「ぺんぎんのいじわる!」

ていっと投げた枕はかわされて、机の横の壁にあたってもふりと落ちた。あの柔らかさが逆にむなしい。
ペンギンは冗談だ、と冗談でもなさそうな声でいって肩をすくめて、ちょこっと文字を書いただけで本を閉じた。あ、またため息。幸せが逃げるぞこんにゃろう。

書き物をしていたそれらを全部所定の位置に片付けて、ペンギンはそう焦ることもなくおれの隣にぼすっとおさまった。鼻にのせていたモノクルを横机に置いて、肩を回してふう、息をつく。そのままおれに構わず寝転がった。

「……あの」
「…………ぐー」
「ペンギンコラー!!」
「うるさい。夜中に大声出すな。二度目だぞ」
「うごふっ」

あまりにもばかばかしいくらいの狸寝入りに抗議をすれば、今度はペンギンの方から枕を投げられた。顔の正面で受け止める。もふっとしてばふっとする。く、くつじょくてき!

「ペ、ペンギンのいけず…!」
「…お前が何も言わないからだろう」
「え、」
「おれは声をかければいいのか、話を聞けばいいのか、隣にいればいいのか。それだけのことも、お前が何もいわなきゃ分からない」
「……えーと」
「お前の好きにすればいい。おれは寝る」

おやすみキャスケット。ペンギンはおれの方を向いたまま、その薄く見えるまぶたを閉じた。規則正しい呼吸音。ペンギンの心臓よりも半分は速い速度で刻むおれの心臓がやかましい。好きにしろっていったって、ペンギンはもう寝る気満々だし、おれだって眠いし、でもまた夢を見そうだし。

もう一度ペンギンをじっと見る。おれはなんだか寂しくなって、毛布の端っこをいじいじといじくった。その間にも時計の針は進んでて、ペンギンは起きる気配もない。あっちを見ても壁があるだけだし、こっちを見てもペンギンは寝ている。ひとりでいるよりも寂しいじゃん、これ。

拗ねたい気持ちにもなって、でも寂しくて、おれはよいせよいせと膝を使ってペンギンに近寄ってから、不自然に開いていたその腕の間におさまった。ただしペンギンには背を向けたままである。もそもそと毛布を引き寄せた。何もない壁にもあかい染みが見えそうでこわかったけど、背中一面が慣れた温度で覆われていて、今はさっきほどこわくはないな、と息をついた。

「…やっと来た」
「ふえっ!」
「今のくらいなら大丈夫だな、お前の奇声も」
「き、きせいじゃねーし」
「はいはい。おやすみシャチ」

うぐ。一瞬呼吸が止まった。おれが呼ばれたくないと知ってるはずの本当の名前、それからおれの思考を全て停止させるおれの名前、ばかみたいに鳴っていた心臓が一気にさあっと血を失う。引き抜きかけたナイフを構えきれず、それはベッドの下にかちん、と力なく落ちた。

頭の中で血に飢えたおれが、どんどん薄くなって消えていく。震えてるままの手のひらを見たら、それはちょっとだけ日に焼けた、ただの無骨なおれの手だった。

「…ぺんぎん」
「どうした」
「こわい」
「どうして」
「おれなきそう」
「…泣けばいい。誰も聞いてない」
「でもなきたくないよぺんぎん」
「なら、寝てしまえ。明日には忘れるだろ」
「…ぺんぎん」
「うん」
「すき、だ」
「うん。おれも好きだよ」

頭の中がぐるぐるする。おれが分からないおれの思考を、ペンギンが全部覆ってくれる。真っ黒になった頭が真っ白になって、おれはおれを抱きしめる腕をぎゅっと握った。ペンギンが少しだけ、嬉しそうにわらう。

「おやすみ、キャス」
「…おやすみペンギン」

目を閉じて意識を閉じる直前、かすれた声でいったありがとうに、ペンギンはおれをもっとぎゅっと閉じ込めてくれた。







TITLE:にやり
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