その昔に、おれの両親は海で溺れたことがあった。遠くの漁へ行く船に乗って、大シケにあって船が転覆した。島が見えなくなってすぐのことだ。その頃もやはり島には雨も波も無く、経験のない船は風に煽られてあっという間に沈んでいった。

その時、何かが海の底から滑るようにして近づいてきた。そりゃ海の中なんだから魚か何かだろうと村長は思ったそうだが、両親はそれが何かはっきりと見えていた。

それは人の形をした、尾びれを持つ種族だった。

人魚は緩やかに上昇を続け、その間に両親をひっかけて泳ぎ始めたという。波が体にあたる感触を覚えている、と村長は聞いたらしい。人魚が触れたそこから空気が流れ込み、…結局二人は、遠く離れたこの島の浅瀬へと帰ってきた。

残念ながら他に船に乗っていた村民は見つからなかったが、両親はその話を大切に何度も何度も皆にいって聞かせたという。



それからしばらくして、両親は海で倒れている人を見つけた。近くに船もないし何かが壊れているような形跡もない。恐る恐る近寄ってみたところ、その人は腰から下が鱗で覆われていた。人魚だ、と両親はすぐに気づいた。それからすぐに、持っていたカゴに人魚を支え入れ、家に連れ帰って水にひたした。真水しかなかったその島で、両親は水をくみ続けた。

人魚が目を覚ましたのは、それから数日後のことだった。彼女は自分が助かったことを知り、そして両親が彼女を助けたことを知り、深く感動していた。後から聞いた話では魚人族と人間でははっきりとした確執があって、人間に拾われた人魚はほぼ100%生きては帰れないといわれていたそうだ。両親は人魚の話を聞いて笑った。私たちは人魚に会ったのは初めてだから、あなたの印象ではそうなるかもね。冗談のようにいって笑う両親に、人魚はきれいに笑ったという。

人魚はそこで、傷が癒えるまで日々を過ごすことを決めた。どちらにしろ海には帰れなかったし、両親は人魚に家族のように接した。母親は腹の中にいる子のことを人魚に話して聞かせ、父親は漁や作物のことについて人魚に話して聞かせた。人魚は代わりに、海の底の話をした。村長たちにも面を通し、村では受け入れられていたようだった。



村長の声がだんだんと忌々しいような音になる。

「人魚は単純な脳構造をもつものが多い。いくら自覚していても、油断や不覚を生みやすいんだ。表面上の感情に流される。…あいつもそうだったよ」



両親は、唐突に増えた家族を歓迎していた。地面を歩くことができない人魚を桶に入れて、釣りや作農を見せてやることも多々あった。両親はこの島の血を引くだけあって、豪快な性格をしていたのだと思う。いくらなんでも島外の人間を置くのは、と懸念する村民もいたが、いつもあの人魚はそんなことはしないと言い切っていた。

人魚は両親の生活になじみ、家の中で出来るこまごまとした作業を手伝うようにもなっていた。いつも風呂を借り切ってしまうから、と自分が座っていられるような台も、父親と協力して作り上げた。人魚は風が好きだった、という。いつも台に座り、窓から見える空と風を感じていた。人魚の国は海の底にあるから、空が見られるのは本当に珍しいことなのだと。

人魚は海の色々なことを両親に聞かせた。それは知識から耳疑うようなものまでたくさんあったらしいが、両親はその話を島民にすることはなかった。幸せそのもののようだった、と今になって思う。村長は息をはいた。島民にも笑顔で接し、いつも遠くの方を見つめていた。帰りたいのだと聞いたことはなかったという。両親はいつか帰してやる、といっていた。故郷の話はそれほどに懐かしいものであった、と。

それから両親は、気づいたように人魚に聞いた。あなたをなんて呼べばいいかしら。


人魚は少しだけ照れたように、イルカです、ときれいに笑った。














気づいた時には、おれは村長を蹴り倒し、その頭を踏みつけていた。瞳の裏側どころか頭の中まで真っ赤に燃えている。隣で悲鳴をあげた村のおじさんのベルトから銃を引き抜き、その先端を思い切り突き刺した。村長がうなる。

イルカは人魚だった。そして、それを救ったのがおれの両親だった。そういうことなのだ。イルカは拾われたときは傷だらけで、両親が拾ったときには何の価値もなかった。虫の息の人魚を欲しがる者はいない。だからこそ、彼らはイルカの傷が癒えるまで、両親のことを放っておいた。

「…島の存続がかかってたんだ、仕方のないことだったんだ!」

島は飢えていた。そのことに気づこうとしないまま、イルカさえ――人魚さえ手に入れて売り飛ばせば、これから先もこの島は生き続けると信じていた。神の加護があるから。これはその恵みなのだと。

…その恵みを台無しにしたのが、彼らいわく、おれの両親だった。傷が癒え、心が癒えるまでに二年。再び姿を見せたイルカは、人間たちと同じ、二股の足を手に入れていた。

「あの人魚が、まさか三十路越えだったとはな…誤算だったよ。それよりもお前の両親が、そこまであいつを隠し続けていたことが大罪にあたるんだ。島のことを第一に考えるのが私たちの使命だ。当然だろう? だからお前の両親は――!!」

そこから先は聞こえなかった。踏みつぶした靴の裏からはぐずり、と脳がちぎれる不快音がして、頭蓋骨すら音もなく割れたことを周囲に知らしめた。叫ぶ声。撃鉄が鳴る。ああ。おれは。









おれは、ひとりぼっちだ。
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