草をかき分け木を蹴るようにして、ひたすらに村へと駆け抜けた。腹の中が尋常でなく痛む。それでも、取り返しのつかない事態に遭遇したくなどない。もう持っていたカゴもどこかに捨ててきてしまった。ただひた走る。走って走って、たどりついた丘から見えたのは。

「――…なんだ、あれ」

そこはもう、まっかな世界だった。見慣れた景色があかに包まれ、ただ煌々と燃えている。そうだ、あれは、燃えて、いるのだ。あか。あかいせかい。

「――イルカ!!」

放心している場合じゃない。おれは丘を駆け下りて、どうにか足を前へと出して走り続けた。見慣れた景色はすでにない。村の一番外側で牛を飼っていたおじさんの家は、もうぐずぐずと崩れて灰になっていた。ただの火事でもこんなもの、見たことない。恐怖はただ厳然としてそこにあった。燃え盛る村。こんなの。

どこもかしこも崩れていて、もう自分の家までの道さえ見逃しそうなほどの状態だった。火がこんなに怖かったなんて知らなかった。「イルカ!! ――イルカぁ!!」走りながら叫び続けて、燃えかすで喉が焼け焦げる。それでも叫んだ。イルカは足が悪いのだ。助けでもないと外へ出られない。それが怖かった。

なんとか村の中を走り抜けて、村の中で唯一、地下に通じる倉を持つ村長の家にたどり着いた。入口を見る限り、この村を襲っている"何か"はまだここを見つけてはいないらしい。ほっとして足を踏み出して、――気づいた。目の前の錠前。棒を幾重にも差し込んで頑丈に閉じられているその棒が、…割れていた。

「――!!」

体中の血が一気に瞳の裏に集まる感覚。燃え上がるように熱いそれを限界まで押し殺して、厚い扉の一層を音もなく開いた。扉は三層式になっていて、各々の間に空間も道もある。一層目を閉じ、二層目を開いて、三層目に手をかけたところで、また気づく。――音が、する。

人がいるなら当然のことだったが、それが騒音や悲鳴だとするなら話は別だ。嗅覚は良い方ではなかったが、その自分でも感じるほどの血の臭い。思わず口を抑えた。嗅ぎ慣れた獣や魚の血の臭いじゃない。絶望的なまでの確信。

三層目の扉を、指が挟める程度だけ押し開いた。中を覗き込む。場違いにまで明るいその中に、――…イルカは、いた。

「…イルカ」

ぽつりと。零れるような吐息しか出なかった。呆然と息を吐く。イルカ。

震える手を力の限りで持ち上げて、扉に手をかける。…その上に、見慣れた手が置かれた。肩で息をしながら振り返る。「…そんちょう」その赤い瞳が、強い光でおれを引き留めた。村長が首を振る。ゆっくりと手を引かれ、二層目の扉の前まで戻る。蟻の巣のように入り組んだ、その最奥へと連れて行かれた。

「みんな…」

小部屋の中には、村の人がぱらぱらと生き残っていた。といっても半分以上がいる。初めて外からの攻撃を防衛したにしては多いな、と漠然と思った。いくらこの血があったとしても、実際に襲われたおれにはもうそれくらいしか思えることはない。

「シャチちゃん、無事だったのね…!」
「おばさん…おばさんも」

無事でよかった。声に出すことができずに飲み込めば、駆け寄ってきてくれたおばさんは涙目のまま首を振った。その瞳もまた赤い。いつも気丈なおばさんが泣きそうなことも、集まった村の人たちがどことなく余所余所しいことも、もうおれにはどうだって良かった。

「…村長、」

小部屋に入ってすぐ床に腰を下ろした村長の、そのすぐ前に立った。感情もなく見下ろす。ゆっくりと息を吸って、吐く。口を開いた。

「あれは…誰ですか」
「…知らない。おそらくは海賊だろう。海から来たといっていた」
「海から…船が来たんですか?」
「カズハとウスイが見たらしい。お前も新聞で見たことがあるだろう? シャチ。暴力と略奪の申し子のようなやつらだ」

村長は悔しそうな顔で拳を握った。その腕にも顔にも、どこでついたのか分からない新しい傷がある。それでも軽傷な方だ。そっと周りをうかがえば、同じように傷をつけた人はたくさんいた。その全てが軽傷ではあったが。

「あいつらは、なにをしに来たんですか」
「…お前は聞かなかったのか?」
「…人魚を奪いに」

あの水の化け物は、そう言っていた。人魚さえ手に入れば。いつか聞いた話では、人魚はどこかの人身売買にかければ多額の富を得られるという話だった。だがその話と、この島と、どう関係があるのだろうか。

目の裏に焼きつく情景を塗り消すために、口を開かない村長をじっと見た。さっき見た限りでは、敵の数はそう多くはない。ただ漠然と、おれの村では勝ち目はないと思った。戦うために生まれた人種と、守るために生まれた人種では生きる意味すら違う。

「…お前は聡明な子だよ、シャチ」

そういって、村長は重苦しい空気をそのまま吐くように、口を開いた。
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