イルカはおれを家に置くようになる前から、ずっと寝たきりのような状態だった。昔は杖をついて外出することもあったらしいが、今ではもう身を起こすことしかできない。家に訪ねてくる人もいない。イルカは、すごくすごく不思議な話だけど、この島の人ではない。らしい。おれも聞いただけだからよく分からなかったけど、イルカはこの島で産まれたわけではないらしかった。

おれたちの島は、みんな当然のように血が近い。だからかどうかは分からないけど、皆一様に持つ体質があった。それが、ひとつの暴走体質と呼ばれるものだ。
魚を捕りにいくとき、航路の途中で海王類や他の船に襲われたとき、戦闘を担う人々は瞳が真っ赤に燃え上がる。そのときの島民は、もう同じ島民でもストップをかけることはできない。目の前の敵を虐殺しきるまで、もしくは自分が死ぬまで、その勢いはとまらない。どこから始まった血なのかは分からなかった。それでも誰もが同じように、炎のような血を継いでいる。――…呪いなのだといったのは、村長だったか。この島を守るために、神からもたらされた呪いなのだと。神は安寧をもたらすことはないが、罰は平等に与えるという。…だからおれは未だ、神への信仰など持てずにいた。

イルカには、暴走体質はない。発症したことがない、というのが実際ではあるが、この島に生まれてここまで大人しいというのも見たことがなかった。だから彼女は異端なのだ、と大人はいう。おれにとってはどちらでもよかった。

「イルカぁー」
「なあに?」
「貝柱のスープとたけのことにんじん煮たのと、あと菜の花のおひたし作っといた。そっち持ってく?」
「うーん…そうしてもらおうかな」

イルカは魚や肉を食べない。あまり好きじゃないの、といわれてから、おれは山菜料理のレパートリーを増やすことにしていた。とはいってもあまり凝ったものじゃない。採ってきた葉っぱやきのこなんかを何品に化けさせるか、それだけのことだ。貝は食べてくれるから、料理のやり様なんていくらでもあった。

「はーい、ご飯ですよー」
「ふふ。いい匂いね」
「お腹すいたら食べて。無理しなくてもいいから」
「分かってる。ありがとう」
「どういたしまして」

イルカのきれいな銀糸が揺れる。イルカは肌も白くて髪も銀に似ているから、窓際で陽の光にあたると本当に消えてしまいそうに見える。だから一度、ベッドをもう少し部屋の中に入れようといったことがあった。でもイルカは、お日様が好きだからと笑った。それが少しだけ、なんとなく寂しかった。

イルカのベッドサイドにあるテーブルに皿をまとめて置いて、じゃあ、と言いかけた。目にとまったのは、おれが見たこともない小さな貝殻だ。なんだろう、これ。不思議に思って手を伸ばして――みたら、触れる直前に消えてしまった。瞬きをしても戻らない。

「シャチ?」
「…あ、ごめんぼっとしてた。何?」
「…ううん、なんでもないわ」

イルカの不思議そうな声で我に返って、おれはぷるぷると首を振った。ごめんね、もう一度だけいって笑い返す。イルカは少しだけ目を細めて、薄い色の手のひらでおれの頬に触れた。

「…シャチはもうすぐ17になるのね」
「ん? あ、…そだね」

おれたちの島では、成人――つまり大人として認められるまで、17年かかる。おれは今16だから、もうすぐ大人になれる。でもまだ子ども。おれら子どもからすれば、一番中途半端な時期だ。

「大人になったら、海に出る?」
「…どうしようかな。航行術はないと生活できないから教えてもらうけど」
「楽しみね」
「そりゃね。これでおれも一人前ってわけだし」

ちょっとだけ視線を逸らして、窓の外の空を見た。どこまでも澄んで遠く。この島からもずっとずっと。
じゃあさ、とベッドの端に座って、正面からイルカを見た。

「おれが船に乗れるようになったら、イルカも一緒に海に行こう」

海はとてもきれいよ。いつかの夜、そういって笑ったイルカの笑顔が、おれはとてもきれいだと思ったから。そういえば、イルカは少しだけ寂しそうな笑みで、わたしは行けないわ、といった。

「…代わりにね、シャチ。これを」
「…石?」
「わたしたちは海の石って呼んでた。海のご加護がありますようにって」
「ふぅん」

赤い紐でくくられた白い石は、触れてみると確かに少しひんやりとして、弾くとどこか海を連想させるような澄んだ音がした。手のひらの温度すら奪われそうな白さ。イルカは首をことりと傾げて、石から目を離さないおれの顔をのぞきこんだ。

「わたしの代わりに、持っていって欲しいの」
「………」
「やっぱりかっこわるい?」
「え? ううん、全然!」
「そう。良かった」
「ありがと。大事にする」

ほっとしたように笑ったイルカに、おれも同じように笑い返す。その石はなぜだか、イルカの手を離れてからもなお不思議な光を放っているように見えた。
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