偉大なる航路にあるその小さな島は、その中心にたったふたつの村を持つだけの、どこからも忘れ去られたような場所だった。気候も季節も穏やかに緩やかに流れていくそこは、争いも天災も訪れない、海に浮かぶ桃源郷のようだと大人たちは口にする。

おれは、その島で産まれた。




海はどこまでもなだらかだった。時折海へ出て新聞や情報をとっていく大人たちから聞く、シケや大波なんかはおれは見たことがなかった。そんなものがあったらこの島なんて一網打尽だと大人たちは冗談交じりにいうけれど、それはきっと本当だと思う。ニュース・クーとかいう鳥の新聞で見た波は、多分おれたちでは越えられない。

それでも目の前に来るまでは緊張も焦燥もないもので、おれは何事もなく生きていた。早朝に起きて、魚を捕り、山を登ってキノコを採る。それを持ち帰って調理するのだ。生まれた時からそばにある野生の食べ物たちは、おれにたくさんのことを教えてくれた。味の濃淡であるとか、それから火の恐ろしさであるとか。自然は偉大だ。その最たるものが、海だった。

おれには両親はいなかった。いなくなった、という方が正しいが、大人たちの話から聞くと、おれの両親はおれが産まれた直後に、忽然と姿を消したのだということらしい。この狭い島に隠れる場所など存在しない。隠れたところで意味などないからだ。ここからは他のどの島も見えない。船を作る技術があった、それだけがこの島の幸運だ。

「おばさん、おっはよー!」
「お早うシャチちゃん。もうご飯は食べたのかい?」
「食べたよ! 後でおばさんにも魚持ってくんね」
「いつもお疲れさまだねぇ。これ、良かったら持ってきな」
「わっ、リンゴだー!!」

二度目の山から下った勢いで隣家の住人に挨拶をすると、いつものように果物を分けてくれた。おれが物心ついた頃からおれのことを何かと気にかけてくれるおばさんだ。

おばさんは優しい。村のみんなも、優しかった。だからおれは寂しくなかった。リンゴを受け取って、笑顔で見送ってくれるおばさんに、おれも同じ笑顔で手を振った。

「たーだーいーまぁー」

そのふたつ向こうにある、小さな木造りの家のドアを開け放つ。同時に持っていたカゴを玄関先に置いて、奥まっている小部屋に駆け込んだ。窓から真っ白な光が差し込んでいる。窓際のアリアが風に揺れて、ベッドに座る影が振り向いた。

「イルカー!」
「…お帰り。シャチ」
「たっだいま!」

先で縛った髪がなびく、イルカはおれの同居人だ。更にいえば、おれの方が居候といったところ。両親がいなくなって路頭に迷う――というか、裏山で野良猫のように走り回っていたおれを、イルカが拾ってくれたのだ、と聞いた。おれはイルカに多大な恩がある。それに尽くしていくことが、おれの義務であり、権利であり、つまりは生きがいだった。

「山菜いっぱい採ってきた。腹減ってたらすぐ作るよ、何食いたい?」
「ありがとう。…でも、今はお腹はすいてないの。ごめんなさい」
「そんならいいよ。すいたら教えて」
「そうするわ」

手元にあった本に手を添えて、イルカはふわりと笑った。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -