しばらくお互い無言で食事をする。オレたちの間に沈黙はそう珍しいことではなかった。オレは口数が多い方ではないし、倉橋は専ら聞き上手といったところだ。話すのも結構うまい方らしいが、いわゆるプライベートではこいつもあまり自分からは話さない。一緒にいる時間がつまらないという訳ではなく、ただそういうことなんだ、と以前聞いた。だからオレも黙っていた。そのうちに大体を食べ終えてしまって、手持無沙汰になったオレが割り箸を指先でいじくりだしたところで、倉橋が漸くそっと笑った。それから小さく、そうな、と呟いて。

「…雪が優しいから、甘えちゃおうかなあ」
「…キメェ」
「雪のそういうところ、弱いんだよな、オレ」

 オレの呟きには構わないまま、背もたれによりかかって腕で目を覆った。普段から見えない左目が、もっと奥まで隠れてしまったような錯覚。水の入ったコップのふちを前歯で噛んで、指輪の突起の数を数えながら、店長愛用の時計がコチコチと鳴るのを聞いていた。

「…帰ろうか」

 腕をどかして笑ったその顔は、いつもの飄々とした余裕のある顔ではなかった。それでも、立ち上がってオレに手を伸ばした、その手はすごく温かかった。店長に声をかけて会計をすませ、すっかり暗くなった路地裏にふたりで立つ。いつもはすぐにタクシーを拾ってしまう倉橋が、今日は歩いて帰るか、とまた呟いた。「もう暗いから、人ともすれ違わないだろうしな」右目が細められる、寂しそうな笑みだった。

 それになんとなくイラッときて、目の前のスーツの袖をぐいっと引いた。「雪?」振り返った目は驚いていて、殴るか蹴るか、それとも背負い投げでもしてやろうかと逡巡し、結局面倒くさくなって、引き寄せたまま文字通りその頬に噛みついた。がり。

「いってぇー! 何!!」
「アンタすげェマズイ」
「倉橋くんは食べ物じゃありません! つーかマジでなんだよいきなり」
「別に」

 慰めてやろうと思って、というにはなんだか違う気がして、側の草むらにペッと唾を吐きながら倉橋をつきとばした。納得いかない顔をしているのはお互い同じだ。頬に手をあてて瞬きをしているオトナに、それで、と首を傾げてみせた。

「タクシー。ほんとに拾わねェのな?」

口の端を持ち上げただけで、倉橋はこれ見よがしにため息をついた。最近のガキはどうしてこうなんとかかんやら。ぶつぶつというテンパを蹴とばしてやろうと軸足で地をこすったら、ふっと目をあげた鳶色と視線が触れた。手首をそっと握られるのと、唇が重なるまでにタイムラグはほとんどなかった。大意なく見返すオレの頭を撫でて、音のない声でオレを呼ぶ。

「一緒に歩こう」

頷きも何もしなかった。倉橋の家の方向へ、ゆっくりと足を踏み出す。
街灯がじじ、と鳴き声を落として、見上げた闇には星はいくつも見えなかった。ポケットの中の煙草の箱をくしゃりと握る。首元に下げたチェーンが細く軽やかに歌う。少しだけ、盗み見るようにしてスーツの裾を視界に入れる。隣を歩く倉橋の足音は、もうその影を気にしてはいないようだった。







翌日、昼過ぎまでベッドに沈んでいたオレは、思い出したように「実はゲームのセーブデータとばしちまってさ。アレすげーな、マジでへこんだわ」といってへらへら笑ったそのアホ面に、目覚まし時計を思い切り投げつけていた。心中思いはただひとつ。

念入りに死ね、クソ野郎。
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テーマ「人外ファンタジー」
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