大衆食堂の延長のような居酒屋に入ると、いつものように店主が笑顔で迎えてくれた。今日もチビが一緒なのかよ、そうだよ今日もお守りだよ。気に入らない単語がいくつも聞こえる気がするが、オレの気はそう長くはないので聞こえないフリをする。さっきみたいにまた組み敷かれてはたまらない。

 いつものように店の角端に腰を下ろす。ここはすぐ隣に大きな植木が置いてあるので、向こう側からはこちらを見づらく、側を通る人の影もあまり気にならないというオレの気に入りの場所だ。クソ野郎が連れてきた店を気に入りだと思うのは癪だったが、店主の雰囲気も飯の味も嫌いにはなれなかった。

「雪坊、今日は何食う?」
「オレ春巻き」
「あいよー。クラは何食う」
「豚汁定食ー。お新香かぶのにして」
「はいよ」

 スーツのネクタイを乱暴に外してぞんざいに投げる。向かいの席に適当に腰かけたクソ野郎――倉橋、を、背もたれに寄りかかったまま窺い見た。この頃は忙しいのだろうか。いつも見る倉橋よりも3割増しほどよれて見えた。心配、ではないと、指輪をこすり合わせてまた奥歯を噛んだ。

「雪」
「…んだよ」
「今日は学校、行ったのか」
「行った。午後から」
「そっか」

 頑張ったな。額にあてた手のひらの隙間から、倉橋の淡い茶色の瞳が見えた。隠しもしない色が防ぐ間もなく降り積もる。傘を持たないオレはただそれを浴び続けて、そのうちぐっしょりと濡れてしまう気がした。くだらない。

 立ち上がって厨房のコーナーに向かい、置いてあるコップをふたつとった。「おばちゃん、水のボトル一個持ってっていい」奥で野菜を刻んでいたもうひとりの料理人に声をかける。おばちゃん(最初はお姉さんと呼べと怒られたが、そのうち「おばちゃんでもいいわねえ」と呼び方を改めさせられた)は包丁でキャベツを刻みながら、気前よく頷いてくれた。ありがと、コップを持った手を軽くあげて、席に沈むクソ野郎の目の前にコップをひとつガン、と置く。呆けたようなツラに腹が立った。テメェさっきまであんなに楽しそうだったじゃねェかよ。

「ほら。飲めよ」
「…アルコールじゃねーの」
「んなツラしてる野郎に出す酒はねェってよ。死相でも出てんじゃねェの」
「ハハ、雪にしちゃ面白いな」

 黙って飲めとコップになみなみ水を注いでやる。これじゃ持ちにきーよと文句をたれながら、倉橋は素直に口をつけた。ため息を飲み込むような顔。

「…なんか疲れることでもあんのか」
「ん?」
「死相は冗談だけど。ヒデェツラ」
「ほほー。心配してくれんだ?」
「やっぱ死ね」

 注いだばかりの水を目の前のアホ面にぶちまけないために大変な努力を要した。握りしめたコップがみしりと嫌な音を立てる。からからと笑うおばちゃんの声は耳障りではなかったが、目の前のこいつのくつりと音をたてる含み笑いは不愉快以外の何物でもない。

 初めから言葉多く交わす仲ではなかったが、細切れの会話をなんとか続けるような時間はもう過ぎていた。沈黙も落ちれば長く続いた。それでも、オレは週末になればこいつを待つし、こいつはオレのために冷蔵庫にコーラを入れておく。そういう習慣がしみついただけだ。


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