鼻唄が聞こえた。

「――……?」

ゆるりと覚醒した意識に目を瞬かせ、未だぼやける視界に声の主を探す。綺麗な歌声…とはいえなかったが、その声はとてもふわりとした響きを持っていた。
目を覚ましたのは木陰だった。さわ、と緩やかに風が吹く。ぼんやりと思って少しだけ手を伸ばしたら、確か寝る前まで電源がついていたノートパソコンに手が触れた。ああ、ここにあったのか。息をつく。

「あ。起きた」

目を閉じた暗闇に、不意に声が落とされた。それは先ほどの歌よりもはっきりと、けれどオレの心に鈴を鳴らすように零れ落ちる。目を開けた。もう随分と傾いでしまった陽光に、その姿がはっきりと映る。

「…月村」
「おはよ。また夜更かしか」
「昨日は早く寝たって」
「ふうん?何時」
「…にじはんくらい」
「ほらやっぱり」

月村が笑う。光に沈むその笑顔が気恥ずかしくて、片方の腕で視界を遮った。それでも光は消えない。そこにある。少しだけ沈黙があって、それからまた月村が鼻唄を奏でだした。さざめくような声。オレにとっては意味を持たないその音の流れが、時折吹く風に混じって溶けていく。

今は何の時間だろうと思って、時計をつけている方の腕を何気なく見た。そこにあったのは肌色と制服の深緑、…気づかれないように盗み見た、細い腕には見慣れたアナログ時計が収まっていた。オレからはベルトと横面しか見えない。思ったよりも近くにあったその腕に、穴ひとつ締めた時計が光る。時計は好きだった。というより、正確に動くものが好きだった。変化や流れはとても不安だった。…だった、と思って思わず笑みが落ちそうになった。それを逃す月村じゃない。オレの知ってる、月村のこと。

「随分楽しそうな」
「楽しいよ。月村がいるから」
「…いるだけでいいんか」
「ご要望とあらばそれ以上も?」
「冗談だから手首つかむのやめろ変態」
「月村、前から思ってたけど手首細いな」
「天誅!」

びしっと落とされたチョップに反射的に手を出したら、それこそ奇跡的にキャッチができた。驚くオレと月村と、思ったよりも近い距離。合う、視線。

「………ふはっ」
「ぶっ」
「あはははは!」
「つ、つきむらムードだいな、ふっ、は…!」

先に噴出したのは月村だったけれど、オレもつられて笑いのスイッチが入ってしまった。木の下、校舎裏の隅で、二人して満足いくまで笑いこける。特に月村はオレたちの中でも結構な笑い上戸で、オレが呼吸困難寸前まで笑いつくしてもまだ地面に向かって笑顔を振りまいている最中だった。…離れなかった右手で、月村の左手を握る。あたたかい。笑いのせいでぎゅっと握りこまれたそれが、オレには眩しくて仕方なかった。

「あー笑った!」
「お疲れさま月村くん」
「お前の顔が面白くてついツボに入ったんよー。ほんっと苦しかった」

もーやだなんて言いながら、シャツの首元をぱたぱたと楽しげに扇いで風を受ける。だんだんと熱くなってきたせいで、木陰でも熱は十分にある。それでも離れない、熱。気づいてないわけがないのに。

「…なあ、月村」

横顔にひとつ汗が走って、(オレが言えたものではないけれど)運動部の癖にやたらと白い首元に転がり込む。その先をつい目で追って、ドキリとしたのは気のせいではなかった。ごまかすように口を開く。ん、と振り向いたその目が、…とても、綺麗だと思って。

「…さっきの歌、もっかい歌って」

月村につながっていない方の手が、またパソコンに触れる。オレの世界がオレを通してリンクする。不思議な感覚。全てではないけれど、不完全だけれど、不安定だけれど。それでもここにある事実、矛盾ではないコードエラー。月村はんー、といってから少し笑って、じゃあ、と首を傾げるようにしてオレを見た。

「歌ってやるから、森川も覚えろよ」

オレの右手を、細いけれどしっかりとした指先が叩く。そっと触れ返す、そのタイミングでまた歌が聞こえた。今度はもっとちゃんと、それでもやはりゆるやかに。

傾いていく日の中で、深緑と声がささやく音を聞いていた。それはいつかきっと、オレにも理解できる何かになって、オレの知らないオレを解き明かしてくれるのだと予感させるような音色だった。
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -