「うげ」

教室に携帯を忘れてきたと言って先に部室のドアを開けた倉橋が、何かに気づいて足を止めた。ついでに吐かれた言葉は珍しく嫌悪がにじんでいる。何にでも余裕を持つのが信条だと常に笑って憚らないそいつが舌打ちでもしそうなその様子に、お前はオレかとついつっこんでしまいたくなった。

「んだよ。景気悪い声出すな」
「だーぁって佐治よー。外見ろよ外」
「外ォ?」

振り向いた顔も嫌悪丸出しで、その背中から向こうをのぞきこんでみた。見れば、ぱらぱらと水の粒が舞っている。どうやら練習が終わってから今までの間に降り始めてしまったらしい。気づかなかったなと何気なく言えば、倉橋はまた下降した気分を隠さずに拗ねたように地面を靴先で蹴とばした。

「…お前が雨嫌いとか知ってっから、んな顔すんな」
「オレ今日傘持ってない」
「嫌いなくせに天気予報とか見ねェのか?」
「だって雨予報とか見るのも嫌じゃん」
「…我儘ばっかいいやがって」

いつもは余裕な表情でなんでもこなしますと言わんばかりのこいつが、雨の日だけは子供じみた駄々をこねるのは昔からだった。髪がまとまらないとか足元の水が跳ねるのが嫌だとかそれこそ子供じみた理由ばかりだが、とにかく雨は嫌いと物心ついた頃から言っていたように思う。年季の入った嫌いよう。特に今は部室内にもオレと倉橋しかおらず、こいつがそういえば朝から頭痛かったしなぁとかぶちぶち呟くのも仕方がないと言える。仕方がない、が、…鬱陶しいもんは鬱陶しい。

「なんで部室棟って外にあるんだろう絶対おかしいだってそしたら雨降ったら濡れちゃうし渡り廊下は泥だらけになるし何より湿気ですごいことになるのに」
「ぐちゃぐちゃ言ってねェで、携帯、とってこい」
「佐治の鬼!」
「いい加減にしねェとオレもキレるぞ」

普段イラついてなだめられるのは自分の方だったので、こういう時くらいはなだめる側に回ってもいいかと思ってはみるものの、やはり向き不向きはある。正直自分のことでも余裕のないオレが、他人のことまで構えるはずがない。それはどうだと言われようが知ったことではない。むしろそれはそういうオレがいいんだと甘やかし続けたこいつのせいだと思ういや絶対そうだ。

「さっさと、行け。陣」
「わー! 雪のばかー!」
「テッメェゴラァ人が優しさ見せてりゃつけあがりやがってその天パブチ抜くぞ!!」
「ゆきがもりかわぁー!!」
「踏み潰すぞ陣コラァボケェ!!」

両耳をふさいでわあわあと騒ぐその頭に一発チョップをお見舞いする。あうっだかなんだか奇声を発してずるずると地面に落ちていった、その向こうで未だ雨はぱらぱらと降り続く。オレ自身は雨は嫌いじゃなかった。さすがに濡れるのが好きだとかいうつもりはないが、晴れの日よりは静かな音が好きだった。だから、ため息と一緒に自分のタオルを倉橋に投げつける。

「…さじ?」
「それ貸してやっから。オレと一緒に濡れて帰るか、携帯取りに行ってついでに一人で濡れて帰るか。好きな方選べ」
「…わぁ佐治おとこまえー」

頭にかぶったそれを両手で持って、いつもみたいにくしゃりと笑う。止む気配のない雨を見て、勢いよく立ち上がって鞄を肩にかけた。怖いものじゃないから手は震えないけれど、その手は鞄がいやに重いことを訴えてくる。憂鬱な日、なんだろう。きっと。雨は嫌いだな。呟く声はもう、そっと置いておくような色をしていた。

「佐治、一緒にかえろ」
「ん」

手を伸ばされて、今日は仕方ないと思ってその手をとった。嬉しそうに目を細める。触れた熱さえ包み込んでくれるような雨の音を、オレは嫌いにはなれなかった。
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