しんとした部屋に、ピリピリピリ、と素っ気のない機械音が響いた。ちょうど脱ぎかけていたシャツをそのままにして、その機器をとりあげる。表示はメールではなく着信の二文字。これまた見慣れた二文字がそれに付随しているのを見て、すぐ頭上にある時計を一度確認した。時刻はちょうど夜の0時を回ろうとしているところだ。
回数的にいってもそろそろ切れてしまうかもしれない。ピッ、通話ボタンを押す。

「――はい、戸畑」
『…ユーシちゃんの意地悪』
「のっけからなんだよ。失礼なヤツだな」

思わずといった風に笑みをこぼす。耳元で拗ねたような声を出すのは、年下で最愛の(ある意味では)教え子だ。携帯を肩に挟んで着替えを再開しながら、機嫌を損ねないように軽めの優しい口調で問いかける。

「どうした、こんな時間に」
『むー。…別になんでもないんだけど』
「なんでもねェのに電話すんのかお前は」
『今日のユーシちゃん意地悪!声聞きたかったの、そんだけじゃダメ?』
「別に?」

お前の好きにしろよと笑ってやる。もう、とふくれっ面の相手が目に浮かぶようだった。

『ユーシちゃんすぐ笑うー』
「お前の行動がおかしいからじゃねェの」
『ひっど!』
「嘘だよ。――京介」

耳元で息をのむ声が聞こえる。それからつっかえつっかえ、結局ユーシちゃん!と怒鳴られるだけで終わった。その不器用さがおかしくて、かわいくて、たまらなく愛しいのだと、この声の主は気づいているのだろうか。眠りに落ちる前のぼんやりとした揺らぎの中で思う。

『…ユーシちゃん、もう寝る?』
「そりゃな。毎日暇って訳じゃねェから」
『そっか』
「まあ、お前の話、聞いてやるくらいの時間ならあるよ。オレから話っつうとちょっとキツいけど」

声を聞きたいという京介の願いを叶えるにはちょっと難しい状況かもしれない。そう思ってごめんなと言えば、今日は珍しくだいじょうぶ、と素直な声が返ってくる。それに何かあったのかと聞いてあげられるほど、オレは大人にはなれなかった。そんな類の気遣いをしてやるほどの仲でもない。

「何か聞きたいことでもあったのか?」
『うーん……ユーシちゃん、オレのこと好き?』
「今すぐ切るぞ」
『わーごめんごめん!冗談だから!』
「冗談で聞くような内容じゃねェだろ、ばか京介」

返す声色は厳しくなくても、京介は電話越しにしゅんとした雰囲気を伝えてくる。真夜中の電話の意図はよく分からないが、京介の考えていることもよく分からない。どちらにしろオレには推測しか残されておらず、それで補うには余りにも共有が少なすぎた。ユーシちゃん。また京介がオレを呼ぶ。そういえば今日はやたら呼ばれるような気がすると、もう一度、今度はちゃんと名前を呼んだ。京介。

『…ユーシちゃん』
「なんだよ、京介」
『…なんでもない。もう切るね』
「ん。…もういいのか?」
『うん。これ以上話してると切れなくなっちゃうよ?』
「切れなきゃそのまま寝るだけだけどな」
『そのままなの!?オレすっげー寂しいじゃんそれ!』
「2秒で切り換えろ。オレの寝息サービスだと思え」
『えっ、…え、…エー…エエー…』
「何が不満だよ?」
『…一瞬ときめいちゃったオレかな』
「ばーか」

脱ぎ終わったシャツを近くにあったソファの背もたれにばさりと投げて、そのままベッドに腰を下ろす。カーテンは朝開けずに出てしまったのでそのままで大丈夫だ。髪を解いて、きちんと携帯を持ち直してからメガネを外す。ガラスの隔たりのない世界は、今日もまた少しだけ白く見えた。ユーシちゃん、もう何度目か分からない自分の名前。白い世界に目を細める。

「ん」
『じゃあ、おやすみ』
「おう、おやすみ。ちゃんと寝ろよ」
『うん。ユーシちゃんもね』
「分かってる」
『……ユーシちゃん』
「ん?」
『だいすき』
「…おう。オレも好きだよ」

うん、向こう側で頷く声はもう明るかった。じゃあ、と言い残してぷつり、通話が途切れる。やけにあっさりとした終わり。それはオレとあいつとの間にはよくあることで、オレは少しだけ熱を持った携帯を片手でぱちりと閉じた。手を伸ばして、ベッドサイドに置く。そんなに頻繁に携帯を使う方ではなかったので、充電は二日に一度で十分だった。ただそれを、いつものように鞄に放り込んでおく気はしなかっただけで。

ベッドに乗り上げて布団にもぐりこむ。目を閉じる瞬間の前、消えるランプがまたひとつ光ったような気がして、浮かんだ笑顔にもう一度おやすみ、と呟いた。














通話の切れた携帯を握りしめて、ベッドのすぐ横の壁にごつりと頭をぶつけた。頭の中いっぱいに声が反響する。幼稚な恋だなんて分かっていた。胸が痛くて苦しくて、それでも彼の名前を呼ばずにはいられない。あの人の想いが欲しいと思った。あの人のすべてが欲しいと思った。限りなくヒャクに近いゼロ。曖昧な境界の上で。

「…おやすみ、ユーシ」

携帯ごと枕の下に腕をいれて、そのまま暗闇の中で目を閉じた。耳元に聞こえるあの人の声。それがまたもうひとつ、おやすみ、と言ってくれたような気がして。
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