翌日、大学で会った黒子は何事もなかったかのように「こんにちは、火神くん」と手をあげた。それは昨日よりも前と同じ態度だ。隠すのがうまいのか、隠そうともしていないのか、そもそも隠す必要がないのか。……考えるのが得意ではないオレは、とりあえず同じようにして手をあげた。
「昨日はありがとうございました」
「ん、いや。オレも結構楽しめたし」
「…火神くんは本当に、」
言葉を切ってバニラシェイクを飲む、その先を聞ける雰囲気ではなかった。オレも黙ってバーガーをかじる。二人で入った駅前のマジバはそれなりに混んでいて、黒子がうまいこと単語をごまかして話すのに乗っかって話を聞いた。オレにとって昨日の出来事はどこまでも非日常で、その中心が今まで(そういう意味では)気にも留めていなかった黒子だということがどこか不思議だった。黒子の声は透き通って、淡々と続く。
「話をしますとは言ったんですけど……正直、ボクもどう話していいか分からないんです。このことを誰かに言ったのは火神くんが初めてで」
「…なんで、オレだったんだ」
「どうしてでしょう。キミは同じバスケをする仲間で、大切な友人で……それでも、ボクの勘は正しかったと思います。昨日も言いましたが」
「ん?」
「あんなに楽しそうな彼を見たのは、本当に久しぶりだったんです」
彼、とは黄瀬のことだ。帝光中学校への帰り道、どことなく寂しそうに地面を蹴る横顔が記憶に残っていた。無理矢理頭を撫でるわけにもいかず、こんなデカい男相手にそんな感情がわくこともオレには新鮮だった。そんなことを思いながら。
「…お前はそう言うけど」
「はい」
「そんなに、楽しそうだったか。アイツ、多分お前といるときの方が楽しそうだったぜ?」
「……ええ」
黒子は少しだけ寂しそうに笑った。近くで見ると案外キレイな顔してるんだな、こいつ。昨日見たあの二人とはまた違うジャンルのキレイさ。黒子はストローに口をつけて、紙カップのふちを少しいじってから、またぽつりと話し出した。
「黄瀬くんの側は居心地が良かったでしょう」
「…ああ、まあ」
「彼は、その日相手となった人の心を読みます。動作、言葉、歴史、彼がとった行動への反応…その全てから、自らを相手の理想の同伴者とする」
「は?」
「彼は人の心をコピーする。…それが、彼の特技です」
真っ直ぐにオレを見るターコイズブルー。その影の中には、嘘も偽りも感じなかった。逆に探るようにして瞬きもしないその瞳を見返して、こくりと頷くことしかできない。
「特技、ったって…」
「彼は目が良い。それから、他人に対する好奇心も旺盛です」
「ああ、まあ、見るからにそんな感じだったな」
「裏を返せば彼は、他人からの評価にとても敏感だということになる」
黒子の話はオレには全く意味が分からなかった。ハンバーガーを食べる動作も自然、止まる。黒子は視線をそらして、迷うようにしながら言葉を続けた。
「彼は、ボクといると気が楽だと言ってくれます。ボクはそれがとても嬉しい。でも、ボクにとっての一番は彼では無くて。……それがボクには苦しいんです」
手をつないで幸せそうに笑いあう黒子と青峰を思い出す。言葉は酷いが、黒子は見た目がチャラい青峰がアレだけ思い入れるような人間には到底思えない。それでも、昨日の二人はそれが当たり前だと言わんばかりに寄り添っていた。黒子の笑顔と、青峰の態度。……それから、黄瀬の少しさみしそうな、横顔。
「彼はボクたちを好きでいてくれています。ボクもあの子も、彼が好きだ。それなのに、彼は未だに、ボクたちに捨てられることに怯えているように見える」
「…なんだよそれ、んなこと」
「事実、ボクたちは彼を一度、捨てたことが有るんです」
今度こそオレは絶句した。要領を得ない黒子の話も初めてなら、そんな複雑な人間関係を聞かされたのも初めてだった。キャパシティいっぱいのギリギリオーバー。それが顔に出ていたのかは分からないが、黒子はふっと息をついて雰囲気を緩めた。すみません、ため息のように吐き出して。
「ボクだけでは、もう、抱えきれなくて。……キミを巻き込もうとしたこと、本当に申し訳ないと思います」
「いや……それは気にすんな。オレの意思で行ったんだ」
「ありがとうございます、火神くん」
ほっとしたように笑う、黒子は気づけば少し疲れたような顔をしていた。表面を聞いただけでも確かに重い話だ。これを一人で抱えるのは、思う以上にしんどいことなのかもしれない。
立ち上がってゴミを捨てに行く。マジバを出る直前、来週も付き合ってくれますかとささやくように言った黒子に、オレは間を空けずに行くよと答えていた。