ああ、オレはきっと生まれてくる星の元を間違えたのだと思う。
希望的観測でいえばそりゃあラブロマンスの星の元がオレにとっても周囲にとっても良かったのだろうが、残念なことにオレはラブロマンスではなくバイオレンスかパニックか、そんな類の星の元に生まれてきてしまったらしい。せめてヒューマンドラマくらいでおさめて欲しかった。ちなみに全部映画のジャンル名だけども。
そんなことをつらつらと思いながら、オレは先日と同じくごつごつとした校舎の壁際にじりじりと追い詰められていた。目の前には体躯のしっかりとした運動部らしき方々が10人弱、こんな文芸部員ひとり追い詰めるのにご苦労様ですといったところ。
「お前さぁ、最近アイツラとよくツルんでんだろぉ」
「あ、あいつら…? とおっしゃいますと」
「ふざけてんじゃねえよ!」
「あんま調子のってっとツルしあげんぞ!!」
すでにこれはツルしあげなんじゃないだろうかと思ったが、それを指摘するのはさすがのオレでも無理である。しかも言ったが最後、よくてその辺の窓か悪くて口では言えないところに吊るされそう。幸いサッカー部や野球部に友人が多いために胸倉をつかみあげられてもそう怯えることはないが、平和に生きるオレにはとても歓迎できる状況でもなかった。
「あの、ほんとに分かんないんですけど…教えていただけませんか」
「…ちっ。アレだよアレ、バスケ部の」
「バスケ部…バスケ部?」
「最近ツルんでんだろーがよ、思い出せコラァ」
「それともその軽そうな頭にイッパツいれっかぁ?」
「あ、それは結構ですほんとスミマセン」
あっちからこっちからとんでくる罵声や怒声、ラブロマンスには全くもって必要のないものばかりだ。そりゃあ多少の障害や波乱はつきものだが、それだってハッピーエンドを導くためのものであって、こんなバイオレンスな展開を期待してのものじゃない。それに、なんていうか、サッカー部とか…あと、高尾が怒ったときの方が、今よりよっぽど怖かったし。そこではたりと問いの意味に気づいた。
「…あ、高尾? と、緑間? …ですか?」
「ンだよ、思い出すのがおせーんだよボケェ」
「スンマセン、ちょっと記憶力の方が乏しいもので…」
「だぁってろガキ。いーからとっととケータイ出せよ」
「携帯?」
「知ってんだろ、あいつらのアドレス。よこせ」
「え」
それはちょっとといいかけて、目の前の拳が握られたのを視界に入れて思わずため息をつきたくなった。生憎オレは殴られたりする趣味はない。
携帯、といわれて真っ先に思い出すのは先日のこと、緑間がシュート練を終えた後に「アド交換とかする方?」と聞いたら「普通にする方。でもアンタとはしない」と返されて、それもオレにはなんだか納得いくものだったのでただ「そっか」と答えたきりだった。要するに、オレの携帯には高尾のアドレスも緑間のアドレスも入ってはいない。
だが今それを言ったらオレがどうなるかは明白で、なんだかオレもう絶壁ピンチ、明日のロマンスも拝めないと咄嗟に頭部をかばおうとしたら、野郎共の後ろ、昇降口につながる扉がガチャリと開いた。わぉ、こんなタイミング、まさにあなたもバッドエンド。オレ泣きそう。
「…何をしているのだよ」
あああと嘆きの声しか生まれなかったオレの脳内に、低く通る声がぽつりと落とされた。一斉に振り返っていたこいつらにも当然それは聞こえたわけで、オレはまさかの展開にもう絶望しか覚えない。
「…緑間じゃねぇかよ」
「そうだが。何か用でも?」
「用でも、じゃねえよ! ちょっとツラ貸せコラァ!」
「生憎取り込み中だ。後にしろ」
「今テメェから聞いただろーが!」
「みっ、ちょっ、みどっ、みどりま!」
出てきて早々喧嘩腰の緑間に、オレは人波を潜り抜けるようにしてストップをかける。もちろん届くのは声しかないが、緑間はそれだけで何かに気づいたように驚いた表情になった。それに嫌悪感情がないことにむしろオレが驚いてしまって、す、と細められた緑間の目に一瞬反応できなかった。
「…そいつが何かしたのか?」
「ハァ? テメーに関係あんのかよ」
「ただの知り合いだが、少なくともお前らよりは関係があるのだよ」
「へぇーこりゃあいいこと聞いたな」
「こいつ知り合いなんだーへぇえー」
うわあ白々しい、昨今の子供向け特撮の敵キャラの方がまだ上手に立ち回るとオレはもうどうにでもなれと感情を投げてしまいたくなった。が、ここでオレが意識をとばしていても仕方がない。緑間があれだけのやり取りしかなかったオレのことで感情を揺らしてくれるのはどこか嬉しかったが、今はそれどころではない。渦中はオレだ、オレがどうにかしないと。
「あの、スンマセン、緑間には手ださないでもらえない、です、か」
「ハァ? 聞こえねー」
「殴ったりとか蹴ったりとかは、オレだけにしてくんないですか!」
「だからうるせーよバァーカ!!」
がつん、と下っ腹に衝撃が走った。どうやら膝蹴りを入れられたらしいが、吹っ飛ばされようにも間近に壁があったせいでオレはそこに強かに体を打ちつけただけで静止した。視界に星と闇と流星、ロマンスのかけらもない痛みがびりびりと走る。
げほっと咳き込んだら、今度こそ辺りがバトル開始な雰囲気に飲み込まれた。こういう雰囲気から最も遠い場所で生きたいと願うオレがなぜだ。それでもなんとか起き上がろうと肘をついて状況を見上げたら、野郎共が今にも緑間をどうかしそうな勢いで、ぐっと握られた緑間の右手にさっきとは違う感情が一気にわきあがった。
あのきれいなシュートが生まれる手。緑間の。
――突如、がしゃーんだかどしゃーんだか、言葉に形容できないような破裂音が響いた。
何事かと目を見開くついでに瞬きをする。目の前を通過していったのはどう見てもどこの教室にもあるだろう机と椅子で、そのどちらもが一番先頭きって走り出したやつに命中した。…ようにしか、見えなかった。
そんな都合よく物がとんでくるとかあり得ないとまたひとつ咳き込むと、視界の端っこ、オレからは見えなかった側の校舎の裏から、手をぱんぱんとはたきながら少し小さめの男子学生が姿を見せた。オレがそれを認識して名前を呼ぶ前に、その黒い弾丸のような影は身軽に舞って、その辺に立っていた野郎共に少なくとも2発ずつは打撃をお見舞いしていた。
反応しきれていないやつらは突然の攻撃に身を翻し、覚えてろだかなんだか雑魚キャラのテンプレ捨て台詞みたいなものを残して走り去っていった。あっという間の出来事。映画のバトルシーンだってもうちょっと尺を取るだろうと思ってしまうほど、流れるような動きだった。
言葉を発しない彼の目が猛禽類から通常色に戻ったのを見てから、オレはようやく彼の名前をぽつりと呼んだ。「…高尾」振り返ったそれが、さっきの緑と似たような表情をする。
「あれ、文芸部じゃん。…ん、もしかして今ボコされてたのって文芸部?」
「あ、…そう、うん」
「へえ。アンタもやるね」
二人分のカバンをひょいと持ち上げて笑う高尾は、それきりオレを見ずに緑間の制服の砂埃を払い出した。カバンを渡す前に緑間の手をとって、一瞬撫でてすぐ離す。地面に倒れたままのオレは、ピンチから逃れたばかりだというのに、思わずそれに見惚れてしまった。
「…遅いのだよ、このバカ尾」
「ゴメンゴメン。なんか担任がさぁ、特別教室の机一個運び忘れたとか言ってて」
「ああ。それでアレか」
「そう、それでアレ。ま、時間短縮にもなったしちょうど良かったよ」
真ちゃんが殴られでもしたらオレ困っちゃう、言いながら笑う高尾にオレは再び背筋が粟立つ思いがした。ほんとに、高尾は怒らせたらいけない種類の人間だ。知り合ってたった数日でこれほどまでに緑間に入れ込んでいるのが分かる、その一途さが怖くて、羨ましくて、…それからとてもまぶしかった。
少しだけ調べてすぐに分かったことだったが、緑間は中学の頃からバスケがうまくて、他の数人とあわせてキセキの世代と呼ばれていた。そのメンバーにはモデルやら2メートル身長のやつやらがいてとても並んで話せるもんじゃねえと思ったけれど、その中でもやはり緑間に視線が吸い寄せられる。その理由はオレにとっては明白だったけれど、高尾にとってはどうだったのだろう。馴れ初めも現状もオレには知りようがない。けれど、たったこれだけの時間で、高尾が緑間を本当に好きなんだろうことは分かったし、緑間も案外人間味のあるやつなのだと実感した。結局は緑間も、高尾のことが好きなのだ。そうでなきゃ、こんなにまぶしいわけがない。
何度か深呼吸をして、勢いをつけて起き上がった。蹴られた下っ腹はじくじくと痛んだが、それだけのことだ。
自分のズボンの砂もはらって、校内では割と有名な例の自転車の鍵を指に引っかけた高尾をちょっと窺ってから、やっぱりどうしてもと思って緑間を呼んだ。オレに興味のなさそうな目は変わらないが、オレはそれでも構わなかった。
「…さんきゅ、な」
「…オレは何もしていないが」
「そんでもいいよ。言いたかっただけ」
時間とらせてごめんと手をあげて、そのまま校舎に向かった。いきなり連れて来られたせいで荷物は全て教室だ。実は携帯電話もポケットにはなかったので、本当にギリギリだったなと今更ながらに胃が痛む。絡まれた原因だと責める気持ちは微塵もなかった。そういうことは、どこの世界にだってよくあることだから。
校舎に入る間際、こっそりと振り返ってみた。緑間が手前にいるせいで高尾の姿は隠れてしまっていたけれど、少しだけかがむように俯いているその背中とそこに回された腕に、やっぱりオレはどうしようもないまぶしさを感じていた。
第三者による、
(オレの求めるロマンスの意味を問う)