「あ、うさぎ」
部屋に入って数歩、見慣れた空間に見慣れない生き物がいるのを見た俺は、見ればわかるとつっこまれそうな言葉をぽろりと口からこぼした。その栗色のけものと一緒にこっちを振り向いたオッドアイ、その双方が楽しそうにくすりとわらう。
「かわいいでしょう。お帰りなさい、遅かったですね」
「ただいま。ちょっと話し合いが長引いて、…そいつ噛まねえの?」
「噛みませんよ」
雲雀くんじゃあるまいしとそのうさぎを撫でる手つきがなんとなくやらしい(色っぽい、じゃなくて)。うさぎは目を細めて何回か撫でられた後で、その手を逃れてまたぱたんぱたんと走り出した。置いてあるティッシュの箱や本の角なんかに時折あごをつける動作をしている。
「なにやってんの、こいつ」
「これは所謂マーキング、ですかね。所有宣言です」
「へえ」
ぱたんぱたん、絨毯の上を軽やかに跳ねる。ふわふわなそれにさわってみたくて、近づく術が分からない俺はまた骸に向かってなあ、と問いかけた。
「そいつ、呼んだらくる?」
「来ますよ?呼びましょうか」
「うん、さわってみたい」
「くふふ」
少し離れたテーブルのしたにいたうさぎを、骸がツナヨシ、とためらいもなく呼んだ(ツナヨシって…名前それかよ)。骸に呼ばれたツ、ツナヨシ?は、耳をぴこんと持ち上げて(あ、かわいい)きょろきょろとした後で、もう一度呼びかけた骸の方へと駆けてきた。正座している骸の膝に足をのせる。
「ツナヨシはお利口さんですね〜」
「へえ、名前はともかくちゃんと来るんだな」
「名前はともかくってなんですか。いい名前でしょう?」
「…そういう答えづらい質問をするな」
「くふ、残念です。ほら、呼べば貴方の方にも来ますよ」
「え、まじで?」
骸の膝下でふんふんと鼻を動かしているうさぎ(ちくしょうなんて羨ましい)に、試しにツナヨシ、と呼び掛けてみた。
「…うあ、」
ツナヨシはまたさっきみたいに耳をぴんと持ち上げて、不思議そうな顔をしながらそうっと俺に近寄ってきた。真ん丸な瞳がかわいらしい。
ふんふんと動く鼻の、少し上のおでこにちょっとさわってみた。ふわふわ…ってわけじゃなくて、ここは結構すべすべしてる。ツナヨシが嫌がらないのをいいことに、体の方まで手を滑らせてみた。こっちはすごく、ふわふわ、で。
「っ、かわいい…!!」
「そうでしょう、ツナヨシのかわいさは天下一品です」
「うさぎって初めてさわった…こんなにふわふわなんだな」
「食用にと思ったんですが、愛着がわいたので飼おうかと思って」
「あ、なるほど」
名前はツナヨシのままなのか、と多分聞くまでのない疑問を胸中に押し込めて、立ち上がったツナヨシに指先だけを向けてみる。しばらく興味深げに鼻を動かしていたツナヨシは、一度ぺろ、と指先をなめてから不意にすり、とあごを滑らせた。あ、これってさっきの?と聞きかけ、て。
――ドゴン!
「………」
突如響いた物騒な音に、ツナヨシと俺は一緒になってとびあがった。凄まじい速さでテーブルの下に駆け込んだツナヨシに裏切り者!と悪態をつきながら、おそるおそる骸を見る。有幻覚の槍相手にクッションひとつでは寒々しいこと北極圏のごとしではあったが、廊下までつき抜けるほどの穴をみたら丸腰ではいられなかった。
「む、…骸、さん?」
「…ぜいが」
「へ?」
「ツナヨシ風情が、僕のディーノに…!!」
ディーノは僕のです待ちやがれこの畜生がとかなりの重低音で呟きながら槍をふりかざす骸、縮こまっておびえまくるツナヨシに、
…それを止めるべきか喜ぶべきかを瞬巡してしまった、俺だった。(ツナヨシ、ほんとごめん)
ふわふわなかま
(やっぱり肉にします!!)
(いやちょっ、落ち着け骸!!ツナヨシびびってる!!)