風邪をひいた。
火神っちと一緒に歩いて、寒い寒いって文句をいって、しょうがねえなってホットミルクを奢ってもらった翌日だった。温かくしてろよっていう火神っちにマフラーまで借りたのに、帰って風呂からあがったまま電源の入っていないコタツでうたた寝をしてしまったのがおそらくは原因だ。オレってほんとバカだと思う。バカは風邪ひかないんじゃなくて、バカの風邪は一般人と種類が違うだけだ。火神っちがあれだけ心配してくれたのに、寒がりなオレはコタツ布団の魔力に意図も簡単に陥落した。なんていう救いようの無い話。
最後に出ていった母親を見送ったのはもうそれなりに前のことで、なんだか泣きたくなりながらぼんやりとにじむ視界のなかでぐるりと時計を探してみる。見えた針の向きはちょうど朝練が始まる時間を指していて、先ほど笠松先輩からもらった『お前ってほんとバカだな』の一文がしみじみとオレの心を抉っていた。最もっス、先輩。
枕元に置いた携帯電話は真っ白なメール画面のまま、ライトが消えた状態で転がっていた。普段ならくだらない話とか冗談とかですぐに埋まってしまうその白さ。
『電話はするから、大丈夫だろ』
今日ちょっとマジバ行けないかも、と控えめにいつものデートのお断りメールをいれた、その返事の中の一文だった。用事あんなら仕方ねえな、なんて聞き分けのいいことばっかりいう火神っちに不満がないわけじゃないけど、でもそれが火神っちで、オレはそういう火神っちが好きで。それを見たら、胸がぎゅっとして返事が打てなくなった。目を閉じても浮かんでくる。真っ白な画面に、火神っちの声で。
『大丈夫だろ』
――…大丈夫じゃ、ないよ。
父親は海外と日本を行ったり来たりだし、母親は芸能関係で働いてて朝早くから出かけていく。一人っ子のオレはご飯やら薬やらを代わりに置いていかれたまま、当然日中は誰もいない。火神っちにいわせれば極度のさびしがり屋なオレだ。今だってもう、カチコチと鳴る時計の針にすら泣きたくなってる。
だからって、大丈夫じゃないとは言えなかった。火神っちは優しいから、オレがさびしいって言ったら絶対来てくれる。途中で風邪薬となんか良さそうな飲料を買って、ため息混じりの苦笑と一緒に、お前がいうからだろって。そんな甘えはダメだ。だから言えない。
風邪をひかなくても出来ることは、風邪をひいていたら出来なかった。それを痛いくらいに脳に刻み込む。『大丈夫』に通じる4を押したら、玄関の方でピンポーンとベルが鳴るのが聞こえた。タイミングが悪すぎる。オレ今落ち込んでんのに誰かの相手とかするわけないだろ!
苛立ち紛れにそのまま無視してやろうと携帯ごと放り出す。玄関先に来たであろうそいつは、もう一度ピンポンを押す――こともなく、かちゃりと鍵穴に何かを差し込んでいた。宅急便か何かだと思っていたけれど、鍵、てことは――え、まさか強盗!?
思わずベッドの上に乗り上げて身構える。熱が上がってくらくらした。金目のもんなんて何もねっスよ、家に入って鍵をかけたらしいそいつは、ためらいもなく階段を上がってきた。後ずさっても壁しかない。うう。無意識に携帯を握り締める。襲ってきたって対処は出来る、回らない頭と動かない体でドアを睨みつけた。
こつり。控えめなノック。
「…黄瀬?」
聞きなれた声。かちゃりとドアが開く。ノックしたなら返事待てって、いっつもいって――
「………かがみっち?」
ドアからのぞいた顔は心配そうにオレを見る、携帯の宛て先の人物そのひとだった。
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