家に帰ったら、黄瀬がいた。


「お帰り」

「…おう」

「…何その返事」


普通はただいまっていうんじゃねえの、家の中にひとつだけあるソファの定位置におさまって、我が物顔で雑誌をめくる黄瀬が不機嫌そうにオレを睨む。すぐ前のガラステーブルに買い置きしておいたチョコレートがのっているのを見てから、オレはようやく靴を脱いだ。


「勝手に食うな。何回目だ、お前」

「別にいーじゃねっスか。もう諦めろよ」

「…ここ、開き直るところか?」

「アンタが往生際悪いから。ケチケチすんなって話」

「……お前な」


なんかもう怒る気すらわかない。こいつ本人に悪びれる様子が全くないのと、なんだかんだいいながらオレのシャツをはおってるのに気づいたせいかもしれない。どちらにしろもうここにいるんだから、追い出すにしたって面倒だ。

テレビもつけずに何やってたんだかと思いながら、キッチンで手を洗っていつもの癖で冷蔵庫を開ける。…そこにオレが好んで飲んでいる炭酸飲料の瓶が入っていて、ほんとお前ってどっちなんだよと思わずため息が出た。すぐさまため息つくなウザいと罵倒が投げられたが、絶対にこっちを見ないその意思を見る限りどう考えてもごまかしだろう。

飲料はありがたくもらっておいて、これ見よがしに瓶のフタを開けてやりつつソファの反対端に座った。これも定位置だ。いつの間にかオレには、オレの部屋にひとりでいても隅に寄ってしまう癖が出来てしまっていた。


「なんでここいんだよ」

「…いちゃいけないんスか」

「そうじゃねえけど。連絡もなかったし、それじゃオレには何も出来ねえだろ」

「アンタには何も求めてないっスよ」

「…オレには、ね」


飲料をこくりとひとくち飲む。炭酸が心地いい。オレが隣に座ったことで少し縮んだ黄瀬は、膝の上でチョコの包装をむいては口のなかに入れてむぐむぐと噛んでいた。鼻血とか出ても知らねえぞといってやりたいところだが、いっても聞かないのが分かっているのでオレは口を閉じる。それよりも、こいつが食うかなと思って買っておいたチョコを、こいつが文句も言わずに食っていることに満足だった。完全に餌付けだ。

オレには何も求めないらしいので、オレは予定していたことをこなすことにした。キッチンに立って材料を用意して、メニューはどうしようかと考える。飯は出かける前にセットしてあったので山ほどあるから、無難にカレーにしとくかと戸棚から鍋を出す。これなら個別に分けなくても違和感はない。

しばらく無言で料理をして、黄瀬がいることもほとんど忘れかけた頃にカレーが出来上がった。食欲をそそるいい匂いがする。ちょっと味見をしてみたら、今日はいつもよりちょっと辛めで美味くできた。カレーは偉大だ。

片付けを粗方終わらせて、皿を出して盛り付けを始めたあたりでソファからのそりと起き上がった影がそっと近づいてきた。「…火神っち」かなりの小声。鍋の火を消してなかったら聞こえなかっただろう。


「どうした」

「…カレーっスか」

「おう。食うか?」

「……いい匂いする」

「ん。ソファ座ってろ、今持ってくから」


分かったの代わりにオレにんじんきらいとまた小声でいわれた。それは無視して適当に飯を盛ってカレーをかける。
テーブルに置いたらまたぶうぶうと文句を言われたが、いつの間にか出していたらしいコップはふたつだったのでハイハイと流すだけにしておいた。色違いの、黄瀬がお気に入りだといっているコップ。また何かあったのかもしれないが、オレにはきっと関係のないことなんだろう。


「…いただきます」

「ゆっくり食えよ」

「うん」


アンタもいってと言われたので、大人しくいただきますと手を合わせた。戻るときには床に座った黄瀬が、ソファに座るオレを見上げて満足そうに笑う。今日初めて笑ったな、とカレーを食べながら思った。黄瀬も行儀よくカレーを食べ始める。久しぶりに、ひとりではない食卓だった。


「美味いか?」

「…ん。おいしい」

「サラダ食いたいなら作るけど」

「食べる」


今度はちゃんと答えた黄瀬に、野菜室から適当にみつくろった野菜でサラダを作ってやった。にんじんの千切りをのせたら心底嫌そうな顔をされたが、ドレッシングは好きなの選べよと並べてやったら機嫌よさそうにラベルを見始める。こいつの基準が全く分からない。

カレーを半分食べるまで悩んだ黄瀬は、結局シーザーサラダのドレッシングをかけて、嫌だといったにんじんも綺麗に食べてオレと一緒にごちそうさまでしたとまた手を合わせた。あれだけチョコ食ってたくせによく入るなといったら、胃袋に関してはアンタにいわれたくないっスと睨まれる。それもそうか。

皿は重ねてシンクに全部放り込んだ。洗い物は明日でいい。明日は部活が午後からだから、こいつはどうせ泊まっていくんだろう。荷物がどこにあるのかは知らないが、オレの服を着ているのから見ても、おそらくよりは高い確率だ。

まあどうでもいいかとリビングに戻ったら、また低位置に座ってクッションを抱えた黄瀬が、帰ってきたときと同じようにオレを見上げてちょっとだけ首をかしげた。なんだよといいかけて、それを遮って黄瀬がいう。


「お帰り」


オレを見る目は瞬きをしない。何を求めているのかは分からなかったが、驚いたまま沈黙するよりかはとぽつり返した。


「…ただいま」


うん、と笑った黄瀬は、今日一番嬉しそうな顔で、やっぱり火神っちがいちばんスねと恥ずかしそうにソファに転がった。





赤色トランキイザー
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