ことり、窓際の壁にそれを下げた。
「………」
数歩離れてそれを見、また近づいて少しだけ右に傾ける。窓から入る陽光に焼けないように調節して、ガラスに覆われた表面を指先だけでそっと撫でた。
それは一枚のポートレートだった。正しくはポートレートではなくただの風景画なのだが、僕はこれをそう呼んでいる。目の前に描かれているのはなんの変哲もない青空と、それから欧風の建築物。
「骸、入るぜ」
「ええ。どうぞ」
絵に見いったまま、軽くノックされた扉の向こうへと返答する。かちゃ、片手だけで器用に扉を開けた男は、部屋にそっと入ってすぐ、手近にあったテーブルへと持っていたティーセットを置いた。ポットからでる湯気はふんわりと甘い匂いを漂わせている。
「何見てたんだ」
「絵を、…見ていました」
「ふうん」
それだけをいって、男は僕の隣に立った。ためつすがめつ絵画を見て、またふうん、と今度は感心したように言う。
「…綺麗な絵だな。知らない描き手だけど」
「まあ、それはそうでしょうね」
「誰の絵?」
絵画に目をやったまましばらく黙りこむ。彼は僕を急かすことはせず、僕が口を開くのを無言で待っていた。――…沈黙に湯気が揺らぐ。僕が、とぽつり呟いた。
「僕が描いたんです」
目を合わせず振り向いて、テーブルサイドにあるソファへ向かった。すとんと腰をおろして、いつもの癖で足を組む。――…へえ、こぼした男の背中を見た。
「空と建物、か。骸って絵も描くんだな」
「ごくたまにですよ。趣味でもなんでもない」
「なにを描いたんだ?」
油断していたら、振り向いた瞳と視線がかちあった。一瞬目をみはる。何も答えない僕に少し笑ってから、男はゆっくりと歩いてきて僕の横に座った。長袖の腕が、自然と肩に回される(これは彼の癖、だ)。
「…貴方がさっき言っていた通りですよ。空と建物」
「うん。でも、骸が描きたかったのは『それ』じゃないだろ?」
かちゃかちゃと陶器が音をたてる。蒸らされた葉を外に出し、裏返っていたカップに紅茶を注いだ。ふたつに交互に、均等になるよう注ぐ。片方を隣の男に手渡した。
「…貴方は時々、余計な勘が働きますね」
「…誉められてる、んだよな?」
「面倒だといっているんですが」
ぽふ、後ろにある腕によりかかる。枕にするにはちょうどいいけれど、クッションには少しかたい気がした。
「…ポートレートなんです」
「肖像画?」
「彼を描きたくて、」
首元に寄りかかって瞳を閉じてみた。あいている方の彼の左手が、僕の髪を優しく撫でる。なきたいようなうれしいような、よく分からない気持ち。
「…でも描けなかった」
最初は普通の、横顔にでもするつもりだった。何がきっかけでどうしてそれを描こうと思ったのか、なぜ彼なのかは分からなかった。ただ、描いていくうち、ふと描いた空になきたくなったのを覚えている。その下に下書きを潰すように建物を描いた。窓も何もない建物に、ぽつり、ひとりだけ影を添えて。
「…捨てるよりは、と思って」
「…そっか」
「でも、捨てます」
「そうなのか?」
「ええ」
耳をあてた向こうで音が聞こえた。一定の間隔で打つ命、僕が知っているのはこれだけだった。これ以外を、知ろうとは思わない。
――…だから。
「…夢を飾っても、無意味なだけですから」
青空ポートレート
(じゃあさ、今度一緒に写真撮ろうぜ)
(写真?)
(うん。俺とお前と、あと皆で)
(…気が向いたら)