誠凛高校二年、伊月俊。取り立てて特徴のあるわけではないが、唯一の特技ともいえそうなのがこの視野の広さと体の柔らかさくらい。中学入学前からバスケを始め、ここ誠凛では入学当時からそれなりの評価をいただいている。
オレのポジションは、PGである。
小さくて軽いオレでもできるこのポジションだが、オレは正直人数の足りない部の現状とこの偶然手に入れた鷲の目に甘えている自覚があった。オレはもっと強くなりたくて、更にいえばもっとバスケのことを知りたかった。試合を掌握する司令塔、そのオレがこんなにもバスケのことを知らないではすまされない。
誠凛を勝たせたい。みんなで勝ちたい。その思いは自分にとって、思っていたよりもずっと心を占めるものだった。
「…ていう、そんなわけなんです、けど」
「ふぅ〜ん」
地元から二本線を乗り継いで、オレは正邦の最寄り駅近くまで足を運んでいた。理由はただひとつ、かつての敵であった正邦のPG、春日さんに会うためだ。
春日さんは「柔」と呼ばれるそのままに、とても柔らかい性格をした人だった(少なくとも、外から見た印象では)。
あのときの試合の後、オレはカントクに無理矢理話をつけて春日さんのアドレスを聞きだした。初めてメールをしたのがその夜で、他愛もない話題を含めてかなりの数メールをしていたように思う。そしてしばらくしてから突然「今度会えませんか」といったオレに、春日さんは一も二もなく「いいよ、こっちまで来るならね」と返事をしてくれたのだ。矛盾した話ではあるが、オレとしては初メールの際誠凛の伊月だといった時点で、もう断られる気満々だったのだけど。
「や〜今ね〜、オレたち受験勉強の真っ最中なわけ〜。イライラするっしょ? ストレスたまんじゃん。だから、これは息抜きなの」
「…って、岩村さんに言ったんですね」
「ありゃ、俊くんって結構スルドイ」
あはは、春日さんは機嫌がよさそうにニコニコと笑う。だらしなくジャージを着たまま(曰く、「これ着てると落ち着くんだよね〜」)アイスティーを飲む姿は、どう見ても王者の元PGだとは思えない。それでも春日さんはプレイヤーだ。それは今でも。
「んで、えっと〜…何が聞きたいんだっけ?」
「あ、はい。あの、…すごく曖昧なことで申し訳ないんですけど」
「うん。いいよ、なんでも」
「オレ、もっとバスケのこと、知りたいんです。PGとして、もっとチームに貢献できるように。そのためには何が必要なのか、知りたいんです」
「…それは、」
トレイにのったポテトをつまんで、端のほうからむぐむぐと口に入れていく。誠凛にはリスがいるが正邦にはハムスターがいるらしい。一本丸々口におさめて、何度か咀嚼してから春日さんはテーブルに肘をついた。
「俊くんが知らない、俊くんのダメなところが知りたいってこと、なのかな」
「…そう、ですかね。ダメなところがあるなら、それはもちろん知りたいです」
「自分でも考えてみた?」
「ハイ」
あれからずっと、思考を重ねてきた。何度もビデオを見て、思い出して、どうしてあそこは交わされたのか、カットされたのか、自分の動きはどうだったか。それでも、自分で分かる範囲のことなどはすぐに底をついてしまって。
だから聞いてみたかった。自分よりも優れた、それでいて雲の上のひとじゃない、自分と戦ったことのある春日さんに。
「…なら、ジョーデキ」
「ありがとうございます」
「俊くんはね〜そうだねぃ」
「ハイ」
「コートに二年生しかいないときも、イーグルアイが使えるといいよね〜」
「…………ハイ?」
目の前でポテトを立てだした春日さんを見て、オレは思わず眉をひそめた。春日さんのいってることがよく分からない。
「これはオレの印象なんだけど。二年生しかいないときって誠凛はランガンタイプなんしょ? 俊くんはそんなイイ目持ってるんだから、中継役としてかなり動けるよね〜。でも今の俊くんを見てる限り、二年生オンリーチームになると、俊くんは他の、ベンチにいる二年生となんら変わりないスキルしかないように思うんだよねぃ」
「中継…ですか」
「うん」
分かるかな。言われた意味を考えた。試合のこと、チームのこと、その中でのオレの居場所。
春日さんは当然のように立たないポテトを、それでも何でもないような目で楽しげにいじる。また一本くわえてむぐむぐ、それでもその表情がとても柔らかくて、オレはまた小さくハイ、と頷いた。
「俊くん、諦めちゃダメだよ」
「…ハイ」
「うん。まあ、俊くんなら分かってるよね」
いい子いい子、伸ばされた手がオレの頭をぐりぐりと撫でる。ジャージの胸元には正邦の文字、春日さんは少し切なそうで、やっぱりこのひともバスケが好きなんだと、今更ながらにそう思った。
化学変化の応用
(会えてよかったよ、俊くん)
(オレも、…来てよかったです)