天気は快晴、腹も満たした昼下がり。屋上のドアの更に上、はしごを昇ってひとつ出っ張った上に寝転がったオレは、今日も半日平和であったことを神に感謝しながら昼寝体勢に入るところだった。
食ったら寝る、これがオレのポリシーである。
仰向けになって携帯のアラームをセットして、目を閉じればたちまちステキな快適空間にご案内。こんな誘惑的な文句もそうないだろう。午前中の授業はやたらと面倒なものばかりでうんざりしていたのだ、休み時間の残り30分を本能に分け与えても支障はあるまい。おやすみなさいはいおやすみ、幸せにひたりながら呟いて目を閉じ、
(――うっさい)
られなかった。ささやかだが小さくはない話し声が、今しも旅立とうとしたオレの意識を思いきり引き戻す。どうやら誰かが真下の階段を昇って来ているらしい。この肌寒い日にご苦労なこって。
端っこからぶら下げていた足をずるずる曲げて、せめて見つからないようにはしようと体を縮めて来訪者を待った。出来るなら早く帰って欲しいなあ、つうかその辺で引き返さないかなあ。オレが密かに思った願いは虚しくも散り、ぱたぱたと軽い足取りの足音がドアを押して屋上に足を踏み入れた。女子か…うるさくなるかな。
「えっと…ごめんね高尾くん、急に呼び出して」
「んーん。別にいーよ」
ちらり起こしかけていた体をがばっと床につけた。声の主は片方は知らない女子で、後半分は隣のクラスの男子だった。聞き覚えのある名前はムードメーカーで知られるヤツ、確かバスケ部在籍の高尾――なんとかとかいう。
話をしたことは数えるほどしかなかったが、バスケがやたらと上手いらしく男女両方から割と人気者扱いをされていた。確かに優しいし面白いし、今聞いたところでは女子にもマジメに対応するらしい。はあなるほどねぇとオレはいそいそ聞き耳をたてた。なぜかってそれは、聞く方が野暮というところである。
エマージェンシーエマージェンシー、緊急事態発生。女子一名男子一名、これからの展開はおそらく疑いようもないだろう。ちょっとした探偵かスパイの気分だ。
「手紙、読んでくれたんだよね」
「えと、いちおう」
「あっ、あの、いいの。わたしからもう一回、ちゃんといいたいから」
「…わり、ゴメン」
「ううん。来てくれただけでも嬉しいから」
おお。なんだか自然、というかムードよく進んでいる。ひょっとするとひょっとしそうな雰囲気。
真上からではさすがにマズイだろうと思って、横側からちょっとずつズレてばれないようにふたりを覗きこんだ。どうやら近い側には女子がいたらしく、壁に寄りかかっているセーラーが見える。恥ずかしそうにうつむいて、やあ若者よ青春だねぇなんて言いたくなるような背中だ。恋する若者ってまぶしい。
そっと元の位置に戻って声の続きを待つ。この歳には珍しいとよくいわれる、ラブロマンス映画好きの血が騒いだ。ああオレ、今しももしかしたらかなり運命の瞬間に立ち会えるのかもしれない。なんてロマン。昼休み最高。
「高尾くん、」
か細い声がまたそいつの名前を呼んだ。いいな、オレも好きな子にあんな声で呼ばれてみたい。だがオレの持論でいえばラブロマンスは端から見るのがトキメキなのであって、渦中にあってはそれが感じられないのでよろしくない。この位置、立場、まさにベストである。
「…ハイ」
「…好きです。付き合ってください」
最後だけ必死に、それでもしっかりとした告白だった。思わずブラボーと立ち上がりかける。危ない危ない、今ばれたらこのトキメキが全て無駄になるところだった。
少しの沈黙が横たわる。高尾は返事を窮しているのかそれともただ照れているだけか、何も見えないここからではもどかしいばかりだった。告白をする女子(しかもかなりマジメそうなこのタイプ)には、どちらにしろ早く返事をしてあげた方が相手も救われるというのに。ていうかうんっていってくれた方がロマンはあるけども。
「…ありがとな」
「高尾、くん…?」
「でも、ゴメン。オレ今、好きな人、いるんだ」
「…そっかぁ」
「うん。…でもホント、その気持ちは嬉しかった」
ありがとう、優しい声が肌を撫でるように過ぎ去っていく。なんだこいつ、ちょういいヤツじゃねえか。
思ったよりもあっさりと、オレの望んだラブロマンスは終わりを告げた。でもこれもひとつのラブロマンスかなと微笑みながら、凪いでいく風に目を閉じる。いい夢見られそう、先に立ち去っていく女子の足音を聞きながらそう思った。
(――…ん?)
それで終わりかと思われたオレのエマージェンシーは、はあ、と響いた嘆息によって再び訪れた。どうやら高尾はまだここにいたらしい。
用が終わったなら教室に戻ればいいのにと思いつつ、告白はする方もされる方も体力を使うのだろうとひとり納得した。いくらでも休憩していくといい。今度バスケ部に差し入れを持っていきたくなるくらい高尾の評価を上げた今のオレは、睡眠の妨げをする彼にもかなり寛容だ。
ころり寝返りをうったら、それと同時くらいにまた今度はガチャリとドアが開けられる気配がした。三人目の来訪者か。今日の屋上は忙しいな。
「あれ、真ちゃん。あ、次移動か」
「…オマエはまた、」
「おん?」
「女子が泣いていたぞ。今度はなにをしたのだよ」
「えっマジ? うわ、今回かなり紳士にお断りできたと思ったんだけど」
ため息まじりに言われた言葉に、高尾は驚いてあーあとまた嘆くような声で呟いた。オレとしても高尾の返事は紳士そのものだと思ったので、女子が泣いていたことに驚きを隠せない。なんならオレが証明してもいい! といきり立つのはオレの心の中だけにしよう。だってそれじゃオレ、ただの不審者だもん。
かわいそうな高尾をかばってやることも出来ずにうつむいていたら、急に小声になった高尾がもうひとりの来訪者の名前を呼んだ。緑間。ああそういえば、同じバスケ部に入ったちょうバスケ上手いっていう。
「…節操なしめ」
「オレが選んでるんじゃねえって。丁度時間あったし、あの子結構しつこくてさ」
「その程度、適当にあしらえばいいのだよ。おかしなところで真面目さを出そうとするからだ」
「はいはい。ヤキモチならもっとかわいく焼けよ」
「調子に乗るなバカ尾」
ぱちん、軽くなにかを弾く音がする。いって!と高尾の声、推測するにデコピンか何かだろうか。
…いやそれよりもなんていうか、今の会話におかしなところはなかっただろうか。ハイ先生、はい君どうぞ。今の、ってなんていうか、
(…ラブロマンス、的な)
オレのエマージェンシーが突然色を変えた。言うなれば桃色信号だったそれが、ドギツイ赤色でくるくると回りだす。考えちゃいけないっていうか、考えざるを得ないけどそれってちょっと危なくねっていうか。さっきから思考が曖昧だが、そんなてんやわんやなオレを置いてけぼりにして、高尾と緑間はこそこそと会話を続けている。
「まだ時間あるよな。もうちょいここいようぜ」
「…寒いのだよ」
「…オマエね」
ならあっためてやるから、高尾の声がした直後に足音と服のこすれあう音が重なって響く。ダメだオレ、位置関係とか想像したらダメだ。でもなんか考えちゃう。ごめんなさいラブロマンスのかみさま、思わずきゅんとしたオレを許してください。
「…緑間」
「ん、」
「好きだよ」
「…知っている、のだよ」
吹き抜ける秋風は少し肌寒かったけれど、ちいさく交わされた睦言にときめいたオレの胸のうちは、余りの恥ずかしさと照れにぽかぽかしまくってしょうがなかった。
第三者による観察
(恋する気持ちは偉大である!)