※大学生で同居中
※火神は国際関係の学部


「なんでっスかー!」


ドアをくぐってすぐに鳴った携帯を開いて、オレは思わずその場にへたりこんだ。
届いていたメールには要約すると今日抜けるの無理っぽい、という内容の連絡と謝罪が書かれていて、その瞬間オレの今夜の予定が全部まっしろになる。

メールの相手は言わずもがなこの家に住む同居人であったのだが、今はゼミの発表会の準備だがなんだかでゼミ生と一緒に大学に泊まり込んでいた。発表会までの数日だからと宥められたのは記憶に新しい。でもその時にあいつは、どちらの大学もこの家とはそう離れてないから、夕飯だけは一緒に食おうぜといっていたはずだった。
ゼミの発表にかかる時間と苦労は知っていたから終わるまで待てるよと精一杯の虚勢を張ったのに、それじゃオレが寂しいんだよと笑ったのは誰だったか。
オレがさみしがりやなのを知っててそういってくれたアンタがカッコイイとか思った自分がアホみたいだ。出来ない約束なんかするなっていっつもいってんのに!


「えー…どうしよ」


数日間とはいえ外食が重なるので、冷蔵庫にはロクなものが入ってない。それでもなんとか夕飯らしく料理が出来る同居人は今は大学でゼミ討論の真っ最中だ。オレの料理ストックは炒飯とかカレー止まりで、でも野菜室とか見る限りそんな大層なものは出来そうにもなかった。

手のなかの携帯を開いて閉じて、結局沈黙したままのそれをソファに放る。腹減ったーと呟いても、募るのはさみしさばかりだった。会えるっていったのに。ゼミの発表は大事だし卒業もかかってるしこれはオレのわがままだってのも分かってる。数日後になれば隣にいるんだから、ゼミが終われば電話くらいしてくれるかもだし、でも、――でも。


「…オレは今、アンタにあいたいんだよ…」


バカガミ、いいなれた悪態を誰もいない空間に吐き捨てた。オレが火神っちの大学に行けば会えるかな、と淡い期待を抱いてみても、研究室から抜け出せなければ意味がない。
さみしいが余って悔しくなって、青峰っちでも呼んでやろうかと半ば八つ当たりのように携帯を引っ付かんだ。途端に聞き慣れたメロディが鳴る。ディスプレイにうつった四文字。ちっ、と舌打ちをしてから、ぷちりと通話ボタンを押した。


「………」

『…えっと。オレ』

「どちら様スか」

『はぁ? 何拗ねてんだお前』

「拗ねてねーよバカガミ!」


ムカついた勢いで怒鳴ってやったら、分かってんなら聞くなよと見当外れなツッコミが返ってきた。こいつマジでデリカシーねぇ。


「で、何の用」

『いや。メール見たか?』

「見、ま、し、た、け、ど。そんで?」

『ゼミ終わってからにしようと思ったんだけど、何かお前拗ねてそうだと思って。電話した』

「…じいしきかじょう」


バカガミめ、罵ってもそれさっきも聞いたと笑われる。ちくしょうこいつほんと何様だ。
携帯の向こうのバカはなぜか機嫌をよくしたようで、今日授業どうだったと世間話を切り出す文句を嬉しそうに口にした。反射的にえっとといいかけて、どうして今電話なんかしてるのかを思い出していや違うだろと携帯を持ち直す。


「アンタ、今作業中なんじゃないんスか」

『ん? あーまあ』

「電話してる暇あんの?」

『なくはねぇよ。20分くらいが限界だけど』

「はぁ」


ならこのままぐだぐだと20分弱喋って終わりか。到底満足とはいかないが、夕飯をどうにかするやる気くらいは起きそうな気がする。


「…だったらアンタがなんか喋って」

『オレの話なんかつまんねえだろ。毎日ゼミ討論だよ』

「ふうん。討論面白い?」

『割とな。アメリカの奴が多いから、そういう話も聞けるし』

「ちゃんと飯食ってんスか」

『そりゃこっちのセリフだ』


耳のすぐ側で火神っちが笑う。この声が好きだと思った。オレの料理の腕なんか知ってるくせにそういうことをいう、憎たらしい声が好きだ。目の前にあった赤いクッションを引き寄せて抱き込んだ。


「…まだ食べてないっス」

『なんでだよ。何時だと思ってんだ』

「だって冷蔵庫なんも入ってないよ?」

『飯、炊いてあんだろ』

「え? あ、ほんとだ」

『気づいてなかったのかよ』


いわれて振り向いてみたら、炊飯器のボタンが赤く光っていた。そういえばご飯が炊けてる匂いもするかもしれない。メールのショックで鼻がおかしくなってたらしい。
しょうがないから冷蔵庫にあるものを伝えて、これで何か作れるかと聞いてみた。火神っちは少し考えてからいくつかレシピをいってくれたけど、オレには到底ムリなものばかりだ。
ならもうお茶漬けでも食ってるっス、と半ば泣きそうになりながら言いかけた、ら、窓の外でこつりと軽い音がした。


「んあ? ごめん火神っち、ちょっと待って」

『…どうした?』

「なんか窓にぶつかったぽいから見て――」


来る、という言葉は声にならずにとけて消えた。カーテンを開けた先は夜の帳が降りきった静寂で、見慣れすぎた自販機と裏通りが見えるばかりだ。
その、一通の入り口のところに、一台のバイクが止まっていた。正確にはバイクと、長身の。


「…抜けらんないっていった」

『…20分くらいなら大丈夫だっていったろ』

「なら、なんで」

『家帰ったら、大学なんてもう戻りたくなくなんだろが』

「……でも」

『――…お前が降りてくるのはとめねえよ』


ぐっとカーテンを握り締めた。ヘルメットを小脇に抱えてこちらを見上げるその表情は、オレにしか見せないといった優しい苦笑だった。
今すぐ行きたい。ちょっとでもいい、アンタに触って、抱きしめてもらえれば。でもそんなことしたら、絶対に離せなくなることも知っていた。ひとりのベッドはさむすぎる。泊り込みが始まった初日から、別れ際にぐずぐずと泣き言をいうようなオレだから。


「……ここで、いい」

『…そっか』

「あとどのくらいで終わりそうなんスか」

『発表会は明後日だけど、反省会とかでもう一日くらいはかかっかな』

「そっか…ん。分かった」


ガラス越し、悪いとすまなそうに呟いた火神っちは、そろそろ時間だからといってヘルメットを持ち上げた。同居するようになってからは滅多にしなくなったけど、高校生の頃はしょっちゅう長電話をしてたことを思い出す。あの頃も切り難かったけど、今はその比じゃなかった。さみしい。さっきやっぱり、ちょっとくらい降りておけばよかったかな。
肩と顎で携帯を挟んで手袋をはめた火神っちを見ていたら、こっちを見ないままで火神っちがぽつりといった。


『…下の郵便受け』

「ん?」

『研究室で作ったきんぴらと野菜炒め入れといたから。…もし自分で作れなかったりしたら、それ食っとけ』


な、と振り返った火神っちは笑ってた。どうせお前じゃムリだろうと思って、オレの夕飯の残りだけど気にすんなよな。バカにしたみたいに楽しそうに。

ぐっと言葉に詰まったオレを置いてけぼりにして、火神っちはじゃあまた明日なと軽い口調でいって通話をぷちりと終わらせた。ポケットに適当に突っ込んで、オレの目を見返して手をあげる。


バイクに乗った背中が曲がり角の向こうへ消えてから、オレは今日の夕飯を取りに行くためにそっと立ち上がった。


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