▼黄金色の夢を見る(菜乃)


 朝方、靄が薄くかかった海が好きだ。バイクを飛ばして、なんとはなしに人がいない海へと行くのがいつしかお決まりになっていた。黄瀬が崖をおっかなびっくりという様子で覗きこむのがおかしくて、笑みをもらすと、淡い瞳がこちらを向いた。

「何笑ってんスか?」
「別に。」
「ふうん。」

 今日は虫の居所がいいようで、特別に機嫌を損ねることもなく、黄瀬は飽きずにまた崖を覗き込んだ。日が差して、たちこめた靄がきらきらと光ると、黄瀬の髪も光を反射してまたたく。かがみ、名前を呼んだ柔らかな声になんだか幸せな気分に浸って、彼が覗きこむ先を見ようと身を乗り出した。




 朝日が差した様子がとっても綺麗で、名前を呼んだら火神っちが満たされたみたいに笑うから。だから、オレ、幸せだなあって思ったんスよ。指先にそうっと触れるとあたたかい手がゆるりと手を握りかえしてくれた。ゆったりとした波の音、燃えるようなオレンジ色、となりに火神がいる。見渡すかぎりだれもいない世界にふたりきり、胸が痛いくらいにおだやかな呼吸をふたつした。

「火神、ねえ、オレと、」
「なんだ?」
「オレと、死なない?」




 馬鹿だなあ、とそう思った。黄瀬はどうも、楽しいこととか嬉しいことがつづくことを信じていないふしがあるから。いいぜ、答えると黄瀬はふにゃりと笑った。ぎゅう、と左手に力がこもる。驚くほどに手は冷たかった。1歩2歩、ふらふらと黄瀬が前に出る。フェンスなんてない、寂れた崖の縁で器用に止まって、こちらを向いた顔を朝日が照らした。

「えへへ、」

 その目を見た瞬間、全てを理解した。コイツ、ここで死ぬつもりだ。左手を、しようと思えば振り払えたのに、できなかったのは、あまつさえ握る力を強めてしまったのは、黄瀬があまりに楽しそうに目を細めたからだ。まあ、コイツが楽しいならいい、か。せーの、はずんだちいさな声に頷く。汗ばんだ左手がやけに冷たくて、苦笑をもらすと、黄瀬はおだやかな顔で大きく息を吸い込んだ。引きずられるように跳ぶ。ジェットコースターに乗ったときのような浮遊感の中、きらきらと光る柔らかい髪と光を抱いた目が見えて、最期に視界に入るのがこれなのだから、ああ、なんだか、こんな終わりも悪くない。

――
お題:2つの想い
必須要素:なし
制限時間:15分

pc[編]


▼ひかりとともに(頼花)


安っぽいネオンよりも人の暮らす生活の灯りの方が好きだということで、ビル屋上の東側から飛ぶことに意見は一致した。もしかするとそっちの方角のずっとずっと向こうに、こいつの住み慣れた異国が浮かんでいるからそう言ったのかもしれなかった。
ネオン街で自らや子どもさえも売りさばく醜い女たちを一瞥だけして、反対側の淵まで歩く。錆びた手すりを二人でまたいで下を見やる。はるか遠い地面は、黒々としたコンクリートに覆われていた。

どちらからともなく手を繋いだ。こんなときにも火神の手はあたたかで、心地よかった。

「火神、ちょっとだけ、聞いてくれる?」

「なに」

「…俺はアンタにこの命、全部あげる。だから、アンタは俺に、アンタの命を全部ください」

身を委ねてください。生を奪わせてください。ともに眠りを享受してください。
言ってるそばからその内容があまりにも甘美すぎて、思わず涙がこぼれ果てた。

「お前はいっつも、ヘンなとこで泣くやつだなあ」

ほろりほろり火神を見つめながら雫を流す俺を、火神は優しくからかった。
目もとを拭った指先が、俺の手を二つとも取り上げて火神の心臓のもとへと連れていく。
とくとくと穏やかな鼓動を刻むそれを握らせて、火神は、瞳をすっかり閉じて言うのだ。

「もとからこれは、お前のものだよ」

いま俺は何者にも負けることのない幸せ者だった。もう一度手と手を取りあい、地を見下ろす。
日本ではこういうとき、せーの、って言うんだけど、アメリカではなんて言うの?
そうだな…One, Two, Threeってとこか。
掛け声を決めて、じゃあそれでいいかって言って、二人きり瞼を下ろす。
火神がうつくしい発音で、ちいさく、数を数えた。

すりー、で飛ぶ。空を飛ぶ。薄目を開ければ星と月と街明かりが綺麗で、俺はまた少し涙した。
だけどそれよりも手の中の男の方がずっと、ぐうっときれいだったのだ。光っていたのだ。
ほどけた笑みを絡ませて最後の息を貪る。夜の空気が身のうちに溶け込んで、そうして、俺と火神は一緒に潰えた。

――
お題:汚い母
必須要素:なし
制限時間:15分

pc[編]


▼ラストダンス(みやま)


 休日の昼間は人が多い。オレたちが出かけようと決めた都心なら尚のことで、休みを有意義に過ごそうとざわめく人たちでホームはいっぱいだった。電光掲示板に並ぶ電車の羅列。数字が増えて、消えて、また流れる。それをなんとなく見ていたら、人と人の間に埋もれたオレの手を、あたたかい手がぎゅ、と握った。見なくても分かる。オレの大好きな温度。

「火神?」
「ぼうっとしてんな。危ないだろ」
「ここ、外っスよ」
「誰も見てねぇよ。……いやか?」
「…いやじゃない、けど」

 そういう言い方はずるい。きゅっと睨んでみても、火神は嬉しそうにわらうだけだ。ダッフルコートに黒字のマフラー。いつもよりもこもこな火神におひさまがあたって、あかい瞳の中にもうひとつ太陽が見えた。かっこいいな。この人の隣に、オレはいつまでいられるんだろう。いつまでこの手を握っていられるんだろう。

 電車が参ります、のアナウンスに、人ごみが少しだけ動きだす。それに紛れて、火神の反対側の手にも触れてみた。気づいた火神がちょっとだけ驚いたような顔をして、瞬きひとつで同じように触れ返してくる。どうした。音にならない声で聞かれても困ってしまう。ねぇ火神。ねぇ。

「ねぇ火神」
「ん?」
「この手、いつまで握っててくれる?」
「……お前が望むなら、いつまででも」

 他の人に聞こえないように小声で、それでもちゃんと答えてくれる。細めた目ににじんだのはオレと同じいとしさで、ああ、やっぱりすきだ。だから。言えない思いを飲み込んで、火神の手をつかまえたまま人ごみを抜けた。パネルを踏んで隙間に立つ。ホームにいた人たちのざわめきがどよめきに変わる前に、目の前の瞳の中にしあわせをうつす。

「火神、だいすき」

 ずっと握ってて。どんな終わりの中でも、この手だけは、ずっとずっと。

――
お題:朝の性格
必須要素:無し
制限時間:15分

pc[編]

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