▼願い事(樹理)


どうしてもこれだけは譲れない、と我儘を言って、俺はいま、台所に立っている。
リビングで待っていろ、という俺の理不尽をそれでも律儀に守っているのだろう、高尾がこちらへ顔を出すことはなかった。
少し過保護なあいつとの「ひとりで台所へ立たない」という約束を先に破ったのは俺だというに。

些か緊張の面持ちで、俺は冷蔵庫から白い箱を取り出す。
高尾より先に仕事を終わらせて、目につけていた店で買った、ささやかなショートケーキ。
それは、辛いものほうが得意なあいつが、好きだといって何度ともなく足を運んだ店のものだ。
同時に俺の好む甘さのものであるから、ほんとうにどれほど気に入ってるか、俺には図ることなどできない。
それでも、あいつと過ごすこの日を祝うのに、これ以上のものはないと思った。
恐る恐る握りしめた包丁で、ケーキ屋で働くかつての同窓生に教えてもらったように切リ目を入れる。
「…よし、こんなものか」
深い溜息が漏れる。
ああ…久々に、こんな風に深く集中した。
バスケに入れ込んでいた頃の自分は、恐ろしいほど周りが見えていなかったような気がするのに。
高尾。もういいぞ。
そう言って切り分けたそれらを持ってリビングへ行くと、振り返った高尾の顔色が血相を変えた。
「真ちゃん、ソレ、手…!」
ーーぱたり。
こぼれ落ちた赤色を見てまず思ったのは、せっかくのまっさらなケーキが汚れてしまうということ。
抱きとめるような高尾の服に赤いシミが付いてしまうということ。
ああ。
たくさんたくさん言葉を考えたのに、すべて台無しになってしまった。
高尾の手でかっさらわれたケーキをぼんやりと目で追いながら、俺は思う。
「なんでこんな、…手切るほど無茶したの」
「高尾。今日は、なんの日だか覚えているか」
「……え?」
「俺と、お前が、初めて出会った日なのだよ。ーー高校でなく、中学のあの試合の日に」
だから大事にしたかった。この日だけは俺のものにしたかった。
望まれずとも、俺のことばが呪いのようにお前をつなぐことができるのなら、どうか。

「一生分の俺の我儘を、聞いてくれないか」

pc[編]


▼君色未来(みやま)



「高尾。その指、どうしたのだよ」

 自主練の終わった後の部室、汗を流すためにタオルを持ったとき、同じくロッカーに顔をつっこんでいた真ちゃんがぽつりとそう聞いて来た。言われて見てみれば、タオルを掴んだ右手の薬指に、どこかで引っかけでもしたのか、ちいさな傷が出来ていた。血も滲んでいる。

「うわ、なんだろ。全然気づかなかった」
「怪我をしたのに気づかなかったのか?」
「そ、そんな目で見ないで真ちゃん…! だって全然痛くねぇし、多分どっかぶつけただけだって」

 だから大丈夫。右手を振りながら笑ってみせる。真ちゃんはそんなオレに少しむっとして、自分の鞄をがさごそあさって四角い箱を発掘した。といっても真ちゃんの鞄は綺麗だから掘り起こすなんてことしてないと思うけど。ともかくも真ちゃんはその箱を持ってオレの目の前までずんずんと歩いて来て、オレの頭にごつっと箱を置いた。もとい、叩きつけた。ワイルドだぜ真ちゃん。

「いってぇ!!」
「それ見たことか。見せてみろ」
「指じゃねぇよ頭だよ何言ってんだお前」
「馬鹿はオマエなのだよ。黙って手を出せ」

 ぐっと引き寄せられて、半分くらいは渋々ながらも大人しく手を出した。慣れた手つきで消毒をして、傷に合う絆創膏を探してくれている。真ちゃんは自分の手を大事にしている分、手首から先についての傷をすごく気にする質だった。でもそれはお前のことであってオレのことではないはずなのに、そうやって真剣な目で絆創膏を貼るのを見ていると、なんだか真ちゃんの一部にでもなったような気持ちだ。大切にされている、んだろうな。それがじんわりと伝わる。

「真ちゃん」
「なんだ」
「ありがとな」
「礼を言うくらいなら怪我などしなければいいのだよ」
「うん。……や、多分これからもするわ」
「は?」
「だからさ、オレが怪我したら真ちゃんが治療してよ」
「……何を言っているのか分からないが」
「ずっと一緒にいてさあ、オレのこと、ずっと大切にしてくんない?」

 例えばそんな風にして、お前の隣にいたい。その目にずっと映っていたい。願わくば、お前の目が閉じられる、その瞬間まで。

pc[編]


▼たしかに好きなのに(頼花)


今日は話があるから距離をぐんと近くしたいんだ。などと消え去りそうに笑われてしまえば、ああ、と答えるより他なかった。
いつも自転車の後ろに連結している部分を捨て、乗り心地の悪い、タオルを巻いただけの硬い金具に腰を落ち着けて高尾の学ランの裾を掴む。
真ちゃん、それだけじゃ危ないってば、と笑われて、仕方なく腰にしがみついた。

「真ちゃん今日の夕陽不気味だな〜、せっかく俺が重大なこと言おうと思ってんのに…ほら見て、血の色みたい」

「そうだな」

黄色や橙というよりは血赤のような色でぎらぎらする夕焼けを見つめながら、いつもの路をただの自転車で帰る。
たいへんに距離が近い。高尾の声が、つらまえた腰から振動として響いてくる。

「なあ、真ちゃん、」

声のトーンが変わった。ぐん、と自転車を漕ぐスピードが速くなる。
俺はなにも口を挟めないまま、自分より小さいくせに大きくあろうとする背中に頬をくっつけて、高尾の音を直接聞き取ろうとした。

「俺、真ちゃんが好き」

「……知ってるのだよ」

「だからお願い。…真ちゃんの一生を、俺にください」

夕陽の赤がひどく目に沁みた。眼鏡の奥から透明の雫を滲ませてくちびるを噛む俺に、高尾は泣きそうになりながら言い募る。

「ごめん、な…急に変なこと言って……好きなんだよ、俺、真ちゃんのこと、こんな馬鹿みたいにガキの歳で、こんなところで、男同士で、言うセリフじゃねぇって、んなこたわかってんだけど、だけど、」

「た、かお、」

「好きだ、真ちゃん、好き、好きだ」

「ん、俺も…俺も好きだ、お前に俺の一生を明け渡したいし、俺もお前の一生が、ほしい」

両思いなのに。確たる両思いなのに。どうしてこんなにも胸がくるしいのか。
高尾を抱きしめても苦痛は晴れないし泣きたいほどの気持ちは消えないけれど、どうしても、お前でなきゃいけないんだ。

pc[編]

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