目がさめると、医務室の天井が見えた。最近はこんなことばかりだな、とぼんやり思う。
とにかく身体が怠くて、目を開けるのがやっとだった。ピ、ピ、と心電図の電子音が規則正しく鳴っているのが聞こえる。視界の端に、うっすらと、ふわふわと揺れるポニーテールが見えた。

「あ…目が覚めたんだね!は〜、よかった…」
「…ロマニ?」

そうだよ、僕だよ…と情けない声を出してロマニはベッドのふちに頭を垂れた。私はゆっくりと首を動かしてその顔を見ると、目は少し赤くなっていて、今にも泣きそうだった。その目の下には、いつもより濃い隈が見えた。
カルナとアルジュナの言い争いの最中、私はまた魔力回路の暴走により、全身から血を吹き出して倒れたようだった。なんとなく、記憶はある。服も顔も真っ赤に滴った私を、カルナがロマニのもとまで運んだそうだ。「本当に、二度目でもショッキングすぎて、寿命がまた一年縮んだようだったよ…」とロマニは布団に顔をこすりつけながら言った。なるほど、私のせいでロマニは二年も寿命が縮んでしまったのか、と考えると、流石に申し訳なく思った。いや、それは冗談だが。ここまで心配をかけて、治療をしてもらって、前線からも遠ざけてもらっていて、既に申し訳ないどころでは済まないくらい感謝と申し訳なさで一杯だ。
そしてやはり、私が倒れたその瞬間に、アルジュナは消えてしまったようだった。カルナがロマニに伝えたという。折角インドの大英雄、しかも因縁の二人が揃ったのに、残念だったね、とロマニが言う。因縁。
吐血して食堂の床に転がり這いつくばった私を見る、青ざめたカルナの表情だけが、いやに記憶に残っている。

「カルナは…?」
「さっきまでここにいたよ。君の意識が浮上しそうだ、と管制室まで僕に知らせに来たんだ。」

そう、とだけ返事をする。まだ血が足りていないのか、少し喋っただけで、頭の中がふわふわとしてきた。生あくびをすると、ロマニは、まだあと二日間は点滴打って寝たきりかな、と言った。
カルナに会わなくてはならない。ぼんやりとする頭のなかで、それだけは明確に感じた。何を話したらいいのかは全くわからないけど、私の中の、有るけど無い心臓がそう言っている気がした。例えば向かい合って、私は何を話すだろうか。カルナは何を話すだろうか。元々口数の少ない、口下手な二人で。倒れる直前、カルナがあそこまで饒舌に、長く話しているのを聞くのは初めてだった。
ロマニは、緩く頭を回転させる私をじっと見て、うつ伏せていた上体をベッドから離した。

「…やっぱり、何かあったようだね。大凡、検討はつくよ。以前話した、君のカルマ的な精神の問題のことと、カルナが何か大きく関わっていたんだろう。そうでなければ、あそこまで安定した君の精神と魔術回路が急に自爆するなんて有り得ないからね。」

そう言って、ロマニは大きく伸びをして、ふう、と息をついた。

「…まあ…本来なら、仮にもカルデアのリーダーとしては、君の状態やカルナとのことをしっかり聞いて、ダヴィンチちゃんにも相談して、判断、また処分を下さなければならないんだろうけど…でも、何でだろうなあ。君とカルナは、心配いらないような気がしてしまうんだよね。こんなことじゃ、いけないのかもしれないけど。」

はは、と力無さげな笑いが殺風景な医務室に響いた。疲れたロマニの顔から仕事量や心労を考えると、胸がじくじくと痛んだ。ごめんなさい、と言いたかったが、声にならず、ただ唾液を飲み込むだけだった。しかしそれがまるで聞こえたかのように、ロマニはこちらを見て微笑み、私の手を握った。

「それに…素材集めも事務作業も、今の人員不足のカルデアにはとても重要で必要な、立派な仕事なんだ。いちいち立香くんたちにとってきてもらうより、君たちが取って来る方が効率がいい。だから、大丈夫だよ。君の居場所はちゃんとここにあるんだから。」

ドクターロマンは、本当に凄いお医者さんだ。
そう思いながら、体力の限界を感じて目を閉じる。ゆっくりお休み、と言うロマニの声が聞こえた後、ドアが閉まる音が聞こえた。ロマニにも、ごめんなさいも、ありがとうも、まだ言えていない。カルナにも、アルジュナにも、何も。



私の顔や体や髪にこびりついた血を全て拭ったのはカルナだと、お見舞いにきた藤丸くんとマシュがニコニコと話してくれた。そして、ロマニと話した後も、その次の日の夜も、寝ていた私の体を拭き、髪を梳かして、服を整え、点滴を変えていたのも、カルナだったという。
ああ、そういえば…と思う。夜、うっすらと見える暗い世界の中で、ちゃぷちゃぷと控えめな水の音が聞こえたのを覚えている。温かいタオルが顔や体を優しく拭っていった。温かくて、気持ち良くて、そのまま眠ってしまった。
藤丸くんはまたレイシフト先の花を花瓶に挿してくれた。水色の綺麗な花だった。マシュが選んだんだ、と言うと、マシュは少し照れ臭そうに笑った。
藤丸くん達が出ていった後に、起こしていた上体をベッドに沈め、目を瞑った。また夜にカルナは私の体を拭いにひっそりとやってくるのだろう。私の目の瞑っているうちに。真っ暗闇の中で、黙々と。しかし、カルナ、と今私がその名前を呼べば、恐らくカルナはここに、あの真っ直ぐな瞳を携えて、すぐに現れるのだろう。
馬鹿だな、と思った。




素材集めのレイシフトが出来る程度には体調が整い、久方ぶりに管制室までの廊下を歩いていた。

「体調は大丈夫か。」

カルナと話すのはいつぶりだろう、と考えながら、うん、大丈夫、と言うと、そうか、と馴染みの答えが返ってきた。私の体調は、私以上にカルナが知っているだろうに。カルナは妙なところが、根暗で繊細だ。
レイシフトした先は、見渡す限り、一面の花畑だった。精霊根という、藤丸くんのサーヴァントに必要な強化素材を集めなくてはならないようで、二人で地面をにらんで回った。日が燦々と照っている。見上げると、見たこともないくらい濃い青の空が広がっていた。
カルナは虫に好かれるらしく、蝶やミツバチが白い無造作な頭の周りをふわふわと舞っていた。私は日の熱さに汗を拭った。地面にはくっきりと自分の影が映っていた。

「覚えているか?お前は野に咲く花だった。」

ぽつり、とカルナが呟いた気がしたので、そちらを見た。カルナの手には精霊根が既に二つもあった。
カルナの鎧や白い髪が日の光によっていつも以上にキラキラと輝いて眩しかったので、私はまた目を自分の影に戻した。

「他にも花はあった。お前と同じ種類の花も、それよりもっと色の濃い花も、花弁の大きな花も、珍しい花もあった。だが、温かい風がふいて、その時、ふと俺の足元にいたのが、お前だった。俺はお前と、目があった気がした。可笑しいと思うだろうが、確かにそう感じた…いや、確かにそうだった。俺は、またこの花にいつか出会いたいと思い、その花の魂に、自分の印を付けた。ほんの小さな爪の跡だ。こんなことは、俺の人生の中で、一度きりしかなかった。」

カルナはやたら早いペースで精霊根を集めていた。私は少し焦る。カルナの淡々とした声で語られる夢のような話は、耳の中には入れど、余りにも自分とは遠い世界の話のように思えた。私はまた地面の草の葉を一枚掴み、ぶち、と引き抜く。葉の裏には小さな虫がいた。

「アルジュナの言うことは間違っていない。悪意はなくとも、俺はお前を傷つけた。それは償うべき罪だろう。お前が寝ている間、俺なりに贖罪の方法を色々と考えてはみたのだが、どれもピンとこなくてな。幸か不幸か、今はお前が俺のマスターだ。罰することに何の障害もない。どんな罰も謹んで受ける。アルジュナはああ言ったが、お前の体調が回復した後、心臓もまた返すつもりだった。その後であれば、俺の体も命も、好きにしていい。」

すらすらと喋りながら、ひょいひょいと次々素材を集めるサーヴァントに対し、マスターの私はまだ手元に虫のついた雑草しか持っていなかった。草をその辺りに捨て置き、カルナの手元を見る。なるほど、根の奥の方を見ているようだった。
一生懸命根を見ていると、突然背中に当たっていた日差しが遮られた気配がした。後ろを見ると、カルナが背後に立っていた。カルナの細い指が私の肩に止まっているミツバチを摘みあげた。

「勝手だな。カルナ。」

カルナの顔は逆光でよく見えなかった。

「私、償ってとも、死んでとも、髪を梳かしてとも、体を拭いてとも、ミツバチをとってとも、一言も言ってない。勝手に私に、施さないで。私は貴方に何もあげられないんだから。」

カルナは微動だにせず、沈黙した後、小さな声で、すまない、と言った。

「でも、ありがとう。」

色とりどりの花が、温かい風に揺られている。甘い花の匂いがする。苦い草の香りも、生々しい土の香りもする。やっと私もひとつ、根の奥の方に精霊根を見つけた。それを引き抜き、籠の中に入れた。爪の中に土が入ってしまった。
ひと息つき、立ち上がり、カルナを見る。無表情だが、どことなく釈然としていないのがわかるのは、カルマレベルで繋がっているからなのか、ずっと二人で一緒にいたからなのか、私には多分一生わからない。

「もうすぐダヴィンチの新薬も開発されるらしいの。カルマも呪いも、知恵と科学で十分対応出来る、そういう時代よ。…でも、そうだな、それでも償いたいなら…貴方の霊基にも、私の傷をつけるよ。貴方が何度サーヴァントとして現れても、例え輪廻転生しても、受肉しても、決して貴方の足元には一輪の花も咲かないように。私とずっと、実も花もつけない不毛の時間を生きるのよ。今ここで、この花達を全て燃やして、呪いを受けて。」

私がそう言うと、カルナは目を閉じ、深く息を吸った。そして彼の黄金の鎧は、大きな槍となって、日の光に一層輝いた。
彼の神聖な力が込められた槍が横に向いた瞬間、槍の切っ先を掴むと、カルナは驚いた顔ですぐさま槍を仕舞い、私の手を取った。手のひらの薄い傷口から、じんわりと赤い血が滲んでいた。
嘘だよ、と私は笑った。






190211
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