夢をみた。広く大きな川でわたしは溺れていた。
あまりにも大きくて、穏やかな流れだったので、なんだかいっそ全てを諦められるような気がして、もういっか、と呟いて、抱えていた何かを手放した。存外重かったようで、それはひとりで川の底まで落ちていった。そのまま私の体だけ、ふわふわと水の流れに飲まれていった。海にたどり着くまで、夢は覚めないのだろうか。海にたどり着くまで私は何者でもないのだろうか。なんて、甘えたことを、また、考えている。急に体を焼き尽くすような痛みが走り、目が覚めた。いつもの朝だった。





日頃の健康の為の生活が功を奏したのか、最近は体調が安定していた。点滴跡も薄くなってきた頃、ロマニから「とりあえずサーヴァントをまた召喚してみようか」という言葉をもらえた。
特別闘いたいわけでも無かったが、やはりカルデアの皆が命を削って大問題と向き合っている中、自分ばかり、自分の都合で全力とは言えない形での協力であったことはとても申し訳ない気持ちがあった。

「良いサーヴァントが来てくれたらいいが…無理はするなよ。」
「ありがとう。やってみる。」

召喚器の前に立ち、少し息を整える。後ろに立つカルナから、彼なりの激励の言葉をもらい、にっこりと笑ってみる。とりあえずサーヴァントをもう一体呼ぶことが出来れば、サポートの藤丸くんのサーヴァントと3体になり、戦闘も可能になる。そして無事召喚と戦闘を終えれば、3体目の召喚も許可され、徐々に前線に復帰できるだろう。
これは自分の罪悪感と使命感のためでもあり、カルナ のためでもある。カルナは生前から武芸の達人であるし、トップサーヴァントと言われている、本当に強いサーヴァントだ。それなのにこんな雑用仕事のようなことばかりではカルナもきっと退屈だろう。本当はもっと前線で戦いたいだろうと考えたからでもある。とはいえ彼は、「主に付き従い、守るのがサーヴァントの役目であり、戦闘は手段に過ぎない」と、表情をピクリとも動かさずに言ってのけたので、結局私の独りよがりだが。
目を閉じ、霊力を送る。召喚器は大きな光に包まれ、目を開けると、一人の男が立っていた。

「サーヴァント、アーチャー。アルジュナと……」

男の視線が私から後ろの方へと移り、男は声を失った。アルジュナ、と後ろで小さく呟いたのが聞こえた。
まさかこうなるとは。私も目の前のアルジュナと名乗った男も、少し呆けた顔でそのまま固まってしまった。
緊迫する空気の中、私は一歩前に出て手を差し出した。

「…はじめまして。応えてくれてありがとう。でも不思議。こうして因縁深いサーヴァントが揃ってしまうなんてね。」
「はい…しかし、このアルジュナ、今はただ貴女にお仕えする身。私がその男よりも優れたサーヴァントであることを是非とも貴女に証明してみせましょう。」

彼はそう言い、私の手を握り返した。笑みを浮かべてはいるが、まるで心は笑っていないような。口でこそ忠実な臣下を装っているが、感情が読めない。握手を解くと、後ろに控えていたカルナがアルジュナに近づいた。

「アルジュナ。まさか再会が戦場でなく、このような場所になるとはな。ともあれ、お前が同じ陣営であるなら頼もしいことこの上ない。」
「皮肉なことだな、カルナ。……」

アルジュナは急に口ごもり、私をじっと見た。何か顔に付いているのだろうか。どうかした?と尋ねると、お前も、運が良いのか悪いのか…とぼそぼそ呟いた。

「どういうこと?もしかして、悪口?」
「いえ、全くそのようなことでは。大したことではありません。」

カルナはじっとアルジュナを見つめ、この施設を案内しよう、と言い、アルジュナを外に連れて行った。





夜、いつもの様に医務室でロマニから薬を貰った。アルジュナが召喚されたことは瞬く間にカルデア中に広まった。カルナしかいないマスターのもとに、アルジュナが来たのだ。それは皆面白がるに決まっている。ロマニにも、前世に何かあるんじゃない?それか君の中に聖遺物が埋め込まれているとか、なんて笑われた。
紙袋に詰められる薬も目に見えて減ってきていた。カルデアに来る前から、物心ついた時から飲んでいるものだったので、完治しないものだと思っていたが、ロマニ曰く、もう少しで薬も飲まなくていいかもしれない、という話だった。
不思議だった。こんなに回復したのはカルデアに来てからだ。来てからの方が明らかに以前の生活より忙しいし、疲労やストレスも強そうなものだが。

医務室から自室に戻る途中、今日の分の薬を飲み忘れていたことに気づき、食堂に寄った。昼間はカルデアの職員や藤丸くんのサーヴァントで賑やかな食堂も、夜は誰もおらず、電気が部屋の半分ほどついているだけだった。ウォーターサーバーから水を汲み、椅子に座った。紙袋から錠剤のシートを取り出し、一粒だけ口に入れ、水で流した。
昼間の賑やかさの残り香のような、幻聴のようなものが、頭の中で響いている気がした。カルデアの職員の、他愛のない会話。藤丸くんとマシュが、レイシフト先の食べものの話をして、笑っている。私も、またすぐに、サーヴァントを召喚できるだろう。そうしたら、藤丸くんのようにまた前線に立って、カルデアの皆の役に立てる。人類の危機を一緒に救える。カルナも戦わせてあげられる。私の存在にも意味があると、思える。

「そんな薬を毎日飲んでいるのですね。」

声がした方に振り向くと、食堂の入り口にはアルジュナが柱に凭れて立っていた。

「…物心ついたときからずっと飲んでるの。魔術回路が安定しなくて。」
「マスター、お労しい」

なんとなく白々しい感じがするのは彼の言い回しのせいだろうか。せっかくの自分のサーヴァントなのだからもっと将来的には仲良くなれたら良いのだが。そう思いながら紙袋にシートを詰めて席を立とうとした。
呪いのせいでしょう、とアルジュナが言う。驚いて彼の顔を見ると、「最初に見たときから解っていました」と言い、こちらに歩いてきて、私の隣の席に座った。
そうなんだ、と呟き、ロマニの言っていたことを思い出す。カルマ。確かに、精神病という捉え方よりも、そう捉えた方が正解なのかもしれない。自分のサーヴァント2体に、呪い、と言われるのだから。この薬も、症状を緩和させる効果しかなく、根本的な治療ではないということは、前からわかっていた。

「貴女が望むのなら…私が、撃ってさしあげましょうか。貴女の心臓ごと。そうしたら呪いは解けます。」

アルジュナの顔を見る。アルジュナも私を見て、うっすらと微笑んでいる。

「私の矢であれば、魂の傷ごと浄化できるでしょう。勿論心臓を撃ち抜けば貴女は死んでしまいますが、それでも呪いを解いて、魂の傷を浄化させたいのであれば、謹んでお受けしますよ。」

一瞬ですから、痛くはありません。と言い、紙袋を持った私の手を掴み、絡め取った。生温い温度の、大きな手。提案の良し悪しより、とにかく戸惑いが勝っていた。

「でも、カルナは呪いは自分で解くしかないって言ってた」
「そんなことはありません。命は落としますが、呪いは解けます。…まあ、しかし、カルナには解けないでしょうね。だってこれは、カルナのせいで負ったものですから。」

アルジュナの手が私の首もとに置かれ、指先がうなじを撫でた。

「全くお前は、油断も隙も無いな。」

小さな風と共に、目の前に巨大な武器が現れた。その鋒はアルジュナの額に向けられていた。

「マスターが怯えている。今すぐ離れろ、アルジュナ。」
「フ…何をぬけぬけと。正義の味方気取りか?根本的には、お前が本当のことを言わないから、彼女は今こうして戸惑い怯えているのだ。」

カルナは何も言わず、じっとアルジュナを見ながら、額に鋒を捉えて動かない。アルジュナは先ほどの雰囲気とは打って変わって、カルナに対して怒気を含んだ表情で睨みつけていた。

「ねえ、暴れないで。ここ食堂だから。」

とりあえず、ここで武器や宝具を使われたらたまったものではない。カルナ、と声をかけると、小さくため息をついて彼は武器を下ろした。それでもアルジュナとの睨み合いは終わらない。幸か不幸か、食堂には誰も来ず、廊下は誰も通らなかった。

「カルナ、私が来たのが運の尽きだったな。一目見たときから全て解ったよ。今度こそ、お前が悪だと。でなければ、どうしてお前がマスターの心臓を自分に取り込んでいる?」

私の心臓が、カルナの体に取り込まれている?
アルジュナが何を言っているのか理解が出来なかった。私の心臓は取られていないし、今もここでしっかりと機能を果たしている。

「アルジュナ、どういうこと?」
「マスター、すまない、言おうと思っていたのだが…」

アルジュナは何も答えず、カルナを睨むばかりだった。カルナの胸元の赤い宝石に手を当てて、私に目線をうつし、ゆっくりと話し始めた。

「…あの日、レイシフトから戻ってマスターが倒れたあの瞬間に、オレはマスターの心臓を奪った。そして自分の中に入れた。そうしなければマスターは恐らく、魔術回路の自爆でそのまま死んでいたからだ。心臓さえあれば、あとは魔力と治療で保てるだろうと考えた。そしてなんとか一命を取り留め、マスターは今ここで生きている。説明が難しいが、物理的には心臓はマスターの中にあるが、その存在自体は俺の中にある、というような形なのだ。…言おうと思っていたのだが、タイミングを逃した。すまない。
結果的にマスターとオレは一心同体、運命共同体になった。マスターが死ねば魔力が消えて、オレも死ぬのは当然だが、この場合、オレが死ぬ時マスターも同時に死ぬことになる。マスターはオレを気遣い、前線に立たせようとしているようだったが、もしそうなったらと考えると気が気ではなかった。無論負けるつもりは毛頭ないが、マスターの命を進んで危険に晒すことなどオレには出来ない。しかし激化する戦線の中、近い未来、戦場に赴くことは不可避だ。だから、このタイミングでのサーヴァントの召喚は都合が良かった。なるべくオレが後衛に回り、前線を任せられるような、強力な、良いサーヴァントが来るように祈った。まさかお前が来るとは思わなかったがな。」

余りに急な告白と、余りに概念的な話で、頭の中が掻き混ぜられるようだった。タイミングを逃した、すまない、で許される話だろうか、という気持ちと、確かにこれほど重い話ではタイミングを見計らいたくもなる、少なくとも今では無かった、という気持ちが同時におこった。
しかしカルナの告白にアルジュナはまだ責めるような目線を辞めなかった。まだ終わりではないような空気が、怖かった。何かが起こるような気配がして、手先が震えた。どうしてこういう時に誰も通りかかってくれないのだろうか。

「…わかった。でももういいよ。助けてくれたってことだし。それでもう終わりにしよう。」
「結果的に、だと?嘘をつくな、カルナ。お前はマスターがいつか自爆することを知っていた。それを解りながら誰より側で、心臓を自分のものに…自分だけのものにする時を狙っていたのだ。彼女が今度こそ自分だけのものになることを望んで。」

マスターの魂の傷は、カルナ、お前がつけたものだろう。
アルジュナの透徹した声が空間に響いた。遠くでコツコツと誰かの歩く音がした。カルナはアルジュナをじっと見つめながら、いつもの様に、ゆっくりと瞬きをした。

「もうやめて、アルジュナ」
「どこにいても、どんな姿になっても、必ず自分にわかるように、傷をつけたのだ。そして彼女はその傷のせいで、どの時代に生を受けても、何者にもなれなかった。彼女は魂からお前の所有物になってしまったのだ。彼女はお前がいなければもはや何者でもない。しかしどれほど自分に意味が無いと感じ、絶望しても、何も得られなくても、死ぬことは許されなかった。お前が迎えに来るまで生きながらえなくてはいけなかった。お前が彼女を探し出すまで、彼女は何者にもなれない自分を罰し続けなければならなかった。そして自罰の呪いを負い、自分の存在を保った。
ああ、しかしお前も本当に、運が無い。何千年もの時を超えて、今世でこうして巡り会えたのが、まさか魔術師とサーヴァントでの再会で、しかも彼女の自罰の呪いが自身の魔術回路をも巻き込んでしまっていたのだからな。」

事実を淡々と語るような口調で、アルジュナはカルナを責めていた。私は急に意識が遠のくような目眩に襲われた。心臓が速くうちつける。もうやめて、わかったから、今日はもうお終いにしよう。そう言った私の声が聞こえていないのか、アルジュナとカルナは見つめ合ったまま、ただ淡々と話を続けた。
冷や汗が止まらなかった。身に覚えのある症状だった。

「…そうだ。傷も、オレがつけた。その首筋の跡のように。まさかそれによって自罰の呪いを自分にかけてしまうとは思わなかった。ただ、再び、何処かで巡り会えたらいいと、思っていただけだった。」
「お前のことだ。傷をつけたことに悪意は無かったのだろう。しかし、彼女の魂を何千年と縛り、苦しめておきながら、今更素知らぬふりをして隣にいることが、本当に許されるのか?」

自分の手に何かが落ちた感触がして、手元を見る。赤い血がどんどん手に溢れていた。急に息が出来なくなり、咳きごむと、大量の血が食堂の白い机を濡らした。鼻の奥までこびり付いた血の匂いがした。椅子から転げ落ち、そのまま視界は暗くなっていった。






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