蔦の絡んだ外壁を見上げると、日に焼けた灰色の石造りの建物の上に、より暗い灰色の空があった。
ぽつり、と鼻先に水滴が垂れた。

「マスター、雨だ」

そうだね、カルナ。顔も見ずにそう告げる。本降りになる前に避難しようと言うことだろう。湿気をじっとり吸い込んで素直に垂直に落ちる黒髪と違い、カルナの白く逆立った髪はまるで、幽霊のように、その湿気や水滴の影響を受けなかった。既に私の顔にはぼたぼたと雫が無遠慮に数滴這っていた。
外壁の蔦はただ青々とした平べったい葉をつけるだけで、棘も花も実もつけないものに見えた。その葉を少し触ると、薄いビニールのような質感で、そのまま茎まで手を伸ばすと、その手を後ろに控える英雄に取られた。

「この蔦には棘がある。細く小さいものだが、抜きづらく厄介だ。…雨が強まってきた。急ぐぞ。」





カルデアで奇跡的に残ったマスター候補生は、自室にいた藤丸立香と私だけだった。どちらにも適正はあったが、私は魔力や魔術こそ問題は無いが、元々身体が丈夫ではないため、レイシフトをして定礎復元をするのは藤丸立香をマスターとしたサーヴァントたちがメインとなった。
それでも最初の方は私もカルデアも、人類存続の危機に対し、なりふり構っていられなかったので、サーヴァントを召喚し、藤丸くんたちと一緒に戦っていたのだが、徐々に積もる疲労や重ねた無理で身体にガタが来ていたらしい。ある時レイシフトから帰還した際に、身体のありとあらゆる穴から血を出して倒れたのだそうだ。それから眼が覚めると、藤丸くんには及ばずもそれなりにいた自らのサーヴァントたちは殆ど消えてしまっていた。何故かカルナただ1基だけが残っていた。
ロマニとダヴィンチは、「一時的にでも、霊力の媒体である血がほぼ致死量に近いほど大量に流れてしまったからだろう。」と言った。サーヴァントたちとの突然の別れに驚きこそあったが、あまり寂しさのようなものは感じず、「そうなんですね」とだけ告げ、花瓶に差された一輪の花を見た。細く、可憐な、黄色い花だった。藤丸くんが持ってきてくれたのだろう、となんとなく思った。
以降ロマニから正真正銘のドクターストップをかけられた私は、第一線から退かざるを得なかった。大体は医務室や自室で点滴をしながらデスクワークだ。時々、敵の少なく穏やかな場所での素材集めや、少しの探索であれば、カルナと二人で請け負うことになった。




強さを増す雨から避難した先は、山の窪みの洞窟になっているようなところだった。濡れたせいで肌寒さを感じ、体をさすると、カルナが火を起こし、ファーのような自身の装備を肩にかけてくれた。火の前に座りこんだが、座っている自分の真横で身長の高いカルナに立たれるのはなんとなく嫌だったので、座るよう促すと、大人しく座った。

「カルナは寒くないの?」
「サーヴァントは寒暖を感じない。加えてオレには太陽神の加護があるから問題ない。」
「そうなんだ」
「マスター、身体が冷えている。もう少し側に来てくれ。風邪をひかれては困る。」
「うん、ありがとう」

薪もないのに目の前で火が燃えている。つまりこれはカルナを介した、私の霊力を消費しての焚き火なのだろう。この英霊は、根暗だの施しだのという割には、基本的には人の魔力を遠慮なく惜しまずに使う。焚き火の炎程度の魔力で尽きるほどではないし、私の身体を思ってのことなので、むしろ有難いことだが。
お互い無言のまま、摂理に反してひたすら燃える火を見つめる。外の雨の音だけが洞窟に響いていた。レイシフト先でも、医務室での事務作業でも、カルナとはずっと一緒に行動しているが、お互いあまり喋る方ではないので、殆ど無言である。変に気を使わない分とても楽であるが、それを見た藤丸くんやマシュにはよく、不思議な雰囲気だと言われる。「なんというか、似ているというか、信頼し合っているというか…。」いつか食堂で藤丸くんが言っていた。そう見えるのか、と思った。本当に、そうだろうか。お互い特別な好意も友情もないのは、それこそ、火を見るより明らかであるのに。なんて。

ふと座り込んだ地面にも、雑草に混じりながらまた先ほどと同じ蔦が這っていた。なんとなく胸がざわついて、その葉を触り、這っていく先を目で辿ると、カルナの後ろの壁一面に絡んでいることに気づいた。
その蔦の壁をじっと見ていると、自分の方を向いていると思ったのか、どうした?とカルナが尋ねてきた。

「ううん、なんでも…。ただその蔦が気になって。」
「そうか。燃やしたいのか?」
「いや、そういうことじゃないの。」

地面にある雑草をブチブチと毟った。火の中に投げると、黒く煙を出して燃えて消えた。
カルナは火から私に視線をうつし、じっと見ている。私もじっとカルナを見た。世界の宝物のような、美しい眼だ。そしてそのまま、カルナに近づき、手をカルナの後ろの壁まで伸ばし、思い切り蔦の中に手を入れた。

「!」

カルナが慌てて立ち上がり、私の腕を掴む。手や腕は細かい棘がいっぱい刺さってしまったようで、とても痒かった。

「あはは、ああ、カルナ、痒い!ほんとに棘があったね。」
「マスター…。お前は何をしている。」

カルナは表情に殆ど変化は無いが、驚きと呆れの気配を漂わせた。私はなんだか悪戯が成功したような気持ちで、笑いが止まらなかった。

「ねえ、でも見て。小さな実があったの。緑色で、全然美味しくなさそうだけど。」

ここ、と言って、ぶちぶちと切れた蔦のなかを見る。確かにそこにはとても小さな、薄い緑色の実があった。

「…本当だな。」

カルナはその小さな実を見つめる。こういうところに、彼の万物に対する尊敬を感じる。青く未熟な実に添えるだけの長く細い指に、彼は本当に神に愛されているのだと実感した。
そして私は手を伸ばし、その実をぶちりと摘んだ。

「よかった。もし花も実もならずに、ただそうして土や石を無作為に這って生きるなら、燃やした方が救われていたもの」






白くて小さな無味無臭の実。一日1錠。毎日欠かさず飲むことが健康への道であるとロマニが言う。白い小さな紙袋にまた2週間分の薬を詰め込みながら、ロマニはこちらをむいて微笑んだ。小児科医の先生のように。

「どうかな?最近は、少しは安定してる?」
「…どうなんでしょう。自分ではあまりわからなくて。薬もずっと昔から飲んでるので。」
「君は、心がとても複雑で、それに魔術回路が引き込まれているからね。一般的な精神病とは少し違うのかもしれない。精神病は、自己の意識が内面に向きすぎていることに診断される方が多い。それか、無意識のうちに完全にノイローゼのような状態になってしまうとかね。君は自分の心や精神にあまり興味がないし、心のどこに傷がついているのか自分でわかっていない。でもその心に何故か薄っすらとした強迫観念があり、何故か魔術で自分を罰する。ノイローゼというほど日常的に支障はきたしていない。…もしかしたら、どちらかというと、カルマのようなものに近いかもしれないね。」
「カルマ?」
「そう。課せられた運命のようなもの。いつか何かを解ったり、赦したり、呪ったりしないと、その病から永遠に抜け出せないのかもしれない。魂の傷だ。」

随分難しいことを言う、と思った。たかが少し魔力があるだけの、少し名のある魔術師の家系の娘に、カルマ、なんて。まあ、魔術師だからこそ、たかが端くれであってもそうして入り組んでいて陰湿なことになりがちなのかもしれないが。しかしここにいる沢山の大英雄達が聞いて呆れるだろう。
ま、勿論少し大げさだけど!とロマニも笑った。

「ともあれ、とりあえずは健康の基本を大事にしよう。一日三食しっかり食べて、少し散歩をしたり、人と話したりするのを欠かさないこと。忙しくてもしっかり寝ること!何かあれば藤丸くんやマシュにも頼みなさい。カルナにもね。」
「はい。ドクターロマン、ありがとうございます。」
「いいえ。…ああ、なんか少し不思議な気持ちだよ。君にこうしてお礼を言われるなんて…。君が血を出して倒れたとき、正直もう助からないと思ったんだ。サーヴァントがいなくなってしまったときもどうなることかと思ったけど…今思うと奇跡的に1基残ったのがカルナで良かったよと思うよ。」
「…どうしてですか?」
「え、どうしてって…それは、普段の君たちを見てたら誰だってそう思うと思うけど。」

釈然としないまま首を傾げていると、ロマニは、はは、と笑って、そういうところも似てるよね、君たち、と言った。
医務室を出ると、扉のすぐ隣にカルナが立っていた。「終わったか。」と言って私の白い紙袋を一瞥すると、私の目を見た。うん、と言うと、そうか。と返した。







カルナの熱い手のひらが私の両手首を捕え、そのままやんわりと蔦のなかに押し付けた。

「マスター。お前は、何も呪わなくていいのだ。」

鼻と鼻がふれてしまいそうな距離で、カルナは言った。服越しにもわかるカルナの体温は確かにとても熱かった。太陽神の加護。世界の生命の基。近くに寄れば如実に感じる。カルナからは暖かい春の日差しのような、夏の生命の躍動のような、そんな匂いがした。私の体からはただ、湿った衣類の洗剤の匂い。

「わからない。私は呪っているの?」
「ああ。お前の魂には傷がある。それを自らの呪いで塞いでいる。」

蔦の細かな棘が首にも刺さっていく。その感覚に脳の奥のような、胸の底のようなところがじりじりと燃えるように熱くなる。
早く教えて欲しかった。呪いがあるのなら解いてほしい。しかしカルナはそれ以上は何を言うことも無く、そのまま私の首筋に顔を埋めた。細かな棘を一つ一つ舐めて吸い出すように、ザラザラとした舌が丁寧に首を這っていった。
雨は小降りになっていた。さらさらとした音を聞きながら、カルナの顔に手を当てる。温かい人の皮膚の感触に、自分の手の冷たさを露骨に感じた。棘を吸い出したのか、カルナは自分の顔にある手を自分の手と繋ぎ直し、またわたしの目をじっと見た。
オレに呪いは解けない。呪いは自分自身で解くしかないものなのだ。とカルナは告げた。しかしその傷がないと、なかったら、オレは…。そう呟いて、また沈黙した。カルナの手は熱いのに私の手先は一向に暖かくはならなかった。私の手はその凍るような冷たさを保ったままそのままカルナの赤い宝石に触れる。
火傷をしそうなくらい熱いというのに、どうしてか全く、手先も身体も暖まらないのだ。途端に全てに絶望を感じた。千切れた茎から匂い立つ、噎せ返るような緑の匂い。うねる曲線が、それが無数に絡み合って、冷たく暗い洞窟の奥まで続いているのを一目みとめると、気が狂いそうになった。
急に蹲る私をカルナは優しく抱きしめた。何か言いたげに息を吸い、そのまま何も言わなかった。
カルナの背に腕を回し、胸と胸をくっつけると、ようやく少し温かさと自分の意識が戻ったような気がした。

「ほら、暖かさを求めて強欲に這うお前の白い手は、こんなにも美しい。何も得ず何も生まないと呪い続けるならオレが実も花も心も与えよう。」

雨が上がり外に出ても、カルナはわたしを抱き抱えたまま歩いた。わたしは自分の頬にあるのが雨か露か涙かもわからないまま帰還の光に包まれた。







花のならない草たち
190118
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