寂しさはどこからくるのだろう。わたしを求めてゆらゆらと動く指を暗闇の中で見つめながら、そんな言葉が頭に浮かんだ。彼がわたしの耳を舐める。
わかっている。なにか言わなくてはいけない。わたしは目を逸らす。
何をあげたら満足なのだろう。そう考える時点で、ここは荒野であり、ここには何もない。わかっている。わかっているのに、ここにはわたしと彼がいて、時間が流れている。

圧倒的な時間。物質。何もないのでなく、何かあるのだ。たいてい、いつも。







「小さい頃になりたかったものは何ですか?」

すき透る彼の声がささやかに鼓膜を揺らす。ちいさいころに、なりたかったもの。頭の中でもう一度言葉とイメージを掛け合わせながら、すこし考えた。ちいさいころに、なりたかったもの。窓の外を見つめながら、ふと気づいた。小さい頃から、窓ばかり見ていた気がする。

「お米やさんかな。」

家の近くにあったの。すごく小さなお米屋さんで、お米の、炊く前のあの白い半透明な粒のままの匂いがして、不思議と静かで、おばさんも物静かな人だったな。夕方にお母さんと、手を繋いで川を渡って、そのお米屋さんに行くのが好きだったから…。

「黒子くんは?」
「僕は、バスケットボール選手です。」
「それより前は?」
「うーん、確か、保育士さんでした。」

保育園の先生が好きだったんです。男の先生でした。あんまり優しくはなくて、保育園の先生にしては厳しい顔で、口調もきびきびしていたのですが、僕が縄跳びができずに泣いているのを、男だろ、と言って怒って、遅くまで練習に付き合ってくれたんです。

そうなんだ。そう言い、わたしはゆっくり瞬きをした。駅前のカフェは空調がよく効いていて、彼のプレゼントしてくれた白いカーディガンはとても役に立った。シンプルだけと、めの細かい、肌触りの良い生地だった。この頃はわたしはとにかくオレンジジュースにはまっていて、彼もそれを面白がって、同じオレンジジュースを飲んでいる。しかしわたしは知っているが、彼は意外と子供舌で、ここのカフェで彼が頼めるものなどオレンジジュースぐらいしかないのだ。
不思議と二人の記憶は夕方だったことに気づく。そして机に広がる、カフェの窓の光もまた暖かく強い夕方の光だった。コップの底の縁に、水滴がたまっていく。

「そろそろ帰りましょう」

勝てない、とわたしは思う。この水滴の質量に。彼が、ちら、とわたしを見た。
彼の息と、机に広がる光、つめたい空気、カフェの静かなジャズの音。わたしは徐々にどこが現実なのかがわからなくなる。水滴、は、ガラスからでたものなのか、それとも、わたしの汗なのか。
行きましょう、と黒子くんがカフェから出て、わたしの手をとって歩いた。西日が眩しくて、目がくらみそうだよ、と笑って言ったが、彼は口元だけ微笑んだだけだった。夕方は、人の心を不安定にさせる、と、どこかで聞いたことがあった。わたしは俯いて、つやつやに光るローファーを見つめた。
前が見えない。わたしはしっかり歩けているだろうか。

「貸した小説は、読んでくれましたか?今朝の英単語のテストは、どうでしたか?今度、水族館に行きませんか?さっきのオレンジジュースは、とても美味しかったですね。」






わたしはだんだん気付き始めた。闇に染まる空を見ながら、口に出した。「本当は生まれた時から終わっていた」。ほんとうはうまれたときからおわっていた。自分でも何を言っているのかいまいちよくわからなかったが、そのような気がした。そのあたりが妥当のような気がした。
何の意味もない言葉が、何か意味をなすことすら限界だった。
もうおわりにしたかった。毎日幸せだった。これ以上、わたしは何を言えばいいのだろう。これ以上彼が目の前にいることに、何の意味があるのだろう。
わたしは風が吹いたら幸せになるような女で、黒子くんは、バスケットボールをする、男の子。幸せな事柄だった。全てのことが。
「それが幸せでもあり、荒野でもある」。以前隣の席になった、赤司くんに言われた言葉だった。

「そんなこと言わないでください。」
「そんなこと、言わないでくださいよ。」

お願いですから…。か細い声でそう言って、わたしの肩にきれいなおでこを擦り付けて、うな垂れた黒子くんの、その向こうには、またいつかどこかで見たような、同じような、なんとなく、そのような、紫色の夕焼けがあって、わたしたちにぐんぐんと迫っている。わたしは感動する。不安定な心のままに、涙をすこし流す。とても綺麗だからだ。
わたしは黒子くんのことが好きでも嫌いでもない。







誰かが
170630
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