雑音さえも音として聞くのだと講師は言う。そんな優しい世界があってたまるか、と、わたしは思う。ボールペンをカチカチと鳴らす。午後2時の講義。全ては安泰な将来のためである。
それじゃあ、6時頃に迎えに行くから。小さな声で彼はそう言って、講義を抜け出た。まるで扉に吸い込まれるように滑らかに、音もなく、ぬるりと、教室から居なくなった。
よくわからないスライドの写真がぱらぱらと変わっていく。講師の話は長くて単調だ。殆どみんな寝ている。そりゃあそうだ。こんなどうでもいい話、寝てしまう他ない。なんとなく頑張って起きていた自分が馬鹿らしくなり、ついにわたしも顔を伏せた。



緑間の結婚式の招待状が届いたのは大学三年になってすぐだった。緑間に、高校の終わり頃から付き合い始めた彼女がいたことは知っていた。そして随分お熱く宜しくやっていることも知っていた。帝光の頃、桃井と一緒にマネージャーを務めていて、高校、大学と赤司と進路が丸かぶりなわたしは、よくキセキの飲み会にも顔を出した。その度、茶化していた。緑間は、至極不快そうな顔をしながら、容易く照れた。楽しかった。
しかし、まさか、あの緑間が、その彼女と結婚、さらに学生結婚だなんて、と、わたしはポストの前で呆然とした。春の手紙に丁度良いような、綺麗な和紙の便箋だった。


講義の後、時々赤司と近くの喫茶店でお茶を飲んだ。多忙な彼だが、わたしとの時間に際限をつけることはあまりなかった。付き合ってはいない、と思う。そのような話も、そのような接触もないからだ。しかし、よく考えたら、緑間にもそのような話やそのような接触をしたことはない。それなのにわたしは…。わたしは、何かを、緑間に。そこから先は、何も出てこなかった。
アイスティーの氷をストローでかきまわし、カラカラと鳴らした。緑間らしくない、とわたしは言った。学生結婚なんて、殆どメリットを感じない。子供でもできてしまったら、どうするのか。いつも正確で安全なことを好む、冷静な緑間らしくない。怒ってはいない。事実を淡々と述べたつもりだ。そんなわたしを見て、赤司は、紅茶に口をつけた後、落ち着いた表情で言った。そのデメリットを受け入れても、成し遂げねばならないほど、情熱的な恋だったんだろう。

情熱的な、恋?情熱的って。冷静になれないほど情熱的な緑間が、そこにはいるということなのだろうか。情熱的な、緑間。あの冷たいレンズの奥に、何を見て、何を感じていたのだろうか。緑間は今、一体、どんな気持ちなのだろうか。じゃあ、わたしの知る緑間って。わたしの信じていた、緑間らしさって、一体何だったというのだろうか。
窓の外の街路樹を見る。わたしは、緑を見るたびに、やはり、緑間を思い出す。緑間、緑間。緑間は、何かを見て、わたしを思い出すことはあったのだろうか。
いいえ、緑間は、結婚する。そしてわたしは、招待状を鞄に入れて、なんの声も出さずに、ただ、ここに座っている。目の前にいる赤司が薄く微笑む。わたし、いつも、この人と一緒にいる。どうしてだろう。
アイスティーを飲み干す。赤司が、テストが終わったら、箱根に行こう、と言う。



***



あれ、もう、新郎新婦入場?6時に赤司に迎えに来てもらって、そこから、記憶がないんだけど。あっ、緑間。その隣の綺麗な、きれいな、花嫁さん。二人の馴れ初め、ご両親の挨拶、カメラの音、ビデオの音。拍手、世間話、拍手、泣きながらの花嫁の、スピーチ。拍手、拍手、拍手…。
わたし一人、まるで幽霊のように佇む。緑間を、見つめる。眼鏡変えたの。どうして。わたし一人、なんの音も出さずに、ただ、与えられた一つの椅子に座っている。拍手、拍手、拍手が鳴りやまない…。
こんなのは、最高に、最低な、これ以上ない、雑音で。



***



目を覚ます。見慣れた天井があった。薄暗いわたしの部屋。宵闇だろうか。青い光が見える。いつの間に、ベットに横たわったのか。目が覚めたかい、と聞き慣れた声がする。視界の右端に、赤司を捉えた。迎えに来て、車に乗り込もうとした瞬間、わたしは倒れたのだと言う。それを赤司が、わたしの部屋まで運び、寝かせてくれたのだとか。そういえば、カクテルドレスのままである。
失礼するよ、と、わたしの頭を抑えて、親指で下瞼をそっとめくる。貧血だね、ちゃんと食べていないだろう、と少し説教された。確かに、最近、あまり食べていなかったかもしれない。マネージャーが選手にダメ出しされるのであるから、本当に、頭が上がらない。
ふと、赤司とわたしが触れたのは、今が初めてだったと気づく。

結婚式、行かなくて良いの?とわたしは赤司に尋ねた。すると赤司は、君が倒れたのに、放って行けるわけないだろう、と言う。ただの貧血なのに?ただの貧血だとしても。そっか。そっか。
そう、わたしは今、赤司と一緒に、わたしの部屋にいる。それだけだ。そのままだ。緑間は、今頃、変な白いタキシードなんかを着て、緊張して、ネクタイを弄り倒して、眼鏡を拭いて、それを新婦が笑う。そのまま、わたしの空席にも気づかないままキスをして、笑って、泣いている。生きて、動いている。情熱的な結婚式。それが緑間なのだ。
見たかったな、と呟く。赤司は優しく笑いながら、仕方ない、黄瀬がビデオを撮ると言っていたから、また後で一緒に観よう、と言う。そっか、よかった。
横たわったまま、赤司を見つめる。見つめ返してくる。そしてわたしは赤司の手に触れていた。ぬるい、と感じた瞬間、まるでそう決まっていたかのように、抱き寄せられる。温かい。流れるように自然な動作だった。
赤司が小さく、結婚したい、と言う。わたしは、何も言えないまま、貧血な体だけを持っていた。







150723
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