赤司くんはちょっと変わっている。赤司くんについてわたしにわからないことは結構あった。昔からそうだった。それは彼の生い立ちや環境やいろんなところに原因があるのだろうと思う。だいたいは優しくて頭が良くて、なんだか雲の上の神様のような完璧な子なのに、例えば、変なところで一人で笑ったり、誰も知らないご当地キャラのキーホルダーをつけていたりする。しかしわたしはそこがなかなか可愛いと思っていた。むしろそれが彼を、更に完璧な子どもにしていることも、同じ子どもである身として、ちょっとだけわかっていた。

「近所の大熊おじさんが、お亡くなりになりました」

夏休みが終わって初めての朝のホームルームで、先生は真剣な面持ちでそう言った。教室に一瞬、ピリッと緊張が走ったが、その後先生が、「学校の帰りでいいので、顔を見せてあげてくださいね」と少しにこやかな顔で言ったので、教室の空気はいくらか解れたようだった。ホームルームが終わって先生が廊下へ出て行くと、声の大きな男の子たちは教室の後ろの方に集まって騒ぎ始めた。

「おれ、おかーさんたちの話聞いてたんだけど、大熊おじさん、殺されたらしいぜ」
「うわ、まじかよ…」
「しかも、山登ってたら、熊にやられたって」
「それは嘘じゃね?」
「いやマジなんだって!おれ聞いたもん」

マジマジ、と言い合う男の子を他所に、わたしは左の席の彼を見た。わたしの隣の席の赤司くんは清々しいまでに冷静な顔で次の授業の準備をしていた。同じ小学四年生とは思えない落ち着きぶりだ。他の子も、騒いではいないものの、そんな噂を聞いては、何となく穏やかではいられずにそわそわとしているというのに。赤司くんときたら、極めて優雅な仕草で、窓の外の電信柱にとまる雀を見ていた。

大熊おじさんとはこの小学校の校門を出てすぐにある平屋に住むおじさんで、おじいさんになりそうなおじさん、ぐらいの年齢だ。車や自転車の修理屋さんをしていて、髪は白髪交じりだが、肌は浅黒く、眉毛のしっかりした、歯の白い元気なおじさんである。おばさんとおじさんと柴犬のダイゴロウの三人(二人と一匹?)で住んでいて、わたしたちが登校するときや下校するときに挨拶してくれたり、体育をしているときに、手を振ってくれたりした。
こうして噂をしている男の子たちも、大熊おじさんにはとても懐いていた。今日の帰りは大体の人が、おじさんの家に寄るのだろうと思った。

「ねえ、帰り、大熊おじさんち寄ろうよ。お線香あげに。」

友達のみっちゃんとゆきちゃんがわたしの机まで来て、そう言った。みっちゃんはとくに、大熊おじさんと仲良くしていたっけ。

「ごめん、わたし、今日はちょっと帰らなきゃだから、今日はみっちゃんとゆきちゃん二人で行ってきて」
「そっかあ、わかった。明日一緒にいこーね」
「うん」




***




学校から十五分ほど歩いたところにある山には、松がたくさんあって、わたしはそこでまつぼっくりを拾うのが大好きだった。ふかふかの土に被さるたくさんの雑草や枯葉の中から、なるべく大きくて、欠けていない、綺麗な形のまつぼっくりを探す。幼稚園の時に一度ここに遠足に来て、それから小学校になってもよく一人でここへ来て山を散策していた。
さくさくと地面に落ちている葉っぱを踏みながら歩く。歩くたびに、ランドセルについている鈴が、リン、と鳴る。警察や大人の人も誰もいない、いつもの山だった。むしろいつもより静かなんじゃないか。やっぱり殺されたというのは嘘なのかもしれないと思いながら、しゃがんで、まつぼっくりを拾う。
みっちゃんとゆきちゃんには悪いけど、わたしは、大熊おじさんのことはあんまり好きじゃない。お線香なんて一生あげにいかないつもりだ。正直、真面目なゆきちゃんが通学路に拘らなければ、本当はあの家の前だって通りたくないくらいだった。思い出したら嫌な気持ちになって、立って、まつぼっくりを地面に思いきり叩きつけた。

「そんなことをしたら、熊が出るよ」

後ろを振り返ると、街灯にもたれて、真っ赤な目をこちらにむけている赤司くんがいた。いつからいたんだろう。

「出ないよ。出たことないもん」
「でも大熊さんは熊で死んだんだろう?」
「違うに決まってるよ。警察とかいないし。…なに笑ってるの。」

赤司くんはクスクス笑いながら、こちらに歩いてきた。赤司くんが変なところで笑うのはよくあることだけど、この赤司くんは、なんだか可愛くない。いつもの赤司くんとはちょっと違って、胸がざわざわした。赤司くんはよくわからない。変な人だと思う。

「なんでもないよ。でも、熊は出ただろう?」
「なに言ってるの?だから出たことないってば」
「いいや、俺は、見たよ」

そう言って赤司くんがいきなり俯くので、赤司くん?と言ってその顔を覗き込もうとすると、赤司くんは突然顔を上げた。そして、金色の、猫のような片目が、わたしを見返した。

「君は僕を大切にするべきだ」
「は?いみわかんないんだけど…」
「僕は君の為に正しいことをしたんだから」
「…あっそ、もういいから、ばいばい」

いつもの五十倍ぐらい意味のわからない赤司くんにわたしは嫌になって、帰ろうと思い、踵を返したが、手首をがっしりと掴まれた。とても痛い。

「いたい。離してよ」
「うるさい…わからないのかな」

わたしを鋭い目で非難する赤司くんはまるで別人のようだ。というか、別人だ。ああ、わからないことが増えた。赤司くんについてわからないことなんて別に増えなくていいのに。知りたくもないのに。

「僕は見たよ、君が、熊に、襲われてるところ」
「……なにそれ」
「七月の夕方。夏休み前最後の登校日。君、ここで、大熊さんに」

にこりと赤司くんは笑った。夏休みが終わっても、夏は終わらない。どこかで生き延びているツクツクボウシが鳴いている。

「教えてあげよう。熊を、殺したのは、僕だ。僕が殺した。熊が車で君を家まで送った後、かくかくしかじかで、熊は山に葬ってあげたよ。捨てるのは夜になってしまったから、もしかしたら本当に、熊に食べられてしまったかもしれないけど…。」


***


(どんなふうだとか、どんなことだとかは覚えていないけれど、ただ、大熊おじさんの、あの、しわしわの顔の中の、ぬるっとした黒目、獣のような口、だれのものかわからない呼吸にあわせて、ランドセルについた鈴がリンリン鳴ってたこと。ズボンの後ろのポケットにいれたまつぼっくりが、ぐりぐりと腿に当たって痛かったこと。それだけ覚えている。家に帰ったらランドセルの中にコンビニ袋があって、その中に五百円分くらいのお菓子が入っていた。お菓子を特別好きじゃないわたしは、夏休み中かけて、そのお菓子を消費した。)


***



「僕は君に酷いことをした奴を葬った。僕は正しいから、正しいことをした。正しいことをした僕は、偉いだろう、ねえ、おい…」

突然強い力で引っ張られて街灯に打ち付けられた。痛い。優しくて頭が良くて完璧な赤司くんは絶対にこんなことしないのに。あ、でも赤司くん変な子だし、わたしが知らないだけで、こういうところもあったのかな。理解できないけど。例えば、おじさんを初めて見たときからわたしはおじさんが嫌いだった。それはおじさんがいつかわたしにすることをなんとなく感じ取っていたからである。いつもべったりとした視線を感じていた。おじさんは普通の人だったから。でも赤司くんはわからない。わからないことばかりで、別にわたしがわからなければいけないはずなんてないのに、時々、申し訳なくなる。とにかく赤司くんは、どちらかというと、やっぱり、どうしたって、神様の方の人間なのだ。

「僕を崇めろよ、僕を見ろ、僕を、見て、僕を、僕を絶対忘れないで…僕が世界一だと言ってくれよ!僕が神様だって、言え、誓え!僕は熊を殺めた男だぞ…」

そう喚いて赤司くんは泣いた。両方赤いはずの目はいつの間にか金色になっていて、いつの間にか、涙でいっぱいになっていた。いつもの赤司くんじゃない。でもこれもまた、不可解で、単純な、赤司くんのなかの一人の神様なのだろう。

「その目、はちみつみたいだね」

きれい、と言えば、赤司くんはまた更に大きな声で泣き出した。
わたしは妹をあやすときと同じように、きれいなまつぼっくりをポケットから出して、手に握らせて、背中をとんとんと叩きはじめた。





狩人の骨は森に眠る
150213
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