カチ、カチ、と、時計の音だけが、真っ暗な部屋に響いている。瞬きをしているのかもわからないぐらい、起きているのか寝ているのか、生きているのかいないのか、わからないぐらい、真っ暗な夜だった。
きっとここは、新月の夜より深くて、ずっと、もっと奥の、底。星の光も、街の光も、寸分も通りはしない。誰の手も、目も、触れない場所だった。
ただ少しだけ開かれた窓から、夏のぬるい風だけが忍び込んで、カーテンをゆらゆらと揺らしていた。



わたしが赤司伯父様のもとに養子として引き取られたのは、ちょうど小学校から中学に上がる頃だった。といっても、幼稚園から大学までエスカレータ式の学校なので、特に生活が変わるわけでもない。新学期が始まってからも、変わらず両親は殆ど海外に出張に行っていて、兄弟もいないわたしは、朝起きて、学校に行って、帰って寝るということを繰り返していた。家には使用人が何人かいたが、事務的な会話以外してはいけないと、父から言われているらしく、それは機械のようによく働いた。ディナーはいつも美味しく、美しかった。大理石の階段ははいつでもピカピカだった。
わたしの家は、所謂、お金持ち、に分類される家だった。登下校は黒塗りの車が駐車場に並ぶし、箸より重いもの、とまではいかなくとも、基本的に運動という運動以外で、汗を流すことを知らなかった。
赤司伯父様と初めて会ったのは、わたしが、このぐらいのーーー赤司伯父様は自分の腰あたりをとんとんと叩いて示したーーーとても小さかった時だったと、赤司伯父様は言っていた。わたしは全く覚えていない。その日は、わたしの母の代表就任パーティーだったらしい。

『当然だが、まだ慣れていない様子でね。父君の手をぎゅっと握りながら、まわりをキョロキョロ見回していた。』

昨夜のディナーで、赤司伯父様はそう言って一瞬上品に笑って、グラスのなかの赤ワインを揺らした。伯父様の赤い瞳と、同じ色のワイン。

『その時僕は、今の君ぐらいだった。十四歳だ。君は六歳。』

そして今、君が十四歳で、僕は二十二歳。

わたしは食後の渋茶に静かに口をつけた。
湯けむり越しに、赤司伯父様を見る。

赤司伯父様と暮らしはじめて二年が経とうとしていたが、未だにわたしは赤司伯父様という人が、全くわからなかった。ただ少しわかったのは、僅かな隙も見つからないぐらい、恐ろしい人であること。
それと。



カチ、カチ、カチ、カチ。
ボオーン、と、置き時計が鳴った。とてもゆっくりで、静かで優しく、でも、低く唸るような風にも聞こえる、不思議な時計だ。
これはこの家に来た記念に、赤司伯父様が老舗の時計屋に作らせたものだった。しかし、シンプルなデザインのもので統一されたこの部屋には、少し不釣り合いな時計だった。まるで西洋の協会にあるような、木の彫刻と金の針が美しいデザインだった。
ボオーン。二回鳴った。
二時。

かちゃり、と静かに部屋の鍵が開く音がした。
ゆっくりとした足取りで、わたしのいるベッドに近づいてくるのは、一人しかいない。

赤司伯父様は毎月二十日の真夜中の二時、この時計が鳴った直後に、わたしの部屋に入ってくる。

足音はわたしのベッドの右側で止み、再び沈黙が訪れた。私も赤司伯父様も、息をしていないようだった。息を潜めようとしているわけではないのに、二人の息が、全く聞こえないのだ。
足のほうに、少し重みを感じる。肌がシーツを滑る音がして、彼がもぞもぞと動いていることがわかった。
不意に、脇腹に温かさを感じる。頬に、髪の毛のようなものが掠った。直接触れてはいないが、微妙に胸に伝わる体温から、胸に顔を埋められているのだろうと思った。
肋骨を一つ一つ確かめるように、手を沿わせ、何度か往復したあと、その手は、真ん中に集まって、下降をはじめた。鳩尾、臍、と確かめるように、ゆっくりと。
そしてその手は臍の下でぴたりと止まった。
カチ、カチ、カチ、カチ。また緩やかな風が吹いた。

「起きてるんだろう」

わたしは瞬きをしているつもりだったが、いつの間にか、目をつぶっていたようだった。また目を開いて、真っ暗闇を見つめた。それでも、口を開く気にはなれなかった。

「もう、二年も経つんだ。そろそろ僕のことについて何かと知りたがってもいいと思ったが、君は、全くそんな素振りを見せないな」

小さな声で、くす、と笑っている。別に、沢山喋るつもりもない、と言った。
この時に、赤司伯父様がこんなにしゃべることは未だ嘗てなかった。しかし特に反応しようとも思わず、ただぼうっと暗闇を見つめ続けた。

「僕は、男色家だ」

その、ある意味衝撃的な事実が彼の口から紡ぎ出されても、わたしは、やっぱりね、と思った。
彼のわたしを触れる手は、決してそういう意味合いを含んでいるわけではないことを、わたしはわかっていた。だからわたしも抵抗しなかったし、今まで声をあげたことは一度もない。
彼の骨ばった手が、わたしのお腹を撫でた。

「僕にとって、女性は、恋愛対象ではないんだ」

それに、彼が女性を見つめる目は、欲望や嫌悪や、そういうものではない。

「僕は、母親がいない」

瞬きを繰り返しながらも、わたしは、カチ、カチ、という時計の音に、酔いそうだった。
彼はいま、目を開けているのだろうか。閉じているのだろうか。
息をしているのか、いないのか。もしかしたら、泣いているのか、いないのか。もしかしたら、わたしが見えているのか、いないのか。

「僕は、十二月二十日の真夜中、ヨーロッパのとある教会の前で生まれた。母はその時死んでしまった」

夜というのは、毎晩毎晩こんな漠然と静かな空間を漂っているのだろうか、と思った。
巨大な沈黙だった。わたしは、無心に、暗闇を見つめ続けた。
そして、また彼は本当に一瞬だけ、上品に笑う。

「そう、毎月二十日の午前二時に、その時計が鳴ったとき、僕がこうして君の、とくに、胸やお腹に触れるのは」

そこまで言って、彼の口は閉ざされた。
沈黙した後、触れるのは、と、もう一度、彼は掠れた声で繰り返した。
そこから暫く、何の音もしなくなった。



両親が飛行機墜落事故に巻き込まれたのは、わたしが小学六年生の、十二月の初めの頃だった。
遺体はなかったが、大きな葬式だった。母の好きなクラシックが流れていて、彼らを慕う黒い人の群れが式場を埋め尽くした。大量の花束、噎せ返るような線香の匂い。
悲しかった。でもわたしは、そこまでたくさんの思い出がないせいなのか、感情の起伏が乏しいせいなのか、もっと違うことに気を取られていた。それは例えば、花が綺麗であることだったり、これからの生活だったりのことだ。
その時、黒い喪服の親族の群れから一人がこちらへコツコツと歩いてきた。
それは空で燃える火のような、血のような、花のような、赤い髪。



ボオーン、と、また時計が鳴った。三回、鳴った。
三時。
静止していた彼の気配が、また静かに、ゆっくりと動きはじめた。わたしのお腹あたりに感じる重みが、ゆっくりと増していく。
彼は子供のように、わたしのお腹におでこを擦り付けていた。

その頭をわたしはゆっくりと撫で、彼の下の名前を、本当に小さく呟く。









ぼくを美しい銀河のもとへかえしてください
130729

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