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久々に部屋を訪れた飼い主がなにやらご機嫌斜めだ。
結構な長期間放置されて、メシの有無で存在は忘れられていないらしいと確認する日々を過ごし、ようやく訪問があったと思えばそこにいつもの笑みはないときた。
入ってくるなりどかりとソファに腰を下ろし、それ以来無言のまま。
外は暑かっただろうとアイスティーを用意してみても反応は著しくない。
上等な酒より俺の淹れた高い茶葉の無駄遣いでしかない手順無視の苦い紅茶を殊更喜ぶドフラミンゴにしてはとても珍しいことである。

「なあ、どうしたのドフラミンゴ様」

グラスを手に持ったままソファの後ろに回り込んで旋毛に柔らかいキスを落とす。
まるでぐずる子供を宥めるような、馬鹿にしていると思われても仕方のない行為だが案外こういった優しい戯れを好む男だ。
幾度か唇を寄せ、髪を梳き、頬をすりよせるとついにドフラミンゴが背もたれを挟み膝立ちでこちらに向き直った。
ようやく膠着状態から解放されたとホッとしたのもつかの間。
唐突に顎に噛みつかれ、体勢を崩した拍子にグラスの中のアイスティーが手を濡らした。
床に落ちるほどの量でもないそれは手首を伝って白いシャツに沁み込んでいく。

「あーあ、汚しちゃった」

シンプルながら高級な生地を使用しているだろう肌触りのいいシャツの値段は、俺が考えるよりゼロがいくつか多いはず。
無知なペットらしく与えられたモノの価値は気にしないようにしているが勿体ないものは勿体ない。

「新しいのを買ってやる」
「洗えば落ちるから大丈夫だよ」

がぶがぶと顎を甘噛みしつつ首に腕をまわそうとするドフラミンゴから身体を逃がし、グラスを置いてシャツを脱ぐ。
俺には少し汚れたくらいで飼い主から贈られた服を捨てるような浪費癖はないのだ。
すぐに洗濯すれば目立つシミにもならないだろう。
とりあえず水につけておくかと考えて風呂場へ目を向ける。
その視界の端に、ぎゅっと唇を引き結んで俺を見上げるドフラミンゴがいた。
部屋に来た当初より機嫌が悪いように見えるのは、おそらく気のせいではない。

「ドフラミンゴ、様?」
「……お前は、何も欲しがらねェな」

服も宝石も調度品も何も強請らねェ、と面白くなさそうに言葉を吐くドフラミンゴにじわじわと頭の芯が冷えていくのがわかった。
まさか、飽きられたのか。
唐突だとは思うが可能性はある。
始まりがドフラミンゴの気まぐれであった以上終わりが気まぐれに訪れても不思議ではない。
もしそうだとしたら次のドフラミンゴのアクションで殺されるか捨てられるか売られるか、何かしら自分の未来が決まるだろう。
覚悟はしていたから表面上は冷静なものだけれど、ぽっかりと心に空いた穴は想像以上のものだった。
俺は相当この飼い主に入れ込んでいたらしい。
ドフラミンゴが俺をもういらないと思っているならさっきまでみたいに軽々しく触れたり声をかけることはできなくなる。
そう思うと、急に勿体ないことをしたという後悔が強くなった。
ドフラミンゴが選んだ、満足そうに笑って、似合うと言ってくれたシャツを駄目にしたくなかったのだ。
でも、どうせ終わってしまうならシャツなんてどうでもいいから、まわされた腕を拒まなければよかった。

「おい」
「わっ」

突っ立ったままぼんやりしていると苛立ったような声とともに二度と触れることはないかもしれないとまで思っていた大きな手に腕を引っ張られた。
たたらを踏んで中腰になった俺に合わせるようにしてドフラミンゴが膝立ちから座り込む形に姿勢を変える。
……これは、もしかして、俺が「自分より高い位置から見下ろされるのが嫌いだ」と言ったのを気にしてのことか?
ドフラミンゴは決して、どうでもいい奴の意志を尊重するような人間ではない。
それなら、ドフラミンゴはまだ、俺への興味を失っていないのかも。
俺の考えを肯定するように強められる手の力に目を瞬かせていると、難しい顔をしたままのドフラミンゴが唸るような低い声で再度「おい」と口にした。

「ナマエ、お前は、どうすればおれを望むようになる」

怒っているような脅すような威圧するような、そんな声なのに、裏側に懇願めいた弱々しさを見つけてしまって瞠目する。
曰く、街で見かけた目ぼしいものは全部くれてやったと。
それなのに俺がドフラミンゴに執着する様子がないと。
挙句他人との接触を断たせて長らくドフラミンゴと会わずにいても寂しがりもしないのでは最早打つ手がないと。

「……ドフラミンゴ様って」
「なんだ」
「いや、なんていうかなぁ」

アホ可愛いと言ったらさすがに怒るだろうと思い言葉を濁す。
俺がドフラミンゴに、というか飼い主に執着しないのは、いずれ来る終わりに向けて自分の心を守ろうとするゆえだ。
実のところすでに手遅れだと認めるほどにドフラミンゴに惹かれているのだが、それでも縋ったり引き留めたり次の約束を求めたりすることはない。
淡泊なものだと自分でも思う。
それはこれからも変わらないだろうし、変えるつもりもない。
だが。

「っ……ナマエ?」

俺が愛そうが憎もうがドフラミンゴは気にしないと思っていたのにそうじゃなかった。
俺の命運の全てを握りながらまだ手にはいらないと苛立つドフラミンゴの、自己中心的というよりいっそ幼いといったほうが正しい感情の吐露。
サングラス越しの突き刺さるような視線に先ほどまでの『勿体ない』という気持ちが刺激される。
強く掴まれた手を無理やり外し両腕を俺の首にまわさせると、一気に近づいた距離を更に縮めて耳元で小さく囁いた。

「俺はあなたが思っているよりもずっと、」

ずっとずっと、あなたのことが好きなんだよ。
ドフラミンゴ。