ドフラミンゴから見たナマエはとてもつまらない男だ。 堅実でそつのない仕事ぶりだったり決して身を破滅させるには至らない金の使い方だったりといったものは世間的には評価されるべき美徳なのかもしれないがドフラミンゴという悪名高い人間の部下としては些か枠にはまりすぎている。 アクシデントもイレギュラーも必要ないと言わんばかりのナマエの生き方は、なによりもドフラミンゴ個人への対応によくあらわれていた。 大げさな仕草にどこか感情の起伏を感じさせない間の伸びた喋り方。 へらへら笑いながら場つなぎの世間話ばかり口にするナマエの視線は大抵足元に固定され、たまに目があったと思えばすぐに逸らされる。 まるで怒りさえ買わなければそれでいいと、顔色を窺ってまで気にいられる意味はないと言われているようで不愉快だった。 いつ見ても、何を話してもなんの面白味もない、つまらない男。 そんな男を目で追って、わざわざ口実をつくってまで話しかけているという事実は己の思考から放り出してドフラミンゴはナマエを詰る。 つまらねェ、一回くらいおれを楽しませてみやがれ、と。 だから、ナマエのとある噂を耳にしたときのドフラミンゴの行動は早かった。 ドフラミンゴは面白いことが大好きだ。 そして少なくとも今現在において、ナマエの噂以上に胸を躍らせるものは何一つ存在していない。 電伝虫の向こうで取引先や海軍のお偉いさんがなにか喚いていたがそんなものは気にも留めず全ての予定をキャンセルすると、ものの一時間もしないうちに人払いを済ませた部屋でナマエと向かい合っていた。 「あのー、若?なんかあったんですか?」 「フッフッフ!いやなに、かわいい部下のかわいそうな噂を聞いたもんでなァ。まあせっかく来たんだからとりあえず飲めよ」 誰もいない空間でいつになく上機嫌なドフラミンゴに上等な酒を出され困惑するナマエが「はあ」と気の抜けた返事をしながらグラスに口をつけた。 つまらない男だが、飲みっぷりは悪くない。 高い酒だからといって舐めるように飲む奴よりは余程好感が持てるというものだ。 ぐびぐびと酒を嚥下する度に上下に動く喉仏を見て、サングラスの奥で目を細める。 「お前不能なんだって?」 飲みこむ瞬間のタイミングを狙って話題を出してやるとナマエが見事に酒を噴き出した。 ドフラミンゴのしたことにナマエがここまで大きな反応を示したのは初めてのことだ。 苦しそうにげほげほ咽る様子に笑いが止まらない。 「ちょ、若、なに、噂!?噂って……誰が言ってたんすかそれ、ありえねー、すっごい不名誉!」 「フフ、フフフフフ!誰がなんて、そんなこたァ問題じゃねェだろう!どうなんだナマエ、酔わせた女に金握らせてそのまま帰すなんざ噂よりてめェの行動のほうがよっぽどありえねェぜ?」 二人きりだというのに目の前にいるドフラミンゴよりも噂を流した『誰か』に意識を向けるナマエに少々苛立ちながらもそれを笑みの下に隠して話を促す。 噂が真実だというのならそれこそ部下の一大事だ。 良く効くオクスリでもプレゼントしてやろう。 能力で四肢の自由を奪い無理やりに快楽を押しつけてやったらこのつまらない男はどんな顔をするのだろうか。 ナマエが欲に塗れた瞳でドフラミンゴだけを見て無様に懇願する様を脳裏に思い描き口元の笑みが一層深くなる。 「酔わせた女、酔わせた……ああ。あー、あのときの」 ドフラミンゴが物騒なことを考えているなど露程も思っていないのだろう。 先ほどの言葉から噂の元となる記憶を探り当てたらしいナマエが「ただ単に好みじゃなかっただけっすよ」と疲れたように肩を落とした。 そんなナマエに上がり気味だったドフラミンゴの機嫌がまた少し傾く。 ナマエの言い方はつまり「好みなら帰さなかった」ということに他ならない。 しかしドフラミンゴの知る限りナマエがこのドレスローザで女に声をかけられて相手をしたという話は一度もなかった。 だからこそ今回の噂があながち出鱈目でもないのではないかと睨み意気揚々とナマエを呼び出したのだ。 そんな誤魔化しが通用するとでも――いやまて。 そうだ、もしナマエの話が嘘でないとして、なら、例えば、好みの対象が女ではない。 とか。 「聞いた話じゃあ結構なイイ女だったらしいじゃねェか。それが好みじゃないとなると……ガキか?男か?」 「いやいやいやいや」 探りを入れるため妙な具合に乾いた喉を酒で潤しながら発した言葉にナマエが即否定を入れる。 当然、か。 こいつに限ってそんな面白いことがあるはずもない。 ある種予想通りの回答にもかかわらず一考することすらなく打ち捨てられた選択肢にチリッとした胸の痛みを感じ、ドフラミンゴは口元に笑みを貼り付けたまま内心首を傾げた。 つまらないというわけではなく、不愉快というのも違う。 落胆、焦燥、漠然とした不安と虚無感。 これまで生きてきた中で一度だって持ち得なかった情動だ。 これは一体何なのかと微かに眉を寄せ自身の内側に生じた不可解な感覚の原因を追おうとしたそのとき、ドフラミンゴの思考をナマエの声がさえぎった。 「俺ね、足が好きなんですよ。足フェチ」 昨日の女は無駄肉つきすぎっつーか、もっと筋肉あってシュッとしてないとそそられないっつーか。 ドフラミンゴが間抜けな反応を晒す間もなく矢継ぎ早に並べたてられたそれは、先ほどまで気にしていた胸の痛みを吹き飛ばすものだった。 足。 ナマエは、足が好き。 この話の流れでの『好き』は、性的衝動や興味という意味での『好き』ということで、それはいつも、いまこの瞬間ですら己の足にばかり向けられているナマエの視線は、つまり。 「……へェ、なら、おれの足はどうだ」 ついさっき酒を呷ったばかりなのに舌が張りついたように動かしづらい。 なんとか冗談めかして言いきってから、グラスを持つ手が震えた。 馬鹿なことを言ってしまった、いや、ただの戯言で深い意味などないのだ、けれど、ナマエがそう捉えなかったら。 そんなふうにドフラミンゴの頭の中で行われた数秒の葛藤はナマエの一言で無に帰した。 「ははは、若すね毛生えてるじゃないですかぁ」 パァン、と手の中でグラスが弾けた。 握りしめる拳からポタポタと酒が滴り落ち、笑顔のまま固まったナマエが「は、」と声を漏らす。 「ああ、服が、濡れちまったなァ」 「……あ、えーと……大丈夫、ですか?」 「フフ、大丈夫、そう、大丈夫さ。何も問題ねェ」 酒を払うように手を一振りして「風呂に行く」と伝えると、ナマエは納得したのか視線を割れたグラスの破片に移した。 部屋を片付けておくのでそのままお暇しても、という問いに無言で腕をつかみ、引きずるようにして歩き出す。 「え、若、どこへ」 「風呂」 「俺もついてくんすか!?」 なんで俺までと困惑したような声が後ろから聞こえてくるが、ドフラミンゴは振り返ることはせず、掴む手に力を込めることで答えた。 なんでだなんて、ドフラミンゴにも理由はわからないのだ。 ただ「見返してやる」という何に対してかもわからない衝動に支配されるまま、ドフラミンゴはバスルームに足を踏み入れた。 |