ナマエ先輩は酷い。 そう訴えてみてもナマエと喜八郎の双方を知る者は誰も同意してくれないが、少なくとも喜八郎の中でナマエが酷い人間であるというのは純然たる事実だった。 類稀な観察眼だか危機察知能力だか知らないが喜八郎が趣向を凝らして作り上げた蛸壺を簡単に見つけては片っ端から埋めてしまうのがまず酷いし、それに対してまるで穴を掘った喜八郎がやりすぎているかのように小言を漏らしてくるのもまた酷い。 そして、意図的に感じの悪い態度をとっている喜八郎を拗ねた子供みたいに扱ってきっぱりと叱り飛ばさないのが何より一番酷かった。 一度でも突き放されれば喜八郎とて素直になれるのだ。 それなのにナマエがいつまでも受け入れて甘やかしてくるせいで、喜八郎は未だに遠出するナマエへ素直に「いってらっしゃい」を言うことすらできずにいる。 そういうナマエの酷いところは出会ったときから全然変わらないので、もしかしたらこれからも変わらず喜八郎を甘やかし続けるつもりでいるのかもしれない。 そう思うと少しくすぐったい気分にもなるが、それはつまり喜八郎に素直になる機会を与えないということに他ならないのでナマエはやっぱり酷い男だ。 懇意にしている城から名指しの依頼を受けしばらく学園を離れることになったナマエの背中を思い出し、鋤で土を掻き出していた手をぴたりと止める。 真っ直ぐに上を見上げると、日の落ちはじめた空が切り取ったような円を描いていた。 確か、ナマエと初めて話をしたのはこのくらいの深さの穴からのことだ。 まだ学園に入って間もなく、しかし既に天才トラパーとして才能を遺憾なく発揮していた 喜八郎は、その才能ゆえ通常ではありえないような事態に陥っていた。 素人ならそこまで深い穴を掘ることは出来ず、玄人なら絶対にしない。 だからこそ、天才である喜八郎にしか起こりえないとんでもない凡ミス。 外へ出るための道具を持たずに一人では脱出不可能な深さまで穴を掘り進めてしまった喜八郎は、少し張り上げた声で一度「おーい」と叫び、なにも反応がないことを確認するとそのまま地面に蹲った。 夢中になっていたとはいえ自分の掘った穴がどういう性質のものかは理解している。 一人ではどうしようもない以上外部からの助けを待つしかない。 無駄に足掻いて体力を消費するのは最も避けるべき愚行だ。 冷静にそう判断し、耳を澄ませ、時折だんだんと暗くなっていく空を見上げて待っていたが、結局夜になり穴の中が暗闇に包まれても助けは来なかった。 たまに夜通し穴を掘ることもあったから、今回もそうだと思われているのかもしれない。 ――もしこのまま誰も助けに来てくれなかったら 精神を疲弊させないため必死に考えないようにしていた最悪が頭をよぎる。 しかし喜八郎はすぐにそんなはずはないと唇を噛み、抱えた膝に顔を埋めた。 喜八郎の掘った穴を全部見つけ出して一つ残らず埋めてしまう酷い先輩が用務委員会にいると聞いたことがある。 その人がきっと、いや、絶対に見つけてくれるはずだ。 だから自分は待っていればいい。 絶対に来てくれるその人を待って、そうして会えたら一言文句でも言ってやろう。 それだけの話だ。 怖がることなんて、なにもない。 それから、おそらくは数分としない後のこと。 暗闇やそれに紛れた罠などまるで気にした様子のない軽い足音に少し乾いた喉を震わせ「おーい」と助けを呼んだ喜八郎に「幽霊!?」という間抜けな叫び声が返ってきた。 ナマエは怖がりながらも穴をのぞき込み、底に蹲っている喜八郎に目を見開いて驚くと手持ちの道具を駆使してすぐに助け出してくれた。 穴の中で決意した通り「あなたがミョウジナマエ先輩ですか、ぼくは一年ろ組の綾部喜八郎です、先輩はひどいです」と脈絡なく詰りだした喜八郎に、ナマエは想像と違い怒ることもなく「そうかそうか、おれがもっと早く見つけられてたら怖い思いせずに済んだのにな、ごめんな喜八郎おれもっと頑張るからな」と見当違いな慰めを口にして、よしよしと頭を撫でてくれた。 そんなことであっさり心を奪っておいて、それに気づかずふらふらしては拗ねる喜八郎を甘やかすばかりのナマエは、やっぱりどう考えても酷い男なのである。 |