「よぉ、いい天気だな」 手招きを受けて椅子に腰を下ろすと見計らったように店員が二杯めの飲み物を運んできた。 一口飲んでからふ、と息を漏らす。 アールグレイのレモンティーは俺の好み。 レオは以前舐めただけで嫌そうな顔をしていたから俺が来ることを見こして注文を入れていたのだろう。 春先の弱い日光を遮るパラソルの下でにこりと笑ったレオはまるでハリウッド映画の主役のようだ。 本当に、つい数日前幹部を降格され組織を追われようとしている男には全く見えなかった。 「なにをやらかしたんです」 日常会話の延長のように訊ねようと思っていたのに思わず硬い声になってしまったのはこのことが自分にとって想像以上にショッキングな出来事だったから。 ギャングの世界から追放された者がカタギに戻れる確率なんて神が願いを聞き届ける数よりうんと少なく、それこそほぼ0%といっても過言じゃあない。 組織に目を付けられたレオは、明日には処分されてしまうかもしれないのだ。 俺がこんなに心を痛めているというのに当人は緊張感というものが欠如しているのかいつも通りの面持ちでエスプレッソを啜っているのだから苛立ちもひとしおである。 「ちょっとふざけただけだ。全区の幹部で集まって飲んだとき『麻薬王に俺はなる!』って言ったらよォ〜、みんな真っ青になっちまって」 あんなの本気にするんだからなぁと爽やかに笑うレオに、俺は折れそうになるまで歯を食い締めた。 そんなはずがないだろう。 冗談めかした言葉以前の問題、真剣味のない態度とは裏腹に慎重で狡猾なレオが、うっかりや冗談で失言などするはずがない。 「なんだ、難しい顔して。元ネタ知らないのか?ジャポネのコミックだ、面白いから読んでみろよ少年」 「もう十八だ。コミックなんて年じゃない」 ハタチ越してハマってる俺に対してどうなんだと眉をしかめるレオに無理やり作った苦笑を返す。 小さく呟いた彼の言葉で全てを悟ってしまったのだ。 「……まあ、お前はコミックなんて読まないほうがいいかもな。ヒーローに感化されていいのは鼻水たらしたガキだけだ」 きっとレオは組織に真正面からぶつかっていったのだろう。 正論と常識を持って覚悟の上でボスに苦言を呈し、そしてその社会の正義たる存在を疎まれた。 レオは死ぬ。 ボスに目を付けられた以上それはどうしようもない事実にしかなりえない。 レオは、死ぬ。 「さて、名残惜しいがこの一杯を飲んだら発たなきゃならない」 「どこへ?」 「そうだなぁ……とりあえず本場に行ってコミックを漁りたいな。そのために日本語を修得したんだから」 『ピンクダークの少年』を読みたいのにこちらでは売っていないのだと悔しげに言うレオ。 その顔に浮かんでいるのは仮初の希望だ。 俺を安心させるためだけの脆く薄い未来の話。 だから俺はそれに乗っかって呆れたような顔でもって返すしか。 「じゃあなブチャラティ……アリーヴェデルチ」 いたずらっぽくウインクを投げて背を向けたレオを無言で見送る。 ああ、いつも通りだ。 さようなら、また会おう、そう言うレオに俺は一度も返事をしたことがなかった。 (違う、できなかったんだ) できなかった。 いつ命を失ってもおかしくない世界でまた、と言うことが恐ろしかった。 「また今度」といって会えなくなることが怖くて、そしてレオは俯く俺を安心させるように「また今度」を言い続けた。 「レオ!」 一方通行で終わらせたくなくて必死で呼ぶ声に彼の歩みが一瞬止まる。 せっかくの、おそらくは最後のチャンスなのに言いたいことがたくさんあって何を言っていいのかわからない。 レオが好きなコミックを見せてほしかった。 よく口にしている苦くて味のわからないエスプレッソをわけてほしかった。 日本語を教えてもらって一緒に日本へ渡ってみたかった。 俺よりも大きな手を握ってみたかった。 唇を合わせて愛を語ってみたかった。 「レオ……アリーヴェデルチ」 全ての想いを乗せた声が風に消されず彼まで届いたのかはわからない。 ただ、彼の笑顔だけが俺の胸に残り続けていた。 (いつか、いつかきっと、また) |